M&A(会社売却)の交渉が進むと、買い手は会社の中身を詳しく調べます。これをデュー・ディリジェンス(以下DD)といいます。DDでは、決算書や税務申告書だけでなく、株主名簿、取引先との契約書、就業規則、議事録など、多くの資料の提出と質問への回答が短期間に求められます。
結論から言えば、M&Aの前に整えるべきことは、会社の実態を、資料と言葉で「説明できる状態」にしておくことです。問題がまったくない会社はありません。大切なのは、問題を事前に把握し、買い手に説明できるよう準備しておくことです。この記事では、買い手から確認される事項を「会計」「契約」「組織」の3つに分け、売り手として何を整えておけばよいかを解説します。
買い手は何を確認するのか
DDの目的
買い手にとってDDは、買収してよいか、どのような条件なら買収できるかを判断するための調査です。中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」(令和6年8月改訂)でも、DDは譲り受け側が対象企業のリスクを精査するために行うものとされ、財務、法務のほか、ビジネス、税務、人事労務などの分野が挙げられています。
DDで見つかった事項は、次のような形で条件に反映されます。
- 価格の引下げ
- 取引の方法(株式譲渡か事業譲渡かなど)の変更
- クロージングまでに解消すべき条件の追加
- 最終契約での表明保証や補償の追加
- 取引そのものの見送り
つまり、DDで初めて見つかった問題は、売り手にとって交渉上の不利につながりやすいのです。
売り手が準備すべき理由
DDは、一般に数週間から数か月程度の短い期間に集中して行われます。日常業務を続けながら、限られた人員で膨大な資料要求に対応するのは、想像以上に負担の大きい作業です。
そのため、売り手側でも事前に自社を点検し、強みとリスクを把握しておくことが有効です。これは売り手側が行う自己点検という意味で、セラーズDD(売り手DD)と呼ばれることもあります。中小M&Aガイドラインでも、譲り渡し側の事前の取組みとして、株式や事業用資産の整理・集約といった「見える化」「磨き上げ」が挙げられています。
会計:数字の「実態」を説明できるか
買い手は決算書の数字をそのまま信用するのではなく、資産・負債の実際の価値と、会社の本来の収益力を確かめようとします。
貸借対照表:資産と負債の実態
- 売掛金:長期間回収されていないもの、取引先の経営状況から回収が見込みにくいものがないか
- 在庫:長く動いていない在庫、陳腐化した在庫が帳簿価額のまま残っていないか
- 不動産:帳簿価額と時価の乖離、事業に使っていない土地・建物の有無
- 退職金:従業員の退職給付や役員退職慰労金について、必要な引当てや規程があるか
- 簿外の負債:未払いの残業代、保証債務、係争中の案件など、帳簿に載っていない負担がないか
これらを時価や回収可能性で見直した貸借対照表は「実態貸借対照表」と呼ばれ、価格の議論の土台になります。売り手側で先に把握しておけば、買い手の指摘に慌てることがなくなります。
損益計算書:本来の収益力
買い手は、一時的な損益や、オーナー経営に特有の費用を除いた「正常な収益力」を見ようとします。
- 単発の大口取引や、災害・補助金などの一時的な要因
- オーナー個人に関係する費用(車両、保険、交際費など)が含まれていないか
- 役員報酬の水準が、売却後の経営体制と比べて妥当か
- 関係会社やオーナー一族との取引条件が、通常の取引と比べて妥当か
オーナー関連の費用を整理しておくと、本来の収益力が見えやすくなり、価格の議論も建設的になります。
税務:過去の申告を説明できるか
株式譲渡の場合、会社の過去の税務上の問題は、売却後もそのまま会社に残ります。そのため買い手は、過去数期分の税務申告の内容や、税務調査の履歴を確認します。
- 過去の税務調査で指摘を受けた事項と、その後の対応
- 役員給与、オーナー一族との取引、会社資産の私的利用など、税務上の論点になりやすい事項
- 繰越欠損金の有無と発生の経緯
- 消費税、源泉所得税など、法人税以外の税目の処理
事業計画:将来を説明できるか
買い手が最終的に判断するのは、「この投資を回収できるか」です。過去の決算書しかないと、買い手は将来を過去の延長、あるいはそれ以下として見積もりがちです。今後3〜5年程度の事業計画を、前提とともに示せるようにしておくと、将来についての建設的な議論がしやすくなります。
契約:引き継がれる約束事を把握しているか
株式:取引の「対象そのもの」
株式譲渡では、株式そのものが取引の対象です。株式の権利関係に疑問があると、取引自体が成り立たなくなることもあります。
- 株主名簿:作成・更新されているか、実際の株主と一致しているか
- 株主の変遷:設立から現在までの相続・売買・贈与などを、書類で裏付けられるか
- 名義株:名義上の株主と実際の出資者が異なる株式がないか
- 株券:株券を発行する会社か、発行している場合に株券がどこにあるか(株券発行会社では、株式の譲渡は株券を交付しなければ効力を生じません〔会社法128条1項〕)
