個人で営む家業を子に継ぐときは、会社の株式を渡すように「一つのもの」を移せば済むわけではありません。店舗や設備、屋号、取引先との契約、借入れを、一つずつ誰にどう引き継ぐかを決めていく作業になります。しかも、その多くは親の個人の財産や家計と混ざっています。
だからこそ、税制や遺言を検討する前に、家族で話し合っておきたいことがあります。結論としては、①誰が継ぎ、継がない子には何を渡すか、②親の配偶者の生活をどう守るか、③どこまでを「事業」として渡し、どこからを「家計」として残すか、④いつ、どの方法で引き継ぐかの四つです。この記事では、家族会議の前の準備から、項目ごとの引継ぎ方、会議の進め方までを順に整理します。
会社の承継と何が違うのか
中小企業庁の「事業承継ガイドライン(第3版)」では、個人事業主の経営権の本質は、経営者が自分の名で事業を行い、取引先や顧客との契約関係を持ち、事業用資産を自ら所有していることにあるとされています。そのため、開業届や廃業届を出すだけでは承継は完了せず、契約関係や所有関係を実際に引き継ぐことが欠かせません。
同ガイドラインが引用する調査では、個人事業主の後継者は先代の子が75.3%を占め、親族内の承継が約9割に達しています。一方で、個人事業者の事業承継は、先代の死去や体調悪化といった突発的な事情で行われたケースが約6割を占めるとされています。家族のなかで引き継がれることが多いのに、話し合いの機会がないまま「その時」を迎えてしまう家業が少なくないのです。
家族会議の前に用意したい「事業の棚卸し」
話し合いを実りあるものにするには、まず親(現経営者)が、事業に関わる財産と契約を一覧にしておくことが出発点です。
| 項目 | 確認すること | 引き継ぐときに必要になること |
|---|---|---|
| 土地・建物 | 名義、店舗兼住宅かどうか、借地・借家か | 贈与・売買・相続による名義変更、または賃貸借 |
| 設備・車両・在庫 | 種類と帳簿上の価額、リースかどうか | 個別の譲渡や名義変更、リース契約の切替え |
| 屋号・顧客 | 屋号の使用歴、商号登記の有無、顧客名簿 | 屋号を使い続けるかの判断、顧客への案内 |
| 取引先・賃貸借の契約 | 仕入先・販売先・家主との契約内容 | 相手方の承諾を得て契約を引き継ぐか、結び直す |
| 許認可・登録 | 営業許可などの名義と期限 | 後継者による取り直しや承継の手続 |
| 借入れ・保証 | 借入先・残高・担保・保証人 | 金融機関との協議(債務の引受け、担保・保証の見直し) |
| 預金口座 | 屋号付き口座を含む事業用口座 | 屋号付きでも個人名義の口座のため、後継者名義で開設し直す |
※AEGISが論点を整理するために作成した表です。業種によって必要な項目は異なります。
同ガイドラインが引用する調査では、一定規模以上の個人事業主が所有する事業用資産の6割超を土地・建物が占めるとされています。店舗兼住宅のように、事業と生活の両方に使われている不動産が多いことも、個人事業ならではの難しさです。
家族会議で決める四つのこと
1. 継ぐ子と継がない子
最初に確認したいのは、後継者となる子本人の意思です。親の思い込みで話を進めると、後継者が覚悟を持てないまま引き継ぐことになりかねません。同時に、継がない子の考えも聞いておきます。
個人事業では、事業用資産が分散すると事業の継続に直接影響します。土地や建物、設備が相続人の共有になると、後継者は設備の更新や業態の転換を自由に行いにくくなります。事業用資産を後継者に集める以上、継がない子には何を渡すのか(金融資産、自宅、生命保険など)を、あわせて話し合う必要があります。
2. 親の配偶者の生活
