会社を売却して代金を受け取った後に、買い手から「聞いていなかった未払残業代が見つかった」「過去の申告について追徴課税を受けた」として、損害の補償を求められる——。こうした売却後のトラブルの多くは、株式譲渡契約の表明保証と補償の条項をめぐって起こります。
結論から言えば、売主が売却後の請求リスクを抑えるために大切なのは、①会社の実情を買い手に正確に開示すること、②表明保証の範囲と、責任の上限・期間・対象を契約で明確に区切ること、③それでも残るリスクに備えて受取額の使い方を考えておくことの3つです。この記事では、表明保証と補償の仕組み、売主として確認したい条項、表明保証保険、そして補償をめぐる税務上の論点までを整理します。
表明保証とは
表明保証とは、契約の一方の当事者が、相手方に対して、ある時点において一定の事項が真実かつ正確であることを表明し、その内容を保証するものです。中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」でも、このように説明されています。
会社の売却(株式譲渡)では、主に売主が買い手に対して、たとえば次のようなことを表明保証します。
- 売主が株式を適法に保有しており、株式に担保などの負担がないこと
- 開示した決算書が適正に作成されていること
- 開示した債務以外に、簿外の債務や未払いの賃金がないこと
- 税金の申告と納付を適正に行ってきたこと
- 重要な契約や許認可に問題がないこと、訴訟がないこと
そして、表明保証した内容が事実と違っていたことで買い手に損害が生じた場合に、売主がその損害を補う約束が補償条項です。買い手は売却前の調査(デュー・ディリジェンス、DD)で会社を調べますが、限られた時間ですべてを調べ尽くすことはできません。調べきれなかったリスクを売主に負担してもらうための仕組みが、表明保証と補償だといえます。
売主が表明保証する主な事項と、責任につながりやすい論点
表明保証の対象は多岐にわたりますが、中小企業の売却で売主の責任につながりやすい論点を、AEGISでは次のように整理しています。
| 区分 | 表明保証の主な内容 | 売主の責任につながりやすい論点 |
|---|---|---|
| 売主・株式 | 株式の保有、株主構成、潜在株式がないこと | 名義株、株券発行会社なのに株券が発行されていない、過去の株式移動の記録の不備 |
| 財務 | 決算書の適正性、簿外債務がないこと | 引当金の未計上、保証債務、リース・未払金の漏れ |
| 税務 | 申告・納付の適正性 | 役員給与・交際費等の処理、消費税、源泉所得税、将来の税務調査での追徴 |
| 労務 | 法令の遵守、未払賃金がないこと | 未払残業代、みなし残業の運用、社会保険の加入漏れ |
| 契約・許認可 | 重要な契約・許認可の有効性 | 株主が変わると解除できる条項、許認可の要件違反 |
| 法令・紛争 | 法令違反・訴訟がないこと | クレームや紛争の予兆、行政からの指導 |
| 情報開示 | 開示資料が真実かつ正確であること | 開示漏れ、口頭説明と資料の食い違い |
※一般的な整理です。実際の対象と表現は、取引ごとに契約で定めます。
中でも労務は、売却後に問題が見つかりやすい分野だといわれます。未払残業代のように、金額が大きくなりやすく、過去にさかのぼって請求されうる債務は、売主にとって大きなリスクになります。
責任の範囲を決める条項
表明保証の違反があった場合に、売主がどこまで責任を負うかは、契約の定め方で大きく変わります。売主として確認したい主な条項は次のとおりです。
補償の期間
補償を請求できる期間を定める条項です。期間が長いほど、売主は長く不安を抱えることになります。実務では、すべての事項を同じ期間にするのではなく、事項の性質によって期間を分ける例があります。たとえば、株式の帰属のように取引の根幹に関わる事項は長め、一般的な事項は短め、税務については更正の期間を意識して定める、といった形です。期間の定めがないと、いつまで責任を負うのかが不明確になるため、必ず明記してもらうことが大切です。
補償の上限(キャップ)
補償額の上限を定める条項です。買い手は譲渡代金の全額を上限にしたいと考えがちですが、売主は代金から税金や手数料を差し引いた後の金額しか手元に残りません。上限は、譲渡代金の一定割合や一定額など、交渉で決まります。
補償の下限(フロア)
少額の損害についてまで補償を請求されないよう、一定額に満たない損害は対象外とする条項です。1件あたりの損害額が一定額に満たなければ免責する方式や、損害の合計が一定額を超えた場合に補償する方式などがあります。
「知る限り」「重要な点において」という限定
表明保証に「売主の知る限り」という限定を付けると、売主が知らなかった事実については責任を負わない形になります。また「重要な点において」という限定を付けると、軽微な不一致は違反にならない形になります。こうした限定をどこまで入れられるかは、売主の責任の重さを左右します。