- 税務申告書との整合:法人税申告書に記載された株主の情報と、株主名簿や実態が一致しているか
亡くなった株主の名義のままになっている、相続人の間で株式の帰属が決まっていない、といった問題は、売却の検討をきっかけに表面化することが少なくありません。親族間の話し合いが必要になる場合もあるため、早めの確認が重要です。
取引先との契約
- チェンジ・オブ・コントロール条項:株主の変更や経営権の移動があった場合に、相手方への通知・承諾が必要になる、あるいは契約を解除できるとする定めがないか
- 契約期間・更新・解除の条件:主要な契約がいつまで続くのか
- 競業避止・独占条項:M&A後の事業展開を制約する定めがないか
- 口頭だけの取引:契約書がないまま継続している重要な取引がないか
チェンジ・オブ・コントロール条項は、買い手のDDで初めて指摘されると対応が後手に回ります。主要な契約については、売り手側で事前に条項を確認しておきたいところです。
不動産・借入れ・許認可
- 不動産:会社が使う土地・建物は、会社所有か、オーナー個人所有か、第三者からの賃借か。オーナー個人との間に賃貸借契約書があるか
- 借入れ:金融機関との契約に、財務内容に関する制限条項(コベナンツ)や、株主変更に関する定めがないか。経営者保証の有無
- 許認可:事業に必要な許認可が、株主や代表者の変更後も維持できるか
- 知的財産:商標や特許が会社名義で登録されているか
組織:会社の運営ルールが機能しているか
意思決定の記録
取締役会や株主総会の議事録が作成・保管されているかは、法務DDで必ず確認される事項です。重要な取引(オーナーとの不動産売買や貸借など)について、必要な機関決定とその記録があるかも見られます。意思決定の記録は、税務上の説明資料としても重要です。
労務管理
近年、労務に関する事項は、DDで特に重視される分野の一つになっています。
- 労働時間を客観的に把握しているか
- 残業代を適正に計算・支払っているか(端数の切捨てや固定残業代の運用など)
- 就業規則や各種規程が実態と合っているか
- 社会保険・労働保険の手続きが適正か
- 有給休暇の取得状況
中小企業では許容されてきた運用が、買い手の基準では問題になる場合があります。未払いの残業代などは、簿外の負債として価格に影響することもあります。
人材と組織体制
- 社長以外のキーパーソンは誰か、売却後も残る見込みがあるか
- 組織図と権限の分担が明確か
- 経理を担う人材がいるか、DDの際に協力を得られるか
関係会社
本業との関係が薄い関連会社や、オーナー一族が持つ会社との取引がある場合、それらを売却の対象に含めるのか、事前に整理するのかを決めておく必要があります。
準備の進め方:一覧化から始める
ここまでの内容を、売り手側の準備チェック表としてまとめると次のようになります。
| 領域 | 準備しておきたい資料 | よく論点になる事項 |
|---|---|---|
| 会計 | 決算書・勘定科目内訳・試算表(過去数期分)、固定資産台帳、在庫の明細 | 回収困難な売掛金、滞留在庫、不動産の含み損益、退職金の引当て |
| 税務 | 法人税・消費税等の申告書(過去数期分)、税務調査の記録 | 役員給与、オーナー関連取引、繰越欠損金 |
| 株式 | 株主名簿、定款、株券の発行状況、株式の異動に関する書類 | 名義株、相続未了の株式、所在不明の株主 |
| 契約 | 主要取引先との契約書、不動産の賃貸借契約、借入契約、リース契約 | チェンジ・オブ・コントロール条項、オーナー個人との賃貸借、経営者保証 |
| 組織 | 議事録、就業規則・各種規程、組織図、労働時間の記録 | 未払残業代、規程と運用の乖離、キーパーソンの離職 |
| 将来 | 事業計画(3〜5年程度)、事業の強みを説明する資料 | 計画の前提の妥当性、社長依存の度合い |
※上記は一般的な例です。業種や会社の状況によって、確認される資料や論点は異なります。
準備は、次の順で進めると効率的です。
- 一覧化:上の表を手掛かりに、自社にある資料とない資料を洗い出す
- 優先順位付け:取引の成否に関わるもの(株式の権利関係など)から着手する
- 説明の準備:すぐに解消できない問題は、経緯と対応方針を説明できるようにしておく
- 更新の仕組み化:決算ごとに資料を更新し、いつでも出せる状態を保つ
実務上注意したいポイント
直前の「取り繕い」は逆効果になり得る
売却の直前に経費を絞って利益を大きく見せる、問題を伏せて交渉を進める、といった対応は、DDや売却後の調査で判明した場合、信頼を損ない、交渉の打ち切りや損害賠償の問題につながるおそれがあります。最終契約では、売り手が会社の状況について一定の事項が真実であることを表明し、違反があった場合に補償する「表明保証」の条項が設けられるのが一般的です。分かっている問題は、早めに把握し、開示の仕方を含めて準備しておくことが望まれます。
秘密の管理と協力者の確保