家業を夫婦で営んできた場合、事業の収入がそのまま夫婦の生活費になっていることが多いでしょう。事業を子に渡した後、親世代の生活費はどこから出るのか、店舗兼住宅に住み続けられるのか、事業を手伝ってきた配偶者の処遇はどうなるのかを具体的に確認します。親の配偶者が今後も事業に関わる場合は、子の事業で働く家族として、給与の扱いも含めて整理しておくとよいでしょう。
3. 事業用資産と家計の線引き
個人事業では、事業用の預金と家計の預金、店舗部分と住居部分、事業用の車と家族の車が混ざっていることがよくあります。何を「事業」として後継者に渡し、何を「家計」として親の手元に残すのかを線引きすることで、継がない子への配分も考えやすくなります。帳簿や青色申告決算書に載っている資産をもとに整理すると、話が具体的になります。
4. 引継ぎの時期と方法
引継ぎの方法は、大きく「親が元気なうちに事業を渡す」か、「相続で引き継ぐ」かに分かれます。
| 比べる点 | 生前に事業を引き継ぐ | 相続で引き継ぐ |
|---|---|---|
| 親の関わり方 | 引継ぎ後も助言役として後継者を支えられる | 引継ぎの時点で親はいない |
| 契約・許認可 | 親が同席して取引先や金融機関に説明できる | 相続人が手続を進め、取引先の不安が生じやすい |
| 税金 | 贈与なら贈与税、売買なら親に譲渡所得の課税など、方法により異なる | 相続税(小規模宅地等の特例などの検討) |
| 家族の合意 | 生前に合意を形にしやすい | 遺言がなければ遺産分割協議が必要 |
※AEGISが論点を整理するために作成した表です。税負担の比較は個別事情によって異なります。
生前に引き継ぐ場合でも、すべてを一度に渡す必要はありません。まず経営(取引先対応や仕入れの判断)を任せ、資産の名義は段階的に移す方法もあります。
項目別:名義・屋号・取引先・借入れの引継ぎ方
事業用資産の名義
生前に事業用資産を子に移す方法には、贈与、売買、親が所有したまま子に貸す方法があります。贈与であれば子に贈与税、売買であれば親に譲渡所得の課税が生じうるなど、方法ごとに税金が異なります。在庫などの棚卸資産を贈与した場合には、贈与の時の価額が親の事業所得の収入金額に算入される点にも注意が必要です(所得税法40条1項)。
屋号
個人事業の屋号は、多くの場合、登記されていない呼び名として使われています。商人は自分の商号を登記することもできます(商法11条2項)。
注意したいのは、生前に営業を譲り受けた子が親の商号を引き続き使う場合、親の営業によって生じた債務について、子も弁済する責任を負うことがある点です(商法17条1項)。譲渡後遅滞なく、責任を負わない旨を登記するか、取引先に通知することで、この責任を避ける方法も定められています(同条2項)。屋号を使い続けるかどうかは、のれんの価値とあわせて家族で決めておきたい項目です。
取引先・賃貸借の契約
取引先との契約や店舗の賃貸借契約は、親が当事者です。契約上の地位を子に移すには、契約の相手方の承諾が必要です(民法539条の2)。家主や主要な仕入先には、引継ぎの方針が固まった段階で、親子そろって説明に行くのが望ましいでしょう。
借入れと保証
事業の借入れは親個人の債務です。子が債務を引き継ぐ場合、親を債務から外す形(免責的債務引受)では、金融機関の関与や承諾が必要になります(民法472条)。担保に入っている自宅や、親族が保証人になっている借入れがあれば、その扱いも含めて早めに金融機関と相談します。
許認可
個人事業では、事業の名義人が替われば、営業許可などを後継者が取り直す必要がある場合があります。業種によって手続や期間が異なるため、事業承継の準備段階で所管の窓口に確認しておくことが大切です。
税制や遺言は「家族の合意の後」に
家族の方針が固まったら、それを実現する手段として税制や遺言を検討します。
- 小規模宅地等の特例:事業に使っていた土地を相続する場合、事業を相続税の申告期限までに引き継ぎ、申告期限まで営んでいることなどが要件になります(国税庁タックスアンサーNo.4124)。
