カテゴリー: 事業承継

会社を誰に、どのように引き継ぐか。経営権、株式、資金、ご家族への配慮を整理するための解説をまとめています。

  • 医療法人の事業承継と出資持分の整理|出資の評価・払戻請求への備え・持分なし医療法人への移行をどう考えるか

    医療法人の事業承継と出資持分の整理|出資の評価・払戻請求への備え・持分なし医療法人への移行をどう考えるか

    持分のある医療法人を次の世代に引き継ぐときは、「誰が法人を運営するか(社員・理事長)」と「誰が出資持分という財産を持つか」を分けて整理することが出発点です。

    医療法人は剰余金の配当が禁止されているため、利益が法人の中に積み上がりやすく、出資持分の評価が知らないうちに大きくなっていることがあります。その結果、理事長の相続で多額の相続税がかかる、親族の出資者が退社する際に高額の払戻しを求められる、といった事態が承継の障害になり得ます。

    選択肢は大きく、①持分を残したまま計画的に後継者へ移す、②出資者全員が持分を放棄して「持分の定めのない医療法人」へ移行する、の2つです。②には、厚生労働大臣の認定を受けて移行する「認定医療法人」の制度があり、税務上の特例と組み合わせて使えます。この認定を受けられる期限は、2026年10月時点で令和11年(2029年)12月31日までとされています。

    この記事では、出資持分が承継で問題になる理由、持分を残す場合と移行する場合の考え方、判断の順番を整理します。

    持分のある医療法人とは

    医療法人には社団と財団があり、社団たる医療法人には「持分の定めのあるもの」と「持分の定めのないもの」があります。持分の定めのある社団医療法人では、出資者が出資額に応じた財産的な権利(出資持分)を持ち、定款の定めにより、退社時の払戻しや解散時の残余財産の分配を受けられる仕組みになっているのが一般的です。

    平成19年4月以降は、持分の定めのある社団医療法人を新たに設立することはできなくなりました。それ以前に設立された法人は、当分の間「経過措置医療法人」として存続が認められています。厚生労働省の公表資料によると、令和8年3月31日現在、医療法人59,893法人のうち、持分のある社団医療法人は35,104法人で、なお多数を占めています。

    承継を考えるうえで押さえたい医療法人の特徴は次の3つです。

    • 剰余金の配当ができない(医療法第54条)。利益は内部に留保され、純資産が増えていきます。
    • 社員総会の議決権は社員1人につき1個(医療法第46条の3の3)。出資の多寡と議決権は結びついていません。
    • 出資者と社員は必ずしも一致しない。出資持分を持たない社員や、社員でない出資者が存在し得ます。

    このため、医療法人の承継では「出資持分を誰に移すか」と「社員総会・理事会を誰が担うか」を、それぞれ確認する必要があります。

    出資持分が承継の障害になる3つの場面

    出資持分が問題になるのは、主に次の3つの場面です。AEGISでは、承継の検討に入る前に、この3つのどこに自院のリスクがあるかを確認することをおすすめしています。

    場面何が起きるか確認すること
    理事長などの相続出資持分が相続財産となり、評価額に応じて相続税がかかる出資持分の相続税評価額、納税資金、後継者以外の相続人への配分
    出資者の退社定款の定めに従い、退社した出資者が払戻しを請求できる定款の払戻条項の文言、払戻しに応じた場合の資金繰り
    持分の分散相続のたびに出資者が増え、法人運営と無関係な出資者が生じる出資者名簿と社員名簿、親族間の関係

    相続税:出資持分は「取引相場のない株式」に準じて評価される

    持分の定めのある社団医療法人の出資は、相続税の計算上、取引相場のない株式に準じて評価されます(財産評価基本通達194-2)。国税庁の質疑応答事例では、類似業種比準方式を用いる場合の業種目は「その他の産業」、会社規模の区分は「小売・サービス業」によるとされています。

    医療法人は配当ができず、出資と議決権も結びついていないため、出資者は原則としてすべて同じ評価方式(原則的評価方式)で評価されることになります。少数の出資者だから低い評価で済む、とは限らない点に注意が必要です。

    内部留保が厚い医療法人ほど純資産価額が大きくなり、評価額も高くなる傾向があります。最近の決算書をもとに、一度試算しておくことが判断の起点になります。

    払戻請求:定款の文言で金額が大きく変わる

    出資者が退社した場合の払戻しは、法律に明文の規定がなく、各医療法人の定款に従います。古い定款例に沿って「出資額に応じて払戻しを請求できる」と定めている法人では、払戻額が当初の出資額にとどまらず、法人の財産の評価額に出資割合を乗じた額として算定される可能性があります。内部留保が大きい法人では、払戻しに応じることで資金繰りや診療の継続に影響が出かねません。

    払戻しを受けた側にも課税が生じます。所得税法では、法人からの退社による持分の払戻しで、出資に対応する金額を超えて受け取った部分は配当とみなされます(所得税法第25条)。払戻しの問題は、法人と出資者の双方の税負担まで含めて考える必要があります。

    分散:出資者の把握が出発点

    相続を重ねると、診療に関わっていない親族が出資者になっていることがあります。まずは出資者名簿と社員名簿を突き合わせ、「誰が、どれだけの出資持分を持ち、誰が社員か」を一覧にすることが、どの選択肢をとる場合にも最初の作業です。

    持分を残したまま承継する場合の考え方

    出資持分を残したまま後継者に引き継ぐ場合は、株式会社の自社株承継と同じように、評価額を見ながら移転の方法と時期を組み合わせていきます。

    • 生前に移す:後継者への贈与や譲渡で、計画的に出資持分を移します。評価額が下がる時期(大きな設備投資の後や、役員退職金の支給後など)を見ながら進めるのが一般的です。
    • 相続で移す:遺言で後継者に出資持分を集める設計です。他の相続人の遺留分との関係も確認が必要です。
    • 社員の交代と組み合わせる:出資持分の譲渡だけでは社員の地位は移りません。定款に従った社員の入社・退社の手続や、理事・理事長の選任をあわせて行います。

    評価の仕組みは、自社株の評価と共通する部分が多くあります。原則的評価方式と配当還元方式の違いなどは、関連記事「非上場株式の評価方法をどう検討するか」で解説しています。

    ただし、持分を残す限り、相続税と払戻しのリスクは次の世代にも引き継がれます。後継者自身が将来同じ問題に直面することも見据えて判断する必要があります。

    持分なし医療法人へ移行する場合の考え方

    もう一つの選択肢は、出資者全員が出資持分を放棄し、定款を変更して「持分の定めのない医療法人」に移行する方法です。定款の変更には社員総会の決議と都道府県知事の認可が必要です(医療法第54条の9)。いったん移行すると、持分のある医療法人に戻ることはできません。

    移行に伴う課税の基本

    国税庁の文書回答事例(平成17年4月27日回答)では、個人の出資者が持分なしの医療法人への移行に伴って出資持分を放棄する場合、譲渡所得の課税は生じないと解されています。

    一方、医療法人の側では、出資持分の放棄によって受ける経済的利益について、出資者の親族等の相続税・贈与税の負担が不当に減少すると認められるときは、法人を個人とみなして贈与税が課税される仕組みがあります(相続税法第66条第4項)。役員等の親族割合の制限などの要件を満たして「不当減少」に当たらない形で移行するか、次の認定医療法人制度を利用するかが、実務上の分かれ道になります。

    認定医療法人制度と税制上の特例

    認定医療法人制度は、持分なし医療法人への移行計画について厚生労働大臣の認定を受け、計画に沿って移行を進める仕組みです。厚生労働省の案内(令和8年9月15日更新)では、制度の期限は令和11年12月31日までとされています。税制上は、主に次の特例が設けられています(租税特別措置法第70条の7の9〜第70条の7の14)。

    特例内容留意点
    医療法人が受ける経済的利益への贈与税を課さない特例認定医療法人が移行期限までに持分なし医療法人へ移行する際、出資者の放棄による経済的利益に相続税法第66条第4項を適用しない移行後6年を経過する日までに認定が取り消されると、法人を個人とみなして贈与税が課される
    相続税の納税猶予・免除相続で出資持分を取得した相続人について、申告期限に認定医療法人であれば、持分に対応する相続税の納税を移行期限まで猶予し、期限までに持分をすべて放棄すれば免除担保の提供が必要
    相続税の税額控除相続開始から申告期限までに持分を放棄した場合、放棄に相当する相続税額を控除申告期限までに払戻しを受けた場合などは適用できない
    贈与税の納税猶予・税額控除他の出資者の放棄により残った出資者が受ける経済的利益への贈与税について、猶予・控除を受けられる移行計画どおりに進めることが前提

    すでに相続が発生している場合は、相続税の申告期限(相続の開始を知った日の翌日から10か月以内)までに認定を受けている必要があるとされています。認定の申請から決定までには時間を要するため、制度の期限が近づくほど余裕がなくなる点に注意が必要です。

    移行後に変わること

    持分なし医療法人になると、出資持分という個人の財産はなくなり、相続税や払戻しの問題は生じなくなります。その代わり、法人の財産を出資者個人に戻す道は閉じられます。解散時の残余財産も、国・地方公共団体や他の医療法人など一定の者に帰属させることになります(医療法第44条第5項)。

