所得が非常に高い人の税負担率が、かえって下がってしまう――いわゆる「1億円の壁」への対応として、令和5年度税制改正で「極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置」(法令上の名称は「特定の基準所得金額の課税の特例」)が設けられ、令和7年分から適用されています。
令和8年度税制改正では、この措置が強化されました。結論は次のとおりです。
- 特別控除額が3億3,000万円から1億6,500万円に引き下げられる
- 税率が22.5%から30%に引き上げられる
- 改正後の内容は令和9年(2027年)分以後の所得税に適用され、令和8年分以前は従前どおり
この措置で追加の負担が生じるのは、株式や土地建物の売却益など、税率が一律の分離課税の所得が大きい年です。会社の株式や大型の不動産を売却する予定があるオーナーは、売却の年や分け方によって税負担が変わり得るため、仕組みを理解したうえで計画を立てることが大切です。
制度の仕組み
なぜこの措置があるのか
日本の所得税は、給与や事業所得などに累進税率(最高45%)を適用する一方、上場株式等の譲渡益や配当、土地建物の譲渡益などは、所得の額にかかわらず一律の税率(所得税15%など)で分離課税されます。所得が非常に高い人ほど、こうした分離課税の所得の割合が大きくなるため、所得税の負担率が下がる傾向があります。令和8年度改正の解説(『改正税法のすべて(令和8年版)』)でも、所得が1億円を超えるような層で負担率が下がる「一億円の壁」が指摘されてきたことが、この措置の背景として説明されています。
計算の流れ
この措置は、通常の方法で計算した所得税とは別に、「最低限これだけは負担してもらう」という水準を計算し、通常の所得税がそれを下回る場合に、差額を追加で納める仕組みです。
- 基準所得金額を計算する(分離課税の所得も含めたその年の所得の合計)
- 基準所得金額から特別控除額を差し引き、税率を掛ける
- 2の金額が、通常の方法で計算した基準所得税額を上回る場合、その差額を所得税に加算する
算式にすると、「(基準所得金額-特別控除額)×税率-基準所得税額」がプラスになった部分が追加の負担です。
基準所得金額に含まれるもの・含まれないもの
国税庁の説明では、基準所得金額は合計所得金額と似ていますが、次の点が異なります。
- 含まれる:総所得金額、退職所得金額、山林所得金額、上場株式等の配当所得(申告分離課税を選んだもの)、土地建物等の長期・短期譲渡所得、一般株式等・上場株式等の譲渡所得等、先物取引に係る雑所得等
- 確定申告不要制度を使わなかったものとして計算:申告不要を選べる配当や源泉徴収口座の譲渡益も含めて計算します
- 特別控除の後の金額で計算:土地建物の譲渡では、居住用財産の3,000万円特別控除などの適用後の金額を使います
- 損失の繰越控除の後の金額で計算
- 含まれない:NISAなどの非課税となる所得や、源泉分離課税の対象となる所得
なお、令和8年度改正では、暗号資産の譲渡に係る申告分離課税の創設に伴い、一定の暗号資産の譲渡所得等も基準所得金額に加えられています(施行は関係法律の施行日の属する年の翌年1月1日)。
改正前と改正後の比較
| 項目 | 改正前(令和7年分・令和8年分) | 改正後(令和9年分以後) |
|---|---|---|
| 特別控除額 | 3億3,000万円 | 1億6,500万円 |
| 税率 | 22.5% | 30% |
| 計算式 | (基準所得金額-3億3,000万円)×22.5%-基準所得税額 | (基準所得金額-1億6,500万円)×30%-基準所得税額 |
| 対象となる人の目安 | - | 改正の解説では、過去の課税実績に当てはめると、平均的には約6億円以上の所得がある人が対象になると見込まれている |
| 増収見込額(平年度) | 現行制度部分 1,130億円 | 改正による増収 2,870億円(合計4,000億円) |
※租税特別措置法第41条の19、令和8年度税制改正の大綱、『改正税法のすべて(令和8年版)』の解説をもとにAEGISが作成。
確保された税収は、いわゆる教育無償化やガソリン・軽油の当分の間税率の廃止に係る財源に充てられるとされています。
どのくらいの所得から影響が出るか
影響が出る所得の水準は、所得の内訳によって大きく変わります。給与や事業所得が中心で、累進税率による所得税をすでに多く納めている人は、基準所得税額が大きいため、追加の負担は生じにくくなります。影響が大きいのは、その年の所得の大半が株式や土地建物の譲渡益である場合です。
AEGISの単純な試算として、その年の所得が上場株式等や非上場株式の譲渡益(所得税15%)だけで、復興特別所得税を含めた基準所得税額を15.315%と置いた場合の、この措置による追加の所得税の目安は次のとおりです。
| 譲渡益(基準所得金額) | 通常の所得税(15.315%) | 改正前の追加額 | 改正後の追加額 |