- 個人版事業承継税制:一定の事業用資産を相続や贈与で引き継ぐ場合の納税猶予の制度です。平成31年1月1日から令和10年12月31日までの相続等が対象で、令和10年9月30日までに「個人事業承継計画」を都道府県知事に提出し確認を受けることなどが要件です(国税庁タックスアンサーNo.4153)。制度の選び方は関連記事「個人版事業承継税制で個人事業を引き継ぐ」で解説しています。
- 遺言:事業用資産を後継者に集めるには、遺言で意思を明確にすることが基本です。継がない子の遺留分への配慮も欠かせません。遺言の書き方は関連記事「個人事業主が遺言で備えること」で扱っています。
親が亡くなった後の申告や事業の引継ぎの期限は、関連記事「個人事業主が亡くなったときの申告と事業の引継ぎ」で整理しています。
家族会議の進め方
家族会議は、一度で結論を出そうとしないことが大切です。次のような流れで、数回に分けて進めると話がまとまりやすくなります。
- 共有の回:親が事業の棚卸しの結果と、事業への想いを家族に伝える
- 意向を聞く回:後継者候補、継がない子、親の配偶者のそれぞれの考えを聞く
- 方針を決める回:四つの論点について方針を決め、残る課題を確認する
- 実行を確認する回:遺言や契約の切替えなど、決めたことの進み具合を確認する
話し合った内容は簡単なメモでも記録に残し、参加者で共有します。意見が対立しそうなときや、親子だけでは感情的になりやすいときは、事情を理解した第三者に同席してもらう方法もあります。家族会議を続けていくための工夫は、関連記事「家族会議(ファミリーミーティング)の続け方」で扱っています。
AEGISの視点
個人事業の承継というと、税金の特例や手続の話から入りがちです。しかし、AEGISが多くの家業を見てきて感じるのは、つまずきの多くは手続ではなく、家族の間の「言わずにいたこと」から生まれるということです。継がない子が「店も家も兄のものになるのか」と感じていたり、親の配偶者が自分の生活の見通しを持てずにいたりすると、手続が整っていても、相続のときに不満が表に出ます。
AEGISは、家業の承継を「事業」「家計」「家族」の三つを同時に引き継ぐことと考えています。事業の棚卸しで「事業」と「家計」の線を引き、家族会議で「家族」それぞれの立場を確認し、そのうえで税制・遺言・契約を組み合わせる。この順番を守ることで、制度は家族の合意を支える道具として機能します。相続の場面で家族がもめないための備えは、関連記事「個人事業主の親の相続で家族がもめないために」でも扱う予定です。
事業用資産の評価や相続税の試算を含めた資産税務の考え方は、アイジス税理士法人の専門領域でも紹介しています。事業承継の全体像は、関連記事「事業承継は何から始めるべきか」で解説しています。
まとめ
- 個人事業の承継は、事業用資産・屋号・契約・借入れ・許認可を一つずつ引き継ぐ作業で、開業届と廃業届だけでは完了しません。
- 家族会議の前に、親が事業に関わる財産と契約を棚卸しし、事業と家計が混ざっている部分を明らかにしておきます。
- 家族で決めたいのは、継ぐ子と継がない子への配分、親の配偶者の生活、事業と家計の線引き、引継ぎの時期と方法の四つです。
- 屋号を引き続き使う場合の債務の責任、契約の引継ぎに必要な相手方の承諾、借入れの扱いなど、項目ごとの注意点を押さえます。
- 税制や遺言は、家族の合意を実現する手段として、合意の後に検討します。
よくある質問
Q. 個人事業を子に継ぐとき、開業届と廃業届を出せば足りますか?
届出は必要ですが、それだけでは承継は完了しません。事業用資産の名義、取引先や家主との契約、借入れ、許認可などを、一つずつ後継者に引き継ぐ必要があります。事前に棚卸しをして、どの項目にどんな手続が必要かを確認しておくことが大切です。