    医療法人の運営は、引き続き社員総会と理事会が担います。移行後の承継は、財産の移転ではなく、社員と理事・理事長の交代によって行うことになります。

    判断の順番

    AEGISでは、次の順番で検討を進めることをおすすめしています。

    1. 現状の把握:出資者・社員の一覧、定款の払戻条項、直近の決算書をそろえる
    2. 評価の試算:出資持分の相続税評価額と、払戻しを求められた場合の想定額を試算する
    3. 後継者と体制の確認:後継者となる医師がいるか、社員総会・理事会をどう構成するか
    4. 選択肢の比較:持分を残して移すか、移行するか。移行するなら、要件を満たして移行するか、認定医療法人制度を使うか
    5. 期限の逆算:認定の期限や、相続が起きた場合の申告期限から逆算して工程を組む

    個人開設の診療所を引き継ぐ場合の手続は、関連記事「個人開業医の診療所を引き継ぐ方法」で、これから医院を法人化する場合の考え方は「個人の医院を医療法人にするとき」で扱っています。

    実務上注意したいポイント

    • 定款を最初に読む:払戻条項、社員の入社・退社の手続、残余財産の帰属先の定めは、法人ごとに異なります。
    • 出資者全員の合意が必要:持分なしへの移行は、出資者全員の放棄が前提です。親族関係が複雑な場合は、合意形成に最も時間がかかります。
    • 移行後の運営要件を確認する:認定医療法人の特例は、移行後も一定期間、運営に関する要件を満たし続けることが前提です。
    • 後継者がいない場合も早めに:医師の後継者がいない場合、第三者への承継や合併、解散も選択肢になります。どの道を選ぶ場合も、出資持分の整理は避けて通れません。
    • 個別事情で結論が変わる:特例の適用の可否や税額は、法人と家族の状況によって異なります。

    AEGISの視点

    医療法人の承継相談では、「持分なしに移行すべきか」という問いから始まることが少なくありません。しかしAEGISは、その前に「この医療法人を、誰の、何のための器として次の世代に残したいのか」を確認することが大切だと考えています。

    出資持分は、理事長家族にとっては大きな財産です。一方で、地域医療を担う法人にとっては、払戻しや相続のたびに経営の安定を揺るがしかねない要素でもあります。持分を残すことは家族の財産を守る選択であり、移行することは法人の永続性を優先する選択です。どちらが正しいかではなく、家族の資産全体(自宅や診療所の不動産、金融資産、退職金)と、法人の将来像をあわせて見たうえで、どこに線を引くかの問題です。

    また、医療法人の承継は、自社株の承継と比べて「経営権(社員・理事)」と「財産権(出資持分)」のずれが大きいのが特徴です。承継計画では、この二つを別々の欄に書き出し、それぞれ誰に、いつ移すのかを明確にしておくことが、親族間の行き違いを防ぐ第一歩になります。

    事業承継の全体像は、Pillar記事「事業承継は何から始めるべきか」で整理しています。

    承継に関わる資産構造や評価の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 持分のある医療法人の承継では、社員・理事長(経営)と出資持分(財産)を分けて整理します。
    • 出資持分は取引相場のない株式に準じて評価され、内部留保が厚いほど相続税や払戻しの負担が大きくなりやすくなります。
    • 持分を残して計画的に移すか、持分なし医療法人へ移行するかが大きな分かれ道です。
    • 認定医療法人制度の認定期限は、2026年10月時点で令和11年12月31日です。相続発生時は申告期限までの認定が必要とされます。
    • 具体的な評価額や特例の適用可否は、法人と家族の個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. 持分のある医療法人の出資は、相続税でどのように評価されますか?

    取引相場のない株式に準じて評価されます(財産評価基本通達194-2)。医療法人は配当ができず、出資と議決権が結びついていないため、出資者は原則として同じ評価方式で評価されます。内部留保が大きいほど評価額は高くなる傾向があるため、決算書をもとに試算しておくことをおすすめします。

    Q. 出資者が退社すると、出資額だけを返せばよいのですか?

    定款の定め方によります。出資額を限度とする定め(いわゆる出資額限度法人)であればその範囲になりますが、出資額に応じて払い戻す旨の定めの場合は、法人の財産の評価額をもとに算定される可能性があります。払戻しを受けた側では、出資を超える部分が配当とみなされて課税されます。

    Q. 認定医療法人の制度は、いつまで使えますか?

    厚生労働省の案内では、制度の期限は令和11年12月31日までとされ、その日までに移行計画の認定を受ける必要があります。税制上の特例も、この期間内に認定を受けた医療法人が対象です。期限直前は手続が混み合う可能性があるため、早めの検討が望まれます。

    Q. 理事長が亡くなった後からでも、納税猶予の特例は使えますか?

    相続税の申告期限において認定医療法人であれば、出資持分に対応する相続税の納税猶予を受けられる可能性があります。また、申告期限までに持分を放棄した場合の税額控除の特例もあります。いずれも申告期限までに認定を受けている必要があるとされるため、相続後すぐに検討を始めることが大切です。

    Q. 持分なし医療法人に移行すると、家族には何も残らないのですか?

    出資持分という財産はなくなりますが、理事長などの役員として受け取る報酬や退職金、医療法人に貸している個人所有の不動産などは、移行後も家族の財産として残り得ます。移行を検討する際は、法人の外にある家族の資産も含めて、全体のバランスを見ることが重要です。

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    • 事業承継:後継者、経営権、株式、資金、ご家族の意向を確認し、贈与・相続・売買・M&Aなどを比較しながら承継計画を検討します。
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    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『令和8年版 非上場株式の評価の仕方と記載例』松本好正 著、大蔵財務協会、P.469-489
    • 『Q&A医療機関の組織変更の実務と税務 第3版』税理士法人山田&パートナーズ 編、財経詳報社、P.29-44、P.209-234
    • 『Q&A各種法人の事業承継の実務』東京弁護士会親和全期会 編、新日本法規出版、P.113-120
  • 役員借入金が多い会社の事業承継|社長の貸付金は相続でどう扱われ、承継前に何を整理すべきか

    役員借入金が多い会社の事業承継|社長の貸付金は相続でどう扱われ、承継前に何を整理すべきか

    会社の貸借対照表に「役員借入金」が大きく計上されている会社は少なくありません。創業期や業績が厳しい時期に社長が個人資金を会社に入れた、役員報酬を未払いのまま会社に残した——理由はさまざまですが、事業承継の場面では、この役員借入金が見落とされやすい論点になります。

    結論からいうと、社長が会社に貸しているお金は、社長個人から見れば「会社に対する貸付金債権」という財産です。相続が起きれば相続財産となり、原則として返済されるべき金額(元本)で評価されます。会社に返済する余力がなくても、それだけで評価が下がるわけではありません。

    そのため、役員借入金が多い会社では、承継の前に「返してもらうのか、誰に引き継ぐのか、消してしまうのか」を決めておくことが重要です。この記事では、相続での扱いと、整理の方法ごとの課税の違い、判断の進め方を整理します。

    役員借入金は「会社の負債」であり「社長の財産」でもある

    役員借入金は、同じ一つの貸し借りを、二つの側から見たものです。

    • 会社から見ると:社長に返さなければならない負債(役員借入金)
    • 社長から見ると:会社から返してもらえる財産(貸付金債権)

    承継の場面では、この二面性がそれぞれ別の問題を生みます。社長個人の側では相続財産として相続税の課税対象になり、会社の側では、後継者が経営する会社が先代の相続人に返済義務を負い続けることになります。

    中小企業庁の事業承継ガイドラインでも、承継に向けた現状把握の項目として、経営者と会社の間の貸借関係を含め、会社と個人の関係を明確にすることが挙げられています。会社とオーナーの資金のやり取り全般の整理については、関連記事「資産管理会社と事業会社の資金管理」で扱っています。本記事では、承継時の処理に絞って考えます。

    相続ではどう評価されるか

    原則は「返済されるべき金額」

    財産評価基本通達では、貸付金や未収入金などの「貸付金債権等」は、元本の価額(返済されるべき金額)と、課税時期までの既経過利息の合計額で評価するとされています(評価通達204)。役員借入金は無利息であることが多いため、実際には帳簿上の残高がそのまま相続財産の価額になるのが通常です。

    回収不能として除外できる場面は限られる

    評価通達205では、債務者について破産手続や民事再生、会社更生、特別清算の開始があった場合、手形交換所等の取引停止処分を受けた場合、事業を廃止したり6か月以上休業したりしている場合など、回収が不可能または著しく困難と見込まれる一定の場合に、その部分を元本の価額に算入しないとしています。

    裏を返せば、会社が赤字である、債務超過であるといった事情だけで、貸付金の評価を下げられるわけではありません。事業を続けている会社に対する役員借入金は、会社に返済余力がなくても額面で相続財産になると考えておく必要があります。

    相続人の側で起きること

    役員借入金が相続財産になると、次のような問題が生じやすくなります。

    • 納税資金の不足:貸付金債権は相続税の課税対象になりますが、すぐに現金化できるとは限りません。
    • 後継者以外の相続人が債権を取得した場合:後継者でない家族が会社に返済を求めることができる立場になり、会社の資金繰りや家族関係に影響します。
    • 遺産分割の難しさ:額面どおりに評価される一方で、実際に回収できるかは会社次第という財産は、家族の間で分け方の合意が得にくくなります。