|---|---|---|---|
| 3億円 | 約4,595万円 | なし | なし |
| 5億円 | 約7,658万円 | なし | 約2,393万円 |
| 10億円 | 約1億5,315万円 | なし | 約9,735万円 |
| 20億円 | 約3億630万円 | 約6,945万円 | 約2億4,420万円 |
※AEGISによる概算です。追加額に対する復興特別所得税、令和8年度改正で創設された防衛特別所得税、住民税、他の所得や控除は考慮していません。実際の税額は個別の計算が必要です。
この前提では、改正前は約10億円を超えるあたりから追加の負担が生じていたのに対し、改正後は約3億4,000万円前後から追加の負担が生じる計算になります。株式や不動産の売却で数億円の譲渡益が見込まれる場合は、この措置の影響を前提に試算することが必要になります。
株式・不動産の大型売却で考えたいこと
売却の年をどう考えるか
この措置は暦年ごとに計算されます。そのため、同じ年に複数の大きな譲渡が重なると、基準所得金額が膨らみ、追加の負担が大きくなります。たとえば、会社の株式の売却と、オーナー個人が持つ不動産の売却が同じ年に重なる計画であれば、どちらかの時期をずらせないかを検討する余地があります。
また、改正後の内容は令和9年分から適用されるため、令和8年中に売却が完了するか、令和9年以後になるかで計算方法が異なります。ただし、売却の時期は、買い手の事情、価格、事業の状況など税金以外の要素で決まることが多く、税負担だけを理由に取引を急いだり遅らせたりすることは、かえって不利になることもあります。
分割して売却する場合の注意点
株式や不動産を複数年に分けて売却すれば、各年の基準所得金額は小さくなります。一方で、次の点に注意が必要です。
- 分割すると、買い手にとって支配権の取得が段階的になり、価格や条件に影響することがある
- 残りの部分の価格が将来下がるリスクを負う
- 実態として一つの取引であるのに、形式だけ分けたと見られる契約は、税務上の説明が難しくなる
分けることに経済的な合理性があるかを、取引条件とあわせて検討することが前提です。
退職金や所有形態との関係
会社の売却では、株式の対価と役員退職金を組み合わせる方法が検討されることがあります。ただし、退職所得金額も基準所得金額に含まれるため、退職金に振り替えれば必ずこの措置の影響を避けられるわけではありません。退職金の適正額や会社側の損金算入の要件も含めて、総合的に判断します。株式の対価と退職金の配分の考え方は、関連記事「会社売却と役員退職金の組み合わせ」で整理しています。
不動産を個人で持つか、資産管理会社などの法人で持つかによっても、売却時の課税関係は変わります。法人が売却すれば、この措置ではなく法人税の対象になりますが、その後に利益を個人に配る段階での課税や、法人に移す段階の課税も考える必要があり、単純な比較はできません。
申告で気をつけること
国税庁の案内では、この措置の適用がある場合は確定申告不要制度を利用できず、すべての所得を記載した申告書を作成する必要があるとされています。また、基準所得金額が大きくなることで、合計所得金額を要件とする各種控除の適用に影響が出る場合もあります。売却の年は、申告の準備と納税資金の確保を早めに進めておくことが大切です。
実務上注意したいポイント
- 改正後の内容は令和9年分以後:令和8年分までは特別控除額3億3,000万円・税率22.5%で計算します。
- 住民税は対象外:この措置は所得税の特例です。
- 特別控除後の金額で計算:居住用財産の特別控除など、譲渡所得の特別控除を適用した後の金額が基準になります。
- NISAの所得は含まれない:非課税口座内の譲渡益や配当は基準所得金額に含まれません。
- 納税資金の確保:追加の負担は確定申告で納めるため、源泉徴収や特定口座の税額だけでは足りないことがあります。
- 具体的な税額は個別計算:他の所得や控除、税額控除の有無によって結果は大きく変わります。
AEGISの視点
この改正は、「一部の超高所得者だけの話」と受け止められがちです。しかしAEGISは、事業や資産を一度に現金化する年には、普段は高所得ではないオーナーも対象になり得る点に注目しています。長年育てた会社の株式や、先代から受け継いだ土地を売る年は、一生に一度の高所得の年になることがあるからです。
だからこそ、売却の計画では「売却価格」だけでなく、税引後にいくら残るか、それをどう使い、誰に引き継ぐかまでを一つの流れとして考えることが大切です。売却の時期や分け方を検討するときも、税負担の差だけでなく、買い手との関係、価格の変動リスク、売却後の資産の持ち方、そして将来の相続まで含めて判断する――その積み重ねが、オーナーとご家族にとって納得のいく出口につながるとAEGISは考えています。