開示した事項の例外
DDの過程で買い手に開示した事項や、契約の別紙に列挙した事項を、表明保証の対象から除く定め方があります。リスクを「隠す」のではなく「開示して例外にする」ことが、売主にとって最も確実な防御になります。
代金の一部の留保
補償の支払いを確実にするため、譲渡代金の一部を一定期間、金融機関などに預ける(エスクロー)、あるいは代金の一部を後払いにする、といった方法がとられることもあります。売主にとっては、代金の一部をすぐに使えないことになるため、対象とする損害と期間を限定するよう交渉することが考えられます。
中小M&Aガイドラインの考え方
中小M&Aガイドライン(第3版)では、DDや表明保証をめぐり当事者間でトラブルに発展しうるリスクとその対応策を解説し、仲介者・FAに求める対応が追記されました。売主の立場から押さえておきたいのは、次のような考え方です。
- 表明保証の内容は、DDの結果を踏まえて検討されるべきものであること
- DDを経ずに、定型的に期間や上限のない表明保証を設けることには慎重であるべきこと
- 期間や責任の上限が設定されていない場合や、適用場面が明確でない場合には、売主が過大な責任を負い争いにつながるおそれがあることを、仲介者・FAが説明すべきとされていること
DDは買い手のための調査と思われがちですが、十分なDDが行われないと、その分だけ表明保証で売主が負うリスクが重くなるという関係にあります。DDに協力し、指摘された事項を価格や契約条件の中で整理しておくことは、売主自身を守ることにもつながります。
表明保証保険とは
表明保証保険は、売主が一定の事項を真実・正確であると表明保証していたにもかかわらず違反があった場合に、それによる損害を填補する保険です。ガイドラインの用語集でも、このように説明されています。
保険を利用すると、表明保証違反による損害を保険で補う形になり、売主が直接補償を負担する範囲を小さくできる場合があります。売主にとっては売却後の不安を和らげ、買い手にとっては売主の支払能力に左右されずに補償を受けられるという意味があります。一方で、保険料の負担をどちらが持つか、どのような事項が補償の対象外となるか、売主の故意による違反をどう扱うかなどは、保険契約ごとに定められます。利用を検討する場合は、保険の補償範囲と株式譲渡契約の条項がかみ合っているかを、専門家と確認することが大切です。
補償を受け取った・支払った場合の税務上の論点
表明保証違反によって売主が買い手にお金を支払った場合、その性質によって税務上の扱いが変わりうる点にも注意が必要です。
専門書籍では、買い手が受け取る金額が譲渡対価の調整として扱われる場合には、買い手側では株式の取得価額の減額となり、損害賠償として扱われる場合には、買い手側で収益が計上されるという整理が示されています。また、補償金が売主から買い手ではなく、売却された会社に支払われる場合には、その会社で収益が計上されるとされています。
個人の売主の側では、売却時に株式の譲渡所得として申告分離課税(所得税15%・住民税5%、別途復興特別所得税)で課税を受けた後に、代金の一部を返すことになります。所得税には、申告した税額が多すぎた場合に法定申告期限から原則5年以内に減額を求める「更正の請求」の仕組みがありますが、補償の支払いを理由に過去の譲渡所得を減額できるかどうかは、その支払いの性質や契約の定め方によって判断が分かれうるとされています。
このため、補償条項を設ける段階で、支払いを「譲渡価額の調整」として定めるのか、支払先を誰にするのかを、税務の観点からも確認しておくことが望まれます。具体的な取扱いは事案ごとに異なるため、税理士に確認してください。
売主が今からできる準備
表明保証の責任を軽くする最善の方法は、契約交渉の技術よりも、売却前に会社の実情を整え、説明できる状態にしておくことです。
- 労務の点検:勤怠と賃金計算の運用、みなし残業の設計、社会保険の加入状況を確認し、問題があれば売却前に是正する
- 税務の点検:過去の申告で判断が分かれそうな処理を洗い出し、必要に応じて修正しておく
- 株式と契約の整理:株主名簿、株券の発行状況、過去の株式移動の記録、重要な契約の条項を確認する
- 開示の姿勢:気になる事項は早めに開示し、価格や契約条件の中で手当てする
売却前に整えたい会計・契約・組織の具体的な内容は関連記事「M&Aの前に整えたい会計・契約・組織」で、買い手がどのような視点で調査するかは「会社を買う前に確認したいリスク」で解説しています。
AEGISの視点
会社の売却では、譲渡価格に注目が集まります。しかしAEGISは、売主にとっての本当の受取額は「譲渡代金 −(税金・手数料)− 売却後に返す可能性のある金額」だと考えています。表明保証と補償の条項は、この最後の項目の大きさと期間を決めるものです。