    相続税の申告・納税の期限は、相続の開始を知った日の翌日から10か月以内です。役員借入金が大きい場合は、この期限までの資金の見通しも含めて考える必要があります。

    承継前に検討したい整理の方法

    役員借入金の整理には、いくつかの方法があります。それぞれ、社長個人・会社・他の株主に生じる課税関係が異なります。

    整理の方法社長個人の財産会社への影響主な注意点
    返済を受ける貸付金が現金に変わる(財産額は変わらない)資金が流出する会社の資金繰り、返済原資の確保
    後継者へ贈与する贈与した分だけ財産が減る債権者が後継者に替わる後継者に贈与税、他の家族との公平
    債権放棄(債務免除)する放棄した分だけ財産が減る債務免除益が生じる法人税の課税、株価上昇によるみなし贈与
    DES(債権の株式化)を行う貸付金が株式に変わる負債が資本に変わる債権の時価評価、株式評価への影響
    役員退職金と組み合わせる退職金で清算・充当退職金の損金算入の検討支給額の妥当性、退任の実態
    遺言で行き先を決める相続時に後継者等へ債権者が後継者に替わる相続税は課税される、遺留分

    以下、主な論点を見ていきます。

    返済を受ける

    最も単純なのは、会社の資金で計画的に返済してもらう方法です。ただし、返済を受けても社長個人の財産は「貸付金」から「現金」に変わるだけで、相続財産の総額は減りません。その一方で、現金は納税資金や他の家族への配分に充てやすくなるため、財産の「形」を整える意味があります。会社の資金繰りに無理のない範囲で、返済計画を立てることが前提です。

    後継者へ贈与する

    貸付金債権を、生前に後継者へ贈与する方法です。債権者が後継者に替われば、将来、後継者が経営する会社が他の家族から返済を求められる事態は避けられます。一方で、後継者には贈与税がかかります。暦年課税と相続時精算課税のどちらを使うかによって負担や相続時の扱いが異なるため、関連記事「生前贈与と相続をどう使い分けるか」もあわせて検討するとよいでしょう。

    債権放棄(債務免除)する

    社長が会社に対する債権を放棄すると、社長個人の財産はその分減ります。しかし、会社の側では債務が消える分だけ債務免除益が生じ、法人税の課税対象(益金)になります(法人税法22条2項)。繰越欠損金があれば相殺できる場合もありますが、欠損金の範囲を超える放棄は会社に税負担を生じさせます。

    さらに注意したいのが、他の株主へのみなし贈与です。相続税法9条(みなし贈与)の取扱いを定めた相続税法基本通達9-2では、同族会社が対価を受けずに債務の免除を受けたことにより、その会社の株式の価額が増加した場合には、株主が、その増加した部分に相当する金額を、債務の免除をした者から贈与によって取得したものとして取り扱うとされています。社長以外の家族が株主になっている会社では、債権放棄が家族への贈与として課税される可能性があるということです。

    なお、会社が法的な整理手続に入ったり、債権者集会の協議などで再建のために負債整理に入ったりするなど、資力を喪失した場合には、債務超過額に相当する部分は贈与として扱わないとされています(同通達9-3)。ただし、単に一時的に債務超過となっているだけの場合はこれに当たらないとされています。

    DES(債権の株式化)を行う

    DES(デット・エクイティ・スワップ)は、社長の貸付金を会社に現物出資し、株式に置き換える方法です。負債が資本に変わるため会社の財務内容は改善しますが、税務上は、出資された債権を時価で評価する必要があります。会社が実質的に債務超過であれば債権の時価は額面を下回り、その差額が会社の債務消滅益として課税される可能性があります。

    また、社長個人の財産は「貸付金」から「自社株式」に変わるため、相続時には自社株式の評価の問題になります。専門書籍では、DESの実行から相続までの期間が短い場合に、株式の評価方法について課税当局から指摘を受けた事例も紹介されています。承継直前の駆け込みではなく、時間的な余裕をもって検討すべき方法といえます。

    役員退職金と組み合わせる

    先代が退任する際に支給する役員退職金を、役員借入金の返済と組み合わせて整理する考え方もあります。退職金の支給額や時期の考え方は、関連記事「役員退職金はいつ・いくら支給するか」で整理しています。

    M&Aで第三者に承継する場合

    第三者への株式譲渡では、役員借入金はクロージング時に全額精算されるのが一般的です。専門書籍でも、譲渡契約で貸借関係を特定し、完済を実行の条件として明記する実務が紹介されています。会社に返済原資がない場合は、買い手が資金を手当てすることもあります。

    借入金を放棄してその分を株式の譲渡価格に上乗せする方法も考えられますが、売り手にとっては、本来は課税されない貸付金の回収が、課税対象となる株式の譲渡代金に置き換わることになり、会社の側にも債務免除益が生じます。一般には選択しにくい方法とされています。

    実務上注意したいポイント

    • まず残高の内訳を確認する:いつ、何のために生じた借入金か、未払の役員報酬が含まれていないかを確認します。契約書や議事録がない場合は、この機会に整えます。
    • 会社に返済する力があるかを見極める:返済計画が現実的でなければ、贈与・DES・放棄などとの組み合わせを検討します。
    • 株主構成を確認してから放棄を検討する:社長以外の株主がいる会社では、債権放棄が株主へのみなし贈与になる可能性があります。
    • 反対方向の貸し借りも確認する:会社から社長への貸付金(役員貸付金)がある場合は、相殺の可否や利息の扱いも含めて整理します。
    • 遺言で行き先を決めておく:整理が間に合わない場合でも、遺言で後継者に債権を取得させておけば、他の家族が会社の債権者になる事態を避けられます。

    AEGISの視点

    役員借入金は、多くの場合、オーナーが会社を支えてきた歴史そのものです。苦しい時期に個人の資金を入れ、報酬を後回しにしてきた結果として残っているものだからこそ、オーナー自身が「いずれ返してもらう財産」とは意識していないこともあります。

    しかし承継の場面では、この「意識されていない財産」が、相続税の課税対象になり、場合によっては家族と会社の間の債権債務として残ります。AEGISは、役員借入金を単なる会計上の残高ではなく、事業承継計画の「財産」と「家族」の両方にまたがる論点として扱うべきだと考えています。

    整理の方法に唯一の正解はありません。会社の資金繰り、株主構成、後継者と他の家族への配分、オーナー自身の老後資金——これらを並べて、返済・贈与・放棄・株式化・退職金のどれを、いつ、どの程度組み合わせるかを決めることが大切です。一度に解決しようとせず、数年単位の計画として進めることで、会社にも家族にも無理のない形を選びやすくなります。事業承継計画の中での位置づけは、関連記事「事業承継計画に含める項目とは」も参考になります。

    事業承継の全体像は「事業承継は何から始めるべきか」で整理しています。

    自社株の評価や承継時の資産税務の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 役員借入金は、社長個人から見れば会社に対する貸付金債権であり、相続財産になります。
    • 相続税の評価は、原則として返済されるべき金額(元本)と既経過利息の合計で、会社の業績が悪いだけでは評価は下がりません。
    • 整理の方法には、返済・贈与・債権放棄・DES・役員退職金との組み合わせ・遺言などがあり、それぞれ課税関係が異なります。
    • 債権放棄は会社に債務免除益を生じさせ、同族会社では他の株主へのみなし贈与となる可能性があります。
    • どの方法が適するかは、会社の資金繰りや株主構成、家族の状況によって異なるため、時間をかけて計画的に整理することが大切です。

    よくある質問

    Q. 会社が債務超過なら、役員借入金はゼロ評価にできますか?

    原則としてできません。財産評価基本通達で元本に算入しないとされているのは、破産や民事再生などの法的手続の開始、事業の廃止や長期の休業など、回収が不可能または著しく困難と見込まれる一定の場合に限られます。事業を継続している会社が債務超過というだけでは、通常はこれに当たらないと考えられます。

    Q. 役員借入金を放棄すれば、相続税は減りますか?

    社長個人の財産は放棄した分だけ減ります。ただし、会社には債務免除益が生じて法人税の課税対象となり、同族会社で株式の価額が増加した場合には、他の株主がその増加分を社長から贈与により取得したものとして扱われる可能性があります。会社と株主を含めた全体の負担で判断することが必要です。

    Q. 未払いの役員報酬が役員借入金になっている場合も同じですか?

    未払の報酬を会社に貸し付けた形で残している場合も、社長個人から見れば会社に対する債権として財産になります。未払の報酬にどのような所得税の課税関係が生じているかも含め、残高の成り立ちを確認したうえで整理方法を検討します。

    Q. 後継者に役員借入金を引き継がせる一番簡単な方法は何ですか?

    遺言で貸付金債権を後継者に取得させる方法は、手続き上は比較的簡単です。ただし相続税は課税されますし、他の相続人の遺留分にも配慮が必要です。生前に贈与する方法や、計画的な返済と組み合わせる方法と比べて検討するとよいでしょう。

    Q. 役員借入金は事業承継税制の対象になりますか?

    法人版事業承継税制の対象は、一定の要件を満たす非上場株式等です。役員借入金(貸付金債権)はその対象ではありません。DESによって株式に置き換えた場合の扱いは、制度の要件との関係で個別に確認が必要です。