Q. 屋号はそのまま子が使ってもよいのですか?
使うこと自体は可能です。ただし、生前に営業を譲り受けた子が親の商号を引き続き使う場合、親の営業上の債務について子も弁済責任を負うことがあります。責任を負わない旨を登記したり取引先に通知したりする方法も定められているため、借入れや未払いの状況とあわせて検討します。
Q. 店舗兼住宅は、子に引き継ぐべきですか?
事業を続けるうえで店舗部分が欠かせない一方、住居部分には親世代が住み続けることも多く、一律には決められません。子に名義を移す、親が持ったまま子に貸す、相続時に引き継ぐなどの選択肢を、親の配偶者の住まいや継がない子への配分、相続税の特例の要件とあわせて比べます。
Q. 継がない子が不公平だと感じないようにするには?
事業用資産を後継者に集める理由を親が自分の言葉で説明し、継がない子に何を渡すのかを具体的に示すことが大切です。金融資産や生命保険、自宅などで配分を考え、遺言にその考えを残しておくと、相続のときの誤解を減らせます。遺留分への配慮も欠かせません。
Q. 家族会議には誰が参加すればよいですか?
現経営者である親、後継者候補、継がない子、親の配偶者が基本です。後継者の配偶者は、価値観を共有する回には参加してもらい、財産の配分を決める回は相続人を中心にするなど、回ごとに参加範囲を分ける方法もあります。
関連するAEGISのソリューション
この記事のテーマに関連する、AEGISのソリューションです。
- 個人事業の継続と承継:個人事業を長く続け、次世代へ引き継ぐための準備として、事業資金・民事信託(いわゆる家族信託)・遺言・契約・金融機関対応を確認します。
- 事業承継:後継者・経営権・株式・資金・ご家族の意向を確認し、贈与・相続・売買・M&Aなどを比較しながら承継計画を検討します。
- 事業オーナーの方へ:会社と株式、ご家族の承継を一つの計画として整理する、AEGISの支援の流れをまとめています。
- 社会貢献型事業承継:自社株・経営権・ご家族への配分と、社会貢献の形を一つの設計として検討します。
- 不動産オーナーの方へ:3つの独自分析で承継の負担と資金を確認し、不動産ごとの方針を決める支援の流れをまとめています。
- 事業創造型土地活用:土地に合う事業を検討し、開業・運営と相続への備えを一体で設計します。
参考資料・出典
公的資料・一次情報
- 中小企業庁「事業承継ガイドライン(第3版)」(令和4年3月改訂)
https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/download/shoukei_guideline.pdf
確認日:2026-10-17 - e-Gov法令検索「民法」(第472条、第539条の2)
https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089/20260624_508AC0000000045
確認日:2026-10-17 - e-Gov法令検索「商法」(第11条、第17条)
https://laws.e-gov.go.jp/law/132AC0000000048/20260624_508AC0000000046
確認日:2026-10-17 - e-Gov法令検索「所得税法」(第40条)
https://laws.e-gov.go.jp/law/340AC0000000033/20261001_507AC0000000070
確認日:2026-10-17 - 国税庁 タックスアンサー No.4124「相続した事業の用や居住の用の宅地等の価額の特例(小規模宅地等の特例)」
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4124.htm
確認日:2026-10-17 - 国税庁 タックスアンサー No.4153「個人の事業用資産についての相続税の納税猶予及び免除(個人版事業承継税制)」
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4153.htm
確認日:2026-10-17
書籍
- 『資産家のためのファミリーガバナンスガイドブック 〜相続・事業承継・資産運用・ファミリーオフィス〜』辻・本郷 税理士法人 ファミリーオフィス事業部、辻・本郷 ファミリーオフィス株式会社、岩崎隼人 編著、東峰書房(2025年)、P.51-58
- 『なるほど税務 財産・事業・一族承継のノウハウ』鈴木豊 著、中央経済社(2014年)、P.22