高所得者の所得税の全体像は関連記事「高所得者の所得税・住民税の全体像」で、不動産売却の税引後手取りの考え方は「不動産を売却したとき、税引後にいくら残るか」で解説しています。改正情報を自分の計画に引き寄せる考え方は「税制改正は自分の承継計画に関係するか」をご覧ください。
資産税務や承継に関わる論点についてのAEGISの考え方は、アイジス税理士法人の専門領域でも紹介しています。
まとめ
- 極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置は、分離課税の所得を含めた基準所得金額から一定額を差し引いて税率を掛けた額が、通常の所得税を上回る場合に差額を追加で課税する仕組みです。
- 令和8年度改正により、令和9年分以後は特別控除額が1億6,500万円、税率が30%になります。
- 所得の大半が株式や土地建物の譲渡益である場合、改正後は単純計算で約3億4,000万円前後から追加の負担が生じ得ます。
- 大型売却の年や分け方、退職金や所有形態の選択は、税負担だけでなく取引条件や将来の承継まで含めて判断します。
- 退職所得も基準所得金額に含まれ、申告不要制度は使えないなど、申告面の注意点もあります。
よくある質問
Q. 改正後の内容はいつから適用されますか?
令和9年(2027年)分以後の所得税に適用されます。令和8年分以前の所得税は、改正前の特別控除額3億3,000万円・税率22.5%で計算します。
Q. 給与所得が高い人も対象になりますか?
基準所得金額には給与所得も含まれますが、給与所得には累進税率が適用されるため、通常の所得税(基準所得税額)がすでに大きくなっています。そのため、所得の大半が給与である場合は、追加の負担は生じにくいと考えられます。影響が大きいのは、株式や土地建物の譲渡益など、一律の税率で課税される所得が大きい年です。
Q. 不動産を売って3,000万円の特別控除を使った場合はどうなりますか?
国税庁の説明では、土地建物等の譲渡所得は、特別控除に関する規定を適用した後の金額で基準所得金額を計算します。居住用財産の3,000万円特別控除などを適用した後の譲渡所得が基準になります。
Q. 住民税にも追加の負担がありますか?
この措置は所得税の特例であり、住民税に同様の仕組みはありません。ただし、株式や土地建物の譲渡益には通常どおり住民税がかかります。
Q. 売却を令和8年中に済ませたほうがよいですか?
令和8年分までは改正前の計算方法が適用されるため、計算上の負担が軽くなる場合はあります。しかし、売却の時期は価格、買い手の条件、事業の状況など、税金以外の要素の影響が大きいものです。税負担の差を試算したうえで、取引全体として有利かどうかを判断することが大切です。
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参考資料・出典
公的資料・一次情報
- e-Gov法令検索「租税特別措置法」第41条の19(施行中の版:令和8年10月1日施行)
https://laws.e-gov.go.jp/law/332AC0000000026/20261001_508AC0000000012
確認日:2026-10-10 - e-Gov法令検索「租税特別措置法」第41条の19(令和9年1月1日施行の版:所得税法等の一部を改正する法律〔令和8年法律第12号〕による改正後)
https://laws.e-gov.go.jp/law/332AC0000000026/20270101_508AC0000000012
確認日:2026-10-10 - 財務省「令和8年度税制改正の大綱」(令和7年12月26日閣議決定)
https://www.mof.go.jp/tax_policy/tax_reform/outline/fy2026/20251226taikou.pdf
確認日:2026-10-10 - 『改正税法のすべて(令和8年版)』「租税特別措置法等(所得税関係)の改正」第四 一「特定の基準所得金額の課税の特例の改正」
確認日:2026-10-10 - 国税庁 タックスアンサー No.2270「特定の基準所得金額の課税の特例」(令和8年4月1日現在法令等)
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/shotoku/2270.htm
確認日:2026-10-10 - 国税庁「租税特別措置法第41条の19(特定の基準所得金額の課税の特例)(~極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置~)関係通達について(情報)」
https://www.nta.go.jp/law/joho-zeikaishaku/shotoku/shinkoku/251219/index.htm
確認日:2026-10-10
書籍
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