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    • 事業承継:後継者、経営権、株式、資金、ご家族の意向を確認し、承継の計画から実行までを支援します。
    • 相続と資産承継:不動産・自社株・金融資産・借入・ご家族の意向を確認し、納税資金・財産配分・遺言・承継の実行を一体で検討します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『Q&A 非上場株式の評価と戦略的活用スキーム』伊藤俊一 著、ロギカ書房、P.68-72、P.141
    • 『中小企業M&AのFA業務マニュアル』渡部潔 著、中央経済社、P.159、P.187-188
  • 個人開業医の診療所を引き継ぐ方法|開設者の交代手続・建物と土地・患者と職員・医療法人化との比較

    個人開業医の診療所を引き継ぐ方法|開設者の交代手続・建物と土地・患者と職員・医療法人化との比較

    個人で開業している診療所を引き継ぐことは、会社の株式を引き継ぐこととは仕組みが大きく異なります。個人開設の診療所では、開設者である院長個人が、診療所の建物・医療機器・借入れ・職員との契約・保険診療の指定のすべての「主体」になっているため、承継は「先代が診療所を廃止し、後継者が新たに開設する」という形で、手続きと資産を一つずつ移していくことになります。

    準備の中心は、次の4つです。

    1. 開設者の交代手続(保健所・地方厚生局など)を、診療を途切れさせない段取りで進めること
    2. 建物・医療機器・診療所用地を、譲るのか、貸すのかを決めること
    3. 患者と職員を、信頼関係を保ちながら引き継ぐこと
    4. 税務と家族の財産配分を、承継の形と合わせて設計すること

    この記事では、子への承継と第三者の医師への承継の両方を念頭に、個人開業医が承継の前に確認しておきたいことを整理します。

    個人開設の診療所の承継は「廃止と開設」の組み合わせ

    会社であれば、株式を後継者に移しても会社そのものは変わらず、契約や許認可は原則として会社に残ります。これに対して個人開設の診療所では、開設者が交代すると、制度上は先代の診療所の廃止と、後継者による新たな診療所の開設として扱われるのが基本です。

    中小企業庁の事業承継ガイドラインでも、個人事業主は事業用資産を経営者個人が所有していることが多く、個々の資産を承継する必要があることが指摘されています。診療所はその典型で、次のようなものを一つずつ引き継ぐ必要があります。

    引き継ぐもの個人開設での主体承継時に必要になること
    診療所の開設院長個人先代の廃止の届出と、後継者の開設の届出
    保険医療機関の指定院長個人の診療所後継者の診療所としての指定申請
    建物・内装・医療機器院長個人の所有またはリース譲渡・贈与・相続・賃貸借、リース契約の名義変更
    診療所用地・テナント契約院長個人の所有または賃借所有権の移転か賃貸借、賃貸人との契約変更
    借入金院長個人の債務金融機関との協議(引受け・借換え・完済)
    職員院長個人との雇用契約後継者との雇用関係への切替え
    患者・カルテ院長個人の診療所事業の承継に伴う引継ぎと患者への説明

    開設者の交代に伴う手続

    保健所への届出

    医師が個人で無床の診療所を開設した場合は、開設後に保健所へ診療所開設届を提出します。医療法では、届出の期限は開設後10日以内とされています(医療法8条)。一方、専門書籍では、実務上は図面を持参した事前相談や実地検査が欠かせないことが指摘されています。先代の診療所については、廃止した日から10日以内に廃止の届出が必要です(同法9条1項)。

    診療所の許可・届出の取扱いは、自治体によって運用の細部が異なります。東京都も、診療所の許可・届出の手続きについては各保健所に問い合わせるよう案内しています。承継の時期が見えてきたら、早めに所轄の保健所に相談するのが確実です。X線装置を設置している場合は、その届出も新しい開設者として改めて必要になります。

    保険医療機関の指定

    保険診療を続けるには、後継者の診療所として地方厚生局の保険医療機関の指定を受ける必要があります。指定を受けるまでの間に保険診療の空白が生じないかが、承継実務で最も気になる点です。

    この点について、地方厚生局は一定の場合に遡及指定(新しい指定の効力を開設日にさかのぼらせる扱い)を認めています。関東信越厚生局の案内では、令和8年9月1日以降、「保険医療機関等の遡及指定及び機能移転の取扱いについて」(令和8年6月5日 保医発0605第2号)に基づいて運用されるとされ、次のような類型が示されています。

    • 個人開設者の死亡や病気により、親族や勤務医が引き継いで患者の診療を継続する場合
    • 同一都道府県内の至近距離(直線距離2km以内)への移転、または開設者のみの変更(個人から個人、個人から法人など)で、基本的な要件を満たす場合
    • それ以外の場合(原則として希望日の3か月前までに予定の届出と事前相談)

    遡及指定が認められるかどうか、必要な書類や事前相談の要否は、承継の形によって変わります。承継日を決める前に、管轄の地方厚生局の取扱いを確認しておくことが大切です。

    その他の手続

    税務署には、先代の廃業届と後継者の開業届、青色申告の承認申請などを提出します。労災保険や生活保護法などの指定医療機関、雇用保険・社会保険の手続、医師会や取引先への連絡も、開設者の交代に合わせて必要になります。

    建物・医療機器・診療所用地をどう引き継ぐか

    承継の設計で判断が分かれるのが、資産を「譲る」か「貸す」かです。

    方法主な場面確認したい点
    売買(譲渡)第三者の医師への承継、親子でも対価を払う場合価格の根拠、先代の譲渡所得課税、後継者の資金調達
    贈与親子間で生前に引き継ぐ場合贈与税の負担、他の家族との公平
    相続(遺言)先代の死亡時に引き継ぐ場合遺言の有無、遺産分割の見通し、相続税の特例
    賃貸借建物・土地は先代や家族が所有し続ける場合賃料水準、契約書、修繕の負担区分

    子への承継では、建物と土地は親が持ち続けて子に貸し、医療機器だけを譲るという形がよく検討されます。この場合、親子間であっても賃貸借契約書を作り、賃料・修繕・契約期間を明確にしておくことが、後の相続や兄弟姉妹との関係を考えるうえで重要です。賃料を無償にするか有償にするかで、所得税や相続税の扱いも変わります。

    診療所用地を親が所有したまま相続を迎える場合、一定の要件を満たせば、事業用の宅地として小規模宅地等の特例(400㎡まで80%減額)の対象になり得ます。また、個人の事業用資産にかかる贈与税・相続税の納税猶予(個人版事業承継税制)も、医業を含む個人事業の承継で検討対象になります。両者には選択関係があるため、制度の詳細は関連記事「個人版事業承継税制で個人事業を引き継ぐ」をご覧ください。

    テナントで開業している場合は、賃貸人の承諾を得て賃借人の地位を後継者に移すか、新たに契約を結び直す必要があります。保証金の扱いや原状回復の範囲も、この段階で整理しておきます。

    患者と職員をどう引き継ぐか

    患者・カルテ

    個人情報保護法では、合併その他の事由による事業の承継に伴って個人データが提供される場合、提供を受ける側は第三者に当たらないとされています(同法第27条第5項第2号)。そのため、事業の承継に伴うカルテの引継ぎ自体は可能と考えられます。

    ただし、法律上可能であることと、患者が安心して通い続けてくれることは別の問題です。承継の時期や後継医師の紹介を、院内掲示や診察時の説明などで丁寧に伝え、一定期間は先代と後継者が並行して診療するなど、患者が「担当医が替わる」ことを受け入れられる時間をつくることが、承継後の経営の安定につながります。

    職員

    個人開設の診療所では、職員の雇用主は開設者個人です。開設者が替われば雇用契約の当事者も替わるため、労働条件を引き継ぐのか、見直すのかを決め、職員一人ひとりに説明して合意を得る必要があります。退職金の扱いや有給休暇の残日数など、先代の時代の取決めの精算方法も確認しておきます。

    第三者の医師に引き継ぐ場合

    子が医師でない、あるいは継がない場合は、第三者の医師への承継が選択肢になります。稼働中の診療所を患者・職員ごと引き継ぐ形と、休診後に内装や医療機器が残った状態で譲る形とでは、患者が戻る見込みも価格の考え方も異なります。

    専門書籍では、売り手は借入金の残額に営業権を上乗せした価格を求めがちである一方、患者数の少ない診療所では内装や医療機器がほとんど評価されないこともあると指摘されています。価格だけでなく、承継後に先代がどの程度診療に関わるか、建物や土地を貸し続けるのかといった条件を含めて交渉することが現実的です。個人事業を第三者に譲るときの全体像は、関連記事「個人事業を第三者に譲る方法」で扱っています。

    医療法人化してから引き継ぐという選択肢

    承継の前に診療所を医療法人にしておけば、承継は「理事長の交代」と「社員・役員の入替え」で行えるようになり、開設者の交代に伴う手続きの多くを避けられます。一方で、次のような点も比較が必要です。

    比較の観点個人開設のまま承継医療法人化してから承継
    承継の手続廃止と開設、指定の取り直しが必要理事長・役員の交代が中心
    設立の手間—都道府県の認可が必要で、受付時期が限られることがある
    財産の帰属資産は院長個人のもの法人の財産と個人の財産が分かれる
    運営上の負担個人の確定申告決算の届出、役員変更の届出・登記など
    解散時—現在設立できる医療法人は出資持分がなく、残余財産の帰属先に制限がある