DDの対応には、経理や総務の担当者の協力が欠かせません。一方で、売却の検討が広く知られると、従業員や取引先の不安を招くことがあります。誰に、いつ、どこまで伝えるかを、あらかじめ考えておきましょう。
取引の方法によって確認される範囲が変わる
株式譲渡では会社の権利義務がそのまま引き継がれるため、買い手は会社全体を調査します。事業譲渡では、引き継ぐ資産・負債や契約を個別に選ぶため、確認の焦点が変わります。方法の違いについては、関連記事「株式譲渡と事業譲渡の比較ポイント」で解説しています。
AEGISの視点
M&Aの準備として会計・契約・組織を整える作業は、言い換えれば、会社の「ガバナンスの棚卸し」です。株主名簿を整え、会社と個人の取引を契約書で明確にし、意思決定を記録に残す。これらは、売却のためだけでなく、親族や社内への承継、金融機関との関係、そして相続のときにも、同じように求められるものです。
とくにオーナー経営の会社では、会社と個人、会社と関係会社の間に、長年の経緯で生まれた取引や資産の関係が積み重なっています。それらを一つずつ説明できる形にしていくと、どの資産を会社に残し、どの資産を個人や資産管理会社で持つべきかという、オーナー家全体の所有設計の論点が見えてきます。AEGISは、M&Aの準備を、事業と資産と承継を同時に見直す機会として捉えることを大切にしています。
会社売却の準備をいつから、どのような順で進めるかの全体像は、関連記事「会社売却を考えるなら何年前から準備するか」で解説しています。また、買い手の立場から見た確認事項は「会社を買う前に確認したいリスク」で整理しています。
まとめ
- M&Aでは、買い手が財務・税務・法務・労務などをDDで調査し、その結果が価格や条件に反映されます。
- 売り手として整えるべきことは、会社の実態を資料と言葉で説明できる状態にしておくことです。
- 会計では実態の資産・負債と本来の収益力、契約では株式の権利関係と主要な契約条項、組織では意思決定の記録と労務管理が主な論点です。
- 準備は、一覧化・優先順位付け・説明の準備・更新の仕組み化の順で進めると効率的です。
- 問題を隠すのではなく、事前に把握して説明できるようにしておくことが、交渉を円滑にします。
どの事項が自社にとって重要かは、業種や会社の状況などの個別事情によって異なります。
よくある質問
Q. DDではどのくらいの資料を求められますか?
案件や買い手によって異なりますが、決算書・税務申告書・勘定科目の明細、株主名簿や定款、主要な契約書、議事録、就業規則など、会社の財務・法務・労務の全般にわたる資料が求められるのが一般的です。資料ごとに優先順位と提出期限を買い手と確認しながら進めると、対応しやすくなります。
Q. 名義株があると、M&Aはできないのですか?
直ちにできなくなるわけではありませんが、誰が真の株主かを明確にしないまま株式を譲渡すると、後に権利をめぐる争いが生じるおそれがあります。そのため、買い手は名義株の整理を求めるのが通常です。経緯の確認や関係者との合意、税務上の取扱いの検討が必要になるため、早めに着手することが望まれます。
Q. 売り手が自分で事前調査(セラーズDD)をする必要はありますか?
必須ではありませんが、自社の問題点を先に把握できれば、解消できるものは事前に解消し、解消できないものは説明の準備ができます。買い手のDDで初めて問題を指摘されて価格を引き下げられる事態を避けるためにも、主要な論点だけでも事前に点検しておく価値はあります。
Q. チェンジ・オブ・コントロール条項がある契約は、M&Aの障害になりますか?
条項の内容によって影響は異なります。事後の通知で足りるものから、事前の承諾が必要なもの、契約解除の理由になり得るものまでさまざまです。重要な取引先との契約にこうした条項がある場合は、その内容と、相手方への伝え方・タイミングを事前に検討しておく必要があります。
Q. 労務の問題が見つかった場合、どうなりますか?
未払いの残業代などが見つかった場合、金額を見積もって価格に反映したり、クロージングまでの是正を条件としたり、表明保証の対象にしたりといった対応がとられるのが一般的です。事前に労働時間の管理や賃金計算の方法を点検し、必要に応じて是正しておくことが望まれます。
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参考資料・出典
公的資料・一次情報
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)―第三者への円滑な事業引継ぎに向けて―」(令和6年8月)
https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/download/m_and_a_guideline.pdf
確認日:2026-10-09 - e-Gov法令検索「会社法」(施行日2026-08-12版)
https://laws.e-gov.go.jp/law/417AC0000000086
確認日:2026-10-09