たとえば、補償の期間中は、受け取った代金の一部を返す可能性が残ります。その期間に、受取額のほとんどを不動産の購入や家族への贈与に充ててしまうと、万が一の請求に応じられなくなるおそれがあります。売却後の資産設計を考えるときは、補償の上限と期間を踏まえて、一定の資金を流動性の高い形で手元に置いておくといった配慮が必要です。売却後の資産の守り方は関連記事「会社売却後の資産をどう守り、どう使うか」で解説しています。
また、表明保証は売主の責任を定めるものですが、売主の経営者保証の解除のように、買い手に果たしてもらうべき約束もあります。契約交渉は、売主と買い手の双方が負う義務を一つの契約の中でバランスさせる作業です。支援機関の選び方を含めた売却の進め方は「M&A仲介を使う前に確認したいこと」で、売却準備の全体像は「会社売却を考えるなら何年前から準備するか」で解説しています。
売却に伴う税務や、売却後に残る資産の構造に関する論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。
まとめ
- 表明保証は、売主が会社や株式について一定の事項が真実かつ正確であると表明し保証するもので、違反による買い手の損害を補う約束が補償条項です。
- 売主の責任の大きさは、補償の期間、上限、下限、「知る限り」などの限定、開示事項の例外、代金の留保の定め方で大きく変わります。
- 中小M&Aガイドライン(第3版)では、DDを経ずに期間や上限のない表明保証を定型的に設けることには慎重であるべきとされています。
- 表明保証保険を利用すると、売主が直接負う補償の範囲を小さくできる場合がありますが、補償範囲と契約条項の整合を確認する必要があります。
- 補償の支払いは、その性質によって税務上の扱いが異なりうるため、契約段階で税務の観点からも確認することが大切です。
具体的な条項の内容や税務上の取扱いは、取引の内容や当事者の状況などの個別事情によって異なります。
よくある質問
Q. 表明保証は、売主が必ず応じなければならないものですか?
株式譲渡契約では、売主の表明保証はほぼ必ず求められます。ただし、その範囲、期間、上限、限定の付け方は交渉で決まります。応じるかどうかではなく、「どこまで、どの条件で応じるか」を、DDの結果を踏まえて調整するものと考えるのが現実的です。
Q. 補償の期間や上限には、決まった相場がありますか?
法律で決まった基準はなく、取引の規模や会社の状況、DDの範囲によって交渉で決まります。事項の性質ごとに期間を分けたり、上限を譲渡代金の一定割合としたりする例があります。期間や上限の定めがない契約は売主の負担が過大になるおそれがあるため、必ず定めを置くよう求めましょう。
Q. DDで買い手が見落とした問題も、売主が責任を負うのですか?
契約の定め方によります。表明保証の対象となる事項について事実と違っていれば、買い手が見落としていたかどうかにかかわらず、補償を求められる可能性があります。売主の側から問題を開示し、表明保証の例外として契約に記載しておくことが、最も確実な備えになります。
Q. 表明保証保険は、売主と買い手のどちらが加入するものですか?
取引によって異なり、保険料の負担も交渉で決まります。中小M&Aガイドライン(第3版)の用語集でも、売主用と買主用の表明保証保険があると説明されており、購入にあたっては一般にDDの結果をまとめた報告書などを保険会社に提出し、引受審査を受ける必要があるとされています。いずれの場合も、保険で補われる範囲と、売主が直接負う責任の範囲を契約上はっきりさせておくことが大切です。
Q. 補償金を支払った場合、売却時に納めた税金は戻りますか?
支払いの性質や契約の定め方によって扱いが異なりうるため、一律には言えません。譲渡価額の調整として整理できるかどうかが論点になりますが、更正の請求が認められない可能性も指摘されています。補償条項を設ける段階で、税理士に確認しておくことをおすすめします。
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参考資料・出典
公的資料・一次情報
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」(令和6年8月)
https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/download/m_and_a_guideline.pdf
確認日:2026-10-09 - 国税庁 タックスアンサー No.1463「株式等を譲渡したときの課税(申告分離課税)」
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/1463.htm
確認日:2026-10-07 - 国税庁 タックスアンサー No.2026「確定申告を誤っていた場合」
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/2026.htm
確認日:2026-10-07
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