    医療法人の設立には、都道府県知事の認可が必要です。認可の受付時期や必要書類は都道府県によって異なるため、承継の時期から逆算して、法人化の要否を早めに判断する必要があります。医療法人化そのものの是非や、開業時の形の選び方は、関連記事「医師・士業が独立開業するときの形の選び方」も参考になります。

    実務上注意したいポイント

    • 承継日を先に決めない:保健所・地方厚生局への相談と、遡及指定の可否を確認したうえで、承継日を確定させます。
    • 借入金とリースの扱いを早めに金融機関と相談する:個人の債務は自動的に後継者へ移りません。引受け、借換え、完済のいずれにするかで、後継者の資金計画が変わります。
    • 親子間でも契約書を作る:建物・土地の賃貸借、医療機器の譲渡価格などを書面で残しておくと、相続時の説明や他の家族の理解が得やすくなります。
    • 他の家族への配分を同時に考える:診療所の資産を後継者に集中させると、医師でない兄弟姉妹との公平が問題になることがあります。遺言や生前の財産配分と合わせて検討します。

    AEGISの視点

    開業医の承継では、手続きの多さに目が向きがちです。しかしAEGISは、承継の成否を左右するのは手続きそのものよりも、「診療所という事業」と「院長個人の財産」をどこで切り分けるかという設計だと考えています。

    個人開設の診療所では、建物や土地、医療機器、預金、借入れが院長個人の財産と一体になっています。承継を機に、事業に必要な資産と、院長個人と家族の生活・老後のための資産を分けて整理すると、「何を後継者に渡し、何を手元に残し、何を他の家族に配分するか」が見えてきます。建物や土地を院長側に残して賃貸する設計は、後継者の初期負担を抑えつつ、先代の老後の収入源にもなりますが、その場合は不動産として長く管理し続ける視点も必要になります。

    また、地域の患者にとって診療所は生活の一部です。承継を「資産の移転」だけでなく、「地域医療の担い手の交代」として、患者や職員への伝え方まで含めて準備することが、結果として事業価値を守ることにつながるとAEGISは考えています。

    事業承継の全体像は「事業承継は何から始めるべきか」で整理しています。

    承継に伴う資産税務の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 個人開設の診療所の承継は、先代の廃止と後継者の開設を組み合わせる形で進めるのが基本です。
    • 保健所への届出、地方厚生局の保険医療機関の指定(遡及指定の可否を含む)を、診療を途切れさせない段取りで準備します。
    • 建物・医療機器・診療所用地は、譲るか貸すかを決め、親子間でも契約書で条件を明確にします。
    • 患者情報は事業の承継に伴って引き継ぐことができますが、患者・職員への丁寧な説明が承継後の安定を左右します。
    • 医療法人化してから承継する方法もありますが、設立の手間や運営の負担と比べて判断します。具体的な取扱いは、自治体・地方厚生局の運用や個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. 親が院長の診療所を子が継ぐ場合も、新規開設の扱いになりますか?

    個人開設の診療所は院長個人が開設者のため、開設者が親から子に替わる場合は、先代の診療所の廃止と後継者による開設として手続きを行うのが基本です。保険医療機関の指定についても後継者の診療所として申請が必要ですが、開設者のみの変更など一定の場合には遡及指定の取扱いがあります。具体的な扱いは管轄の保健所・地方厚生局に確認してください。

    Q. 承継の前後で保険診療ができない期間は生じますか?

    遡及指定が認められれば、新しい開設日にさかのぼって保険医療機関として扱われるため、空白を避けられる場合があります。ただし、認められる類型や事前相談の要否が定められているため、承継日を決める前に確認することが重要です。

    Q. カルテは患者の同意なしに後継者へ引き継げますか?

    個人情報保護法では、事業の承継に伴う個人データの提供は第三者提供に当たらないとされています。そのため引継ぎ自体は可能と考えられますが、患者への周知や説明を丁寧に行い、患者の意思を尊重する姿勢が大切です。

    Q. 診療所の土地と建物は、子に贈与したほうがよいですか?

    一概にはいえません。贈与すれば後継者が自由に使えますが、贈与税の負担や他の家族との公平の問題が生じます。親が所有したまま子に貸す方法、相続時に引き継ぐ方法などと比べ、税負担・家族の配分・親の老後の収入を合わせて判断します。

    Q. 承継の前に医療法人にしたほうが有利ですか?

    医療法人化すると承継手続きは簡素になりますが、設立には都道府県の認可が必要で、決算や役員変更の届出など運営の負担も増えます。現在設立できる医療法人は出資持分がないため、財産の帰属の考え方も変わります。承継までの期間や診療所の規模を踏まえて比較することが必要です。

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    • 個人事業の継続と承継:個人事業を長く続け、次世代へ引き継ぐための準備として、事業資金・民事信託(いわゆる家族信託)・遺言・契約・金融機関対応を確認します。
    • 事業承継:後継者、経営権、資金、ご家族の意向を確認し、承継の計画から実行までを支援します。
    • 不動産管理と実行管理:賃料・空室・修繕・返済・会計・税務をつないで、収益不動産の管理を支援します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『税理士・公認会計士のための 医業経営コンサルティングの実務ノウハウ(第2版)』西岡秀樹 著、中央経済社、P.172-182、P.183-187、P.206-211
    • 『Q&A医療機関の組織変更の実務と税務 第3版』税理士法人山田&パートナーズ 編、財経詳報社、P.236-240
  • 個人版事業承継税制で個人事業を引き継ぐ|対象資産・要件・小規模宅地等の特例との選び方

    個人版事業承継税制で個人事業を引き継ぐ|対象資産・要件・小規模宅地等の特例との選び方

    個人で営む事業の土地・建物・設備を後継者に引き継ぐとき、一定の要件を満たせば、その事業用資産にかかる贈与税・相続税の全額の納税を猶予し、後継者の死亡などにより免除する制度があります。これが「個人版事業承継税制」(個人の事業用資産についての贈与税・相続税の納税猶予及び免除)です。

    ただし、この制度は「申告のときに選べばよい」ものではありません。事前の計画提出、都道府県知事の認定、青色申告の継続といった手続きが前提で、承継後も長く事業を続けることが求められます。また、事業用の宅地については、相続税の「小規模宅地等の特例」とどちらを使うかという選択の問題もあります。

    この記事では、個人事業の後継者が制度を使えるかどうかを判断するために、対象資産・期限・要件・小規模宅地等の特例との関係・猶予が打ち切られる場面を順に整理します。

    個人版事業承継税制とは

    個人版事業承継税制は、青色申告をしている個人事業者の後継者として、中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律(以下「円滑化法」)の認定を受けた人が、先代事業者から事業用資産を贈与または相続等で取得した場合に、その資産にかかる贈与税・相続税の納税を猶予する制度です(国税庁「個人版事業承継税制のあらまし」)。

    会社の株式を引き継ぐ「法人版事業承継税制」と対になる制度ですが、引き継ぐ対象が株式ではなく、個人が所有する土地・建物・減価償却資産そのものである点が大きく異なります。法人なら株式を移せば会社の資産はまとめて移りますが、個人事業では資産を一つずつ後継者に移す必要があるため、制度もそれを前提に組み立てられています。

    会社の株式の承継で同様の制度を使うかどうかは、関連記事「法人版事業承継税制(特例措置)を使うか・使わないかの判断」で整理しています。

    制度の期限:いつまでに何をするか

    まず確認したいのは期限です。国税庁のパンフレット(令和8年7月)では、次のように示されています。

    • 対象となる贈与・相続等の期間:平成31年1月1日から令和10年12月31日まで
    • 個人事業承継計画の提出期限:令和10年9月30日まで(提出先は先代事業者の主たる事務所がある都道府県)

    個人事業承継計画の提出期限は、令和8年度税制改正の大綱で「2年6月延長する」とされ、これを反映したものです。なお、贈与・相続等の期間(令和10年12月31日まで)が延長されたわけではない点に注意が必要です。

    個人事業承継計画には、後継者の氏名や承継までの事業計画などを記載し、認定経営革新等支援機関(税理士、金融機関など)の所見を付けて提出します。パンフレットでは、贈与や相続の後であっても、円滑化法の認定申請のときまでは計画を提出できるとされています。

    そのうえで、承継が起きた後には都道府県知事の円滑化法の認定を受けます。申請期限は、贈与の場合は贈与を受けた年の翌年1月15日まで、相続の場合は相続開始後8か月以内です。相続税の申告期限(相続の開始を知った日の翌日から10か月以内)より早く到来するため、相続が起きてから準備を始めると時間的な余裕はほとんどありません。

    対象になる事業用資産

    猶予の対象となる「特定事業用資産」は、先代事業者の事業の用に供されていた資産で、贈与や相続の日の属する年の前年分の、事業所得に係る青色申告書の貸借対照表に計上されていたものです。

    区分対象の範囲
    宅地等400㎡まで
    建物床面積800㎡まで
    上記以外の減価償却資産固定資産税の課税対象とされているもの、自動車税・軽自動車税で営業用の標準税率が適用されるもの、一定の無形固定資産や生物など

    いくつかの点を押さえておきましょう。

    • 事業所得の事業が対象です。前年分の事業所得に係る青色申告書の貸借対照表に載っていることが前提のため、不動産所得となる賃貸業は対象になりません。
    • 先代事業者と生計を一にする親族が所有する資産も対象になり得ます。たとえば、配偶者名義の土地の上に先代事業者が建物を建てて事業をしている場合の土地などです。この場合、最初の承継から1年以内の承継に限られます。
    • 在庫や預金、売掛金などは対象外です。対象は土地・建物・減価償却資産に限られます。
    • 事業ごとに資産の全部を引き継ぐことが前提です。贈与の場合、その事業に係る特定事業用資産の全てを贈与する必要があり、一部だけを渡すと適用を受けられません。

    なお、法人版と異なり後継者の数に上限はなく、複数の事業を営んでいる場合に事業ごとに異なる後継者が引き継ぐことも想定されています。

    後継者と先代事業者の主な要件

    要件は贈与と相続で一部異なります。代表的なものは次のとおりです。

    後継者(贈与の場合) – 贈与の日に18歳以上であること – 円滑化法の認定を受けていること – 贈与の直前に、その事業(同種・類似の業務や、事業に必要な知識・技能を習得するための学校での修学を含む)に従事していたこと – 贈与から1か月以内に開業届を出し、2か月以内に青色申告の承認申請をすること

    後継者(相続の場合) – 円滑化法の認定を受けていること – 相続開始の直前に、その事業に従事していたこと(先代事業者が60歳未満で亡くなった場合を除く) – 相続税の申告期限までに青色申告の承認を受けていること

    先代事業者 – 贈与・相続の年、その前年、前々年の確定申告書を青色申告書で提出していること – 贈与の場合は、廃業届を提出していること(または提出見込みであること)

    ここで重要なのが青色申告の種類です。対象となる青色申告は、正規の簿記の原則による記帳に基づくもの(55万円、電子申告等の場合は65万円の青色申告特別控除の適用に係るもの)に限られます。簡易な記帳による10万円控除の青色申告では要件を満たしません。日々の記帳の仕方が、数年後の承継に影響するということです。

    また、資産の大半が有価証券や自ら使っていない不動産、預金などで占められる事業(資産保有型事業)や、運用収入が大半を占める事業(資産運用型事業)、性風俗関連特殊営業は対象外です。

    小規模宅地等の特例とどちらを使うか

    個人事業の承継で最も悩ましいのが、相続税の小規模宅地等の特例との関係です。

    小規模宅地等の特例では、亡くなった方が事業に使っていた宅地(特定事業用宅地等)について、400㎡まで評価額を80%減額できます。一方、個人版事業承継税制は、宅地等400㎡までの相続税の全額を猶予します。

    両者の関係は次のように整理されています(国税庁パンフレット、措置法通達70の6の10-17)。

    小規模宅地等の特例で選んだ宅地個人版事業承継税制への影響
    特定事業用宅地等その被相続人から取得した特定事業用資産について、個人版事業承継税制は使えない
    特定同族会社事業用宅地等個人版の宅地等の限度面積が「400㎡-その面積」になる
    貸付事業用宅地等一定の算式で限度面積が調整される
    特定居住用宅地等(自宅の敷地)個人版の宅地等の限度面積は400㎡のまま

    つまり、自宅の敷地に小規模宅地等の特例を使い、事業用の土地・建物・設備に個人版事業承継税制を使う組み合わせは可能ですが、事業用の宅地に小規模宅地等の特例を使うと、建物や設備も含めて個人版事業承継税制は使えなくなります。

    どちらを選ぶかは、次のような観点で比較します。

    比較の観点小規模宅地等の特例(特定事業用宅地等)個人版事業承継税制
    効果宅地の評価額を80%減額(税額が確定的に減る)対象資産の相続税を全額猶予(条件を満たし続ければ免除)
    対象宅地等のみ宅地等・建物・減価償却資産
    事前手続不要個人事業承継計画の提出、円滑化法の認定
    承継後の負担申告期限まで事業継続・保有長期の事業継続、3年ごとの継続届出、担保提供
    打ち切られた場合—猶予税額と利子税の納付

    建物や設備の評価額が小さく、宅地が中心であれば、手続きが簡便で効果が確定する小規模宅地等の特例が合理的な場合が多いと考えられます。反対に、工場の建物や大型の機械設備など、宅地以外の事業用資産の評価額が大きい場合には、個人版事業承継税制の検討余地が広がります。いずれも具体的な試算と、後継者が長く事業を続けられるかの見通しを合わせて判断することになります。

    猶予が打ち切られる場面と、続ける間の負担

    納税猶予は、承継後の状況によって打ち切られることがあります。国税庁のパンフレットでは、主に次のような場合が示されています。

    • 猶予税額の全額を納付する場合:事業を廃止した場合(やむを得ない理由がある場合を除く)、資産保有型事業等に該当した場合、事業所得の総収入金額がゼロになった場合、青色申告の承認が取り消された場合など
    • 一部を納付する場合:特定事業用資産を事業の用に供さなくなった場合など(その部分に対応する税額)

    また、猶予を受けている間は、3年ごとに継続届出書を税務署に提出する必要があり、提出しないと猶予税額の全額と利子税を納めることになります。猶予を受けるときには、猶予税額と利子税に見合う担保の提供も求められます。

    一方、後継者が亡くなった場合や、一定期間経過後に次の後継者へ資産を一括して贈与した場合、重い障害や要介護状態などやむを得ない理由で事業を続けられなくなった場合などには、猶予税額の全部または一部が免除される仕組みも用意されています。

    実務上注意したいポイント

    • 期限は「計画」と「認定」の二段階:計画の提出期限(令和10年9月30日)と、贈与・相続の期限(令和10年12月31日)は別のものです。承継の予定時期から逆算して準備します。
    • 青色申告の種類を今から確認する:先代事業者が前々年から正規の簿記による青色申告をしていることが要件です。10万円控除の青色申告であれば、早めに記帳方法を見直す必要があります。
    • 貸借対照表に載っていない資産は対象外:事業に使っている資産が帳簿に計上されているか、名義と実態が一致しているかを確認します。
    • 許認可や契約は税制とは別に引き継ぐ:個人事業の承継では、先代が廃業し、後継者が新たに開業する形になります。許認可や取引契約、借入金の扱いは、税制とは別に一つずつ確認が必要です。
    • 遺言で資産の行き先を決めておく:相続で承継する場合、遺産分割がまとまらなければ認定や申告に間に合わないおそれがあります。

    個人事業主が遺言で何を備えておくべきかは、関連記事「個人事業主が遺言で備えること」で扱っています。

    AEGISの視点

    個人版事業承継税制は、使えれば税負担の面で大きな効果がある制度です。しかし、AEGISはこの制度を「税金を猶予する仕組み」である以上に、「後継者が長く事業を続けることを国と約束する仕組み」だと考えています。猶予を受けた後、事業をやめる、事業の形を変える、資産を手放すといった選択には、猶予税額の納付という重みが伴います。

    そのため、制度を使うかどうかの判断は、税額の比較から始めるのではなく、後継者がこの事業をどのくらいの期間、どのような形で続けたいのかを確認するところから始めるべきだと考えます。将来、法人化や事業の譲渡、事業内容の転換を考えているのであれば、その可能性も含めて小規模宅地等の特例や生前の贈与など他の選択肢と比べる必要があります。

    また、個人事業の承継は、資産の移転だけでは完結しません。屋号、取引先との契約、許認可、従業員との雇用関係、事業用の借入れと担保、そして後継者以外の家族への配慮——これらを一つずつ引き継ぐ段取りを組むことが、税制の適用以上に事業の継続を左右します。第三者への承継も視野に入れる場合は、関連記事「個人事業を第三者に譲る方法」も参考になります。

    事業承継の全体像は「事業承継は何から始めるべきか」で整理しています。

    事業用資産の評価や相続税の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 個人版事業承継税制は、個人事業の土地・建物・減価償却資産にかかる贈与税・相続税の全額を猶予し、一定の場合に免除する制度です。
    • 対象となる贈与・相続等は令和10年12月31日まで、個人事業承継計画の提出期限は令和10年9月30日までです(令和8年度税制改正の大綱で計画提出期限を延長)。
    • 宅地等は400㎡まで、建物は床面積800㎡までなどの範囲があり、正規の簿記による青色申告が前提です。
    • 事業用宅地に小規模宅地等の特例を使うと、個人版事業承継税制は使えません。自宅の敷地への小規模宅地等の特例とは併用が可能です。
    • 承継後も事業の継続や3年ごとの届出が求められ、事業の廃止などで猶予が打ち切られることがあります。具体的な適用可否は個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. 不動産賃貸業を営んでいる場合も使えますか?

    使えません。この制度は事業所得に係る青色申告の事業を対象としており、特定事業用資産は前年分の事業所得に係る青色申告書の貸借対照表に計上されていたものに限られます。賃貸業の所得は不動産所得となるため、対象外です。

    Q. 個人事業承継計画を出さずに相続が起きたら、もう使えませんか?

    国税庁のパンフレットでは、贈与や相続の後であっても、円滑化法の認定申請のときまでは個人事業承継計画を提出できるとされています(提出期限は令和10年9月30日)。ただし、相続の場合の認定申請は相続開始後8か月以内であり、その間に後継者の要件や青色申告の承認なども整える必要があるため、事前に準備しておくことが現実的です。

    Q. 後継者が複数いる場合はどうなりますか?

    法人版事業承継税制と異なり、後継者の人数に上限はありません。複数の事業を営んでいる場合に事業ごとに異なる後継者が引き継ぐことも想定されています。なお、宅地等400㎡・建物800㎡の面積は、各後継者が取得した面積の合計で判定します。

    Q. 承継後に法人化(法人成り)したいときはどうなりますか?

    最初の贈与税(または相続税)の申告期限の翌日から5年を経過した後に、特例の対象となった事業用資産の全てを現物出資して会社を設立する場合には、移転の日から1か月以内に申請して税務署長の承認を受けることで、取得した株式等について猶予が継続する扱いがあります(租税特別措置法70条の6の8第6項)。法人化の予定がある場合は、時期と方法によって扱いが変わるため、承継前に確認しておくことが重要です。

    Q. 猶予を受けた税金は、最終的に払わなくてよいのですか?

    後継者が亡くなった場合などには猶予税額が免除されます。一方、事業の廃止や青色申告の承認取消しなどで猶予が打ち切られた場合は、猶予税額と利子税を納付することになります。「最終的に免除されるかどうか」は、承継後の事業の続け方によって決まります。

    関連するAEGISのソリューション

    この記事のテーマに関連する、AEGISのソリューションです。

    • 個人事業の継続と承継:個人事業を長く続け、次世代へ引き継ぐための準備として、事業資金・民事信託(いわゆる家族信託)・遺言・契約・金融機関対応を確認します。
    • 事業承継:後継者、経営権、資金、ご家族の意向を確認し、承継の計画から実行までを支援します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『令和7年版 相続税・贈与税関係 租税特別措置法通達逐条解説』甲斐裕也 編、大蔵財務協会、P.1085-1090、P.1233-1234
    • 『税理士のためのポケットブック 2026』東京税理士政治連盟 企画・編集、東京税理士会、P.29-31
  • 従業員承継(MBO)で後継者が株式を取得する方法|買取資金・持株会社・分割取得・種類株式・保証をどう組み合わせるか

    従業員承継(MBO)で後継者が株式を取得する方法|買取資金・持株会社・分割取得・種類株式・保証をどう組み合わせるか

    親族に後継者がいないとき、長く会社を支えてきた役員や従業員に経営を託す「従業員承継」は、有力な選択肢です。経営方針や社風を引き継ぎやすく、取引先や社員にも受け入れられやすいという利点があります。

    しかし、実行の段階で必ず突き当たるのが、「後継者に株式を買い取る資金がない」という問題です。業績のよい会社ほど株式の評価額は高くなり、役員や従業員が個人の貯蓄で買い取れる金額ではなくなります。中小企業庁の事業承継ガイドラインでも、資金力の問題は従業員承継の大きな課題とされ、種類株式や持株会社、従業員持株会を活用する方法の浸透などにより、実施しやすい環境が整いつつあるとされています。

    この記事では、役員・従業員が経営陣として株式を取得する方法(MBO:マネジメント・バイアウト)を中心に、資金の手当て、株式の持たせ方、価格と課税、借入と保証の引継ぎまで、実行の手段を整理します。承継方法そのものの比較は、関連記事「親族内承継・従業員承継・M&Aの比較」で扱っています。

    従業員承継で決めなければならない3つのこと

    従業員承継は、「経営を任せる」ことと「株式を渡す」ことを分けて考えると整理しやすくなります。実行にあたって決めるべきことは、次の3つです。

    1. 株式をどの方法で、いくらで、いつ移すか(所有の移転)
    2. その資金を誰が、どう用意するか(資金の手当て)
    3. 会社の借入と経営者保証を、誰がどう引き受けるか(債務の引継ぎ)

    この3つは互いに影響し合います。たとえば、借入で買取資金を手当てすれば、その返済は最終的に会社の利益から行うことになり、会社の借入や保証の扱いにも関わってきます。

    株式を取得する主な方法

    1. 後継者個人が買い取る

    もっとも単純なのは、後継者が金融機関から借り入れるなどして、個人でオーナーから株式を買い取る方法です。仕組みは分かりやすい一方で、後継者は役員報酬から個人の借入を返済することになり、所得税を差し引いた後の手取りで返済するため負担が重くなりがちです。株式の評価額が比較的小さい場合に向いています。

    2. 持株会社(買収目的会社)を通じて買い取る

    非上場会社のMBOで広く用いられるのが、後継者が出資して新しい会社(持株会社、買収目的会社)を設立し、その会社が金融機関から借り入れて対象会社の株式を買い取る方法です。

    • 後継者は持株会社に出資し、持株会社が対象会社の株式を取得する
    • 持株会社の借入は、対象会社からの配当などを原資に返済する
    • その後、持株会社と対象会社が合併し、対象会社の利益で借入を返済していく形をとることもある

    この方法では、後継者が用意する自己資金は買取総額の一部にとどまり、残りを借入や外部の出資で賄うことができます。借入の比率が高い形はLBO(レバレッジド・バイアウト)と呼ばれます。ただし、借入の返済は会社の将来のキャッシュフローに頼ることになるため、安定した収益が見込める事業であることが前提になります。

    3. 外部の出資者と組む

    持株会社への出資に、投資ファンドや、中小企業の自己資本の充実を目的とする投資育成会社などに加わってもらう方法もあります。資金の手当ては楽になりますが、出資者が株主として経営に関与することになり、配当方針や、将来出資者が株式を手放すときの条件(出口)を事前に確認しておく必要があります。

    4. 段階的に取得する

    一度にすべての株式を移すのではなく、数年かけて段階的に取得する方法もあります。まず役員として経営を担い、業績を上げながら株式を少しずつ取得していく形です。資金負担を分散できる一方で、業績が伸びれば株価も上がり、後半の取得価格が高くなることがあります。取得のペースと価格の決め方を、あらかじめオーナーと合意しておくことが大切です。

    5. 贈与を組み合わせる

    オーナーが一部の株式を後継者に贈与する方法もあります。法人版事業承継税制(特例措置)は、親族外の後継者も対象としており、要件を満たせば贈与税の納税猶予を受けることができます。ただし、贈与はオーナーが対価を受け取らない承継であり、オーナー家の財産や他の家族への配分との関係を整理する必要があります。制度の判断については、関連記事「法人版事業承継税制(特例措置)を使うか・使わないかの判断」を参照してください。

    資金の手当てに使える仕組み

    資金の出し手主な形確認したいこと
    後継者の自己資金持株会社への出資、株式の一部買取り後継者の生活に無理がない範囲か
    民間金融機関持株会社または後継者個人への融資返済原資となる会社の収益力、担保・保証の条件
    日本政策金融公庫事業承継向けの融資制度対象者・資金使途・限度額などの要件
    経営承継円滑化法の金融支援都道府県の認定を受けた場合の信用保険の特例や、代表者個人への融資の特例認定の要件と資金使途
    外部の出資者持株会社への出資経営への関与の程度、出口の条件
    オーナー代金の一部を後払いにする、一部を贈与する回収の確実性、オーナー家の財産設計

    日本政策金融公庫の事業承継向けの融資制度では、経営承継円滑化法に基づく認定を受けた中小企業者(代表者を含む)なども対象として示されています。経営承継円滑化法には、認定を受けた会社の代表者個人が、株式などの事業用資産を取得するための資金について融資を受けられるようにする特例も設けられています(経営承継円滑化法12条〜14条)。いずれも要件や資金使途の定めがあるため、利用を考える段階で各機関の最新の内容を確認してください。

    価格と課税の注意点

    従業員承継では、オーナーと後継者が「お互い納得できる価格」で合意することが出発点です。ただし、税務上は次の点に注意が必要です。

    • オーナー側の課税:個人が非上場株式を売却して利益が出た場合、譲渡所得として申告分離課税が適用され、税率は所得税・住民税をあわせて20%(ほかに復興特別所得税)です。
    • 個人間で低い価格で売買した場合:時価に比べて著しく低い価格で株式を譲り受けると、時価との差額は贈与を受けたものとみなされ、後継者に贈与税がかかることがあります。
    • 持株会社に低い価格で売却した場合:法人に対して時価の2分の1未満の価額で譲渡すると、オーナー側は時価で譲渡したものとみなされて課税されます。
    • 会社自身が買い取る場合:対象会社がオーナーから自己株式として買い取る形をとると、受け取る代金の一部がみなし配当として課税されることがあり、課税関係が大きく変わります。

    このように、「誰が買うか」「いくらで買うか」によって、税務上の時価の考え方と課税関係が変わります。価格は、税務上の評価と当事者間の合意の両面から検討する必要があります。

    株式の持たせ方を工夫する

    買取資金を抑えるために、株式の性質や持ち方を工夫することもあります。

    • 種類株式:議決権のある株式を後継者に、議決権を制限した株式や配当を優先する株式をオーナー家などに残すことで、後継者が少ない資金で経営権を確保する設計が考えられます。
    • 従業員持株会:一部の株式を従業員持株会に持たせ、後継者が取得すべき株式の量を減らす方法です。
    • オーナー家が一部を持ち続ける:配当を受け取る株主として残る形です。ただし、経営への関与の範囲や将来の買取りの約束を明確にしておかないと、後継者の経営の自由度や保証の解除に影響することがあります。

    議決権と配当を分ける設計は、関連記事「議決権と配当を分けて設計できるか」で詳しく解説しています。

    借入と経営者保証をどう引き継ぐか

    親族外の後継者は、親族内承継のように、保証に見合う個人財産をあわせて受け継ぐわけではありません。そのため、会社の借入に対する経営者保証を負うことへの抵抗感は、親族内承継より強くなりがちです。さらに持株会社で株式を買い取る場合は、その買収資金の借入も加わります。

    経営者保証に関するガイドラインと事業承継時の特則では、後継者の保証は前経営者の保証を当然に引き継がせるのではなく、必要性を改めて検討することとされています。会社とオーナー個人の間の貸し借りの整理、返済力の裏付け、情報開示の習慣づくりを承継前から進めることが、後継者の負担を軽くする近道です。詳しくは関連記事「経営者保証を外して事業承継する方法」で解説しています。

    実務上注意したいポイント

    • 親族株主の了解を早めに得る:事業承継ガイドラインでも、従業員承継では親族株主の理解と協力を得ることの重要性が指摘されています。
    • 債務の全体像を早めに開示する:借入、保証、役員借入金の状況を承継の最終段階で知らされると、後継者が承継を断念することがあります。
    • 少数株主の株式を整理しておく:持株会社で買い取る場合、散らばった株式の集約が必要になることがあります。強制的な手続よりも、事前の説明と合意による買取りが望まれます。
    • 他の役員・従業員との関係に配慮する:後継者が株主になることで、社内の関係が変わることがあります。

    AEGISの視点

    従業員承継の相談では、どうしても「いくらで、どう資金を集めるか」に目が向きます。しかしAEGISは、MBOを「会社の将来の利益で、会社の所有を次の経営者に移していく仕組み」と捉えています。持株会社や融資を使う方法でも、最終的に返済の原資となるのは会社が生み出すキャッシュフローです。つまり、価格を決めることは、「承継後の会社がどれだけの返済負担を背負うか」を決めることでもあります。

    だからこそ、オーナーにとって最も高い価格が、会社にとって最善とは限りません。オーナーが受け取る対価、後継者が負う借入と保証、会社に残る成長のための余力——この三つのバランスを、オーナーと後継者が同じ数字を見ながら話し合うことが大切です。代金の一部を役員退職金や配当、後払いなど別の形で受け取る設計も含めて、所有・資金・経営を一体で組み立てることが、従業員承継を成功させる鍵だとAEGISは考えています。

    事業承継全体の進め方は「事業承継は何から始めるべきか」で解説しています。

    株式の評価や承継に伴う資産税務の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 従業員承継(MBO)の最大の課題は、後継者に株式の買取資金がないことです。
    • 主な方法は、後継者個人による買取り、持株会社を通じた買取り、外部の出資者との共同、段階的な取得、贈与の組み合わせです。
    • 資金は、自己資金、民間金融機関や日本政策金融公庫の融資、経営承継円滑化法の金融支援、外部の出資などを組み合わせて手当てします。
    • 誰がいくらで買うかによって課税関係が変わるため、価格は税務上の評価と当事者間の合意の両面から検討します。
    • 借入と経営者保証の整理を承継前から進めることが、後継者の負担を軽くします。具体的な設計は個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. 従業員に株式を安く売ってあげてもよいのですか?

    当事者間で合意すれば売買は可能ですが、時価に比べて著しく低い価格で個人に売却すると、時価との差額が贈与とみなされ、後継者に贈与税がかかることがあります。持株会社に時価の2分の1未満で売却した場合には、オーナー側が時価で譲渡したものとみなされます。価格は税務上の評価を確認したうえで決めることが大切です。

    Q. 持株会社を使うと、何がよいのですか?

    後継者個人が借り入れて返済する場合と比べ、持株会社が借入を行い、対象会社からの配当などを返済の原資にできるため、後継者個人の負担を抑えやすくなります。一方で、会社の収益が返済の前提となるため、事業計画と返済計画の妥当性が重要です。

    Q. 後継者は会社の借入の保証人にならなければいけませんか?

    必ずしもそうではありません。経営者保証に関するガイドラインと事業承継時の特則では、後継者の保証は改めて必要性を検討することとされています。会社と個人の分離や財務基盤、情報開示の状況によって判断されるため、承継前から準備を進めることが大切です。

    Q. 株式を一度に買い取れない場合はどうすればよいですか?

    段階的に取得する、一部を贈与と組み合わせる、種類株式や従業員持株会を活用して取得する量を減らすなどの方法があります。段階的に取得する場合は、取得のペースと価格の決め方を、あらかじめオーナーと合意しておくことが望まれます。

    Q. 事業承継税制は従業員への承継にも使えますか?

    法人版事業承継税制(特例措置)は、親族外の後継者も対象としています。ただし、贈与や相続による取得が前提で、適用後も要件を満たし続ける必要があります。特例承継計画の提出期限(令和9年9月30日)にも注意が必要です。

    関連するAEGISのソリューション

    この記事のテーマに関連する、AEGISのソリューションです。

    • 事業承継:後継者・経営権・株式・資金・ご家族の意向を確認し、贈与・相続・売買などの方法を比較しながら承継計画を検討します。
    • 自社株評価と資本設計:非上場株式の評価と株主構成を確認し、承継・売買などの目的に合う資本設計を検討します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『専門家のための事業承継入門 事例で学ぶ!事業承継フレームワーク』事業承継支援研究会 編、ロギカ書房、P.210-214(第5章Ⅰ)、P.18-19
    • 『完全ガイド 事業承継・相続対策の法律と税務(五訂版)』PwC税理士法人 編、税務研究会出版局、P.177-178(第3章)、P.549-550、P.557-564(第5章第6節)

    その他参考資料

  • 黒字廃業を選ぶ前に比較したいこと|清算・第三者への引継ぎ・事業の一部譲渡を、手取り・人・資産の行き先で比べる

    黒字廃業を選ぶ前に比較したいこと|清算・第三者への引継ぎ・事業の一部譲渡を、手取り・人・資産の行き先で比べる

    「業績は悪くない。でも継ぐ人がいないから、自分の代で終わりにしよう」——黒字のまま会社をたたむ、いわゆる黒字廃業を考えるオーナーは少なくありません。中小企業庁の事業承継ガイドラインでも、廃業は事業承継と並ぶ検討対象として取り上げられています。

    廃業は、決して後ろ向きな選択ではありません。ただ、黒字の会社には、取引先、従業員の技能、顧客との関係、事業用の不動産など、会社をたたむと失われてしまう価値があります。結論から言えば、黒字廃業を決める前に、少なくとも「清算した場合の手取り」と「引き継いだ場合の手取り」、そして「人と資産がどこへ行くか」を並べて比べることが大切です。

    この記事では、廃業(清算)の流れと課税のしくみを確認したうえで、第三者への引継ぎ、事業の一部譲渡などの選択肢と比べる考え方を整理します。

    黒字廃業とは何か

    黒字廃業とは、利益が出ていて資産が負債を上回っている会社が、後継者の不在や経営者の高齢化などを理由に、事業をやめて会社を解散・清算することをいいます。債務超過で事業を続けられなくなる廃業とは異なり、借入をすべて返したうえで、残った財産を株主に分配できるのが特徴です。

    だからこそ、「借金がないうちに、きれいにたたみたい」という考えには合理性があります。一方で、その会社を必要としている人がいる場合や、事業として買い手がつく場合には、廃業以外の選択肢の方が、オーナー自身にとっても関係者にとっても望ましい結果になることがあります。

    会社をたたむ流れ

    株式会社の廃業は、一般に次のような流れで進みます。

    1. 方針の決定と準備:従業員、取引先、金融機関への説明の時期と順番を決める
    2. 解散:株主総会の特別決議(原則として出席株主の議決権の3分の2以上)で会社を解散し、清算人を選任する
    3. 清算:取引を終了し、資産を売却・回収し、債務を支払う。債権者に対しては、2か月以上の期間を定めて債権の申出を求める官報公告と、知れている債権者への個別の催告を行う
    4. 残余財産の分配:すべての債務を支払った後に残った財産を株主に分配する
    5. 清算結了:清算事務を終え、登記を行う

    税務面では、解散した日で事業年度が区切られ、清算中の事業年度、残余財産が確定した事業年度ごとに申告が必要になります。清算中も法人税の申告は続き、資産の売却で生じた利益にも課税されます。申告期限は、解散の日までの事業年度や清算中の事業年度は原則として事業年度終了の日の翌日から2か月以内、残余財産が確定した事業年度は確定の日の翌日から1か月以内(その期間内に残余財産の最後の分配を行う場合は、その前日まで)です。手続には相応の期間がかかるため、廃業を決めた時点から逆算して準備することが欠かせません。

    清算するとき、税金はどこにかかるか

    黒字廃業で見落とされやすいのが、清算時の課税です。課税は「会社の段階」と「株主の段階」の二つで考えます。

    会社の段階:資産の売却益への課税

    清算の過程で、不動産や有価証券などを売却して利益が出れば、会社に法人税等がかかります。長年保有している土地や建物に含み益がある場合、この負担は小さくありません。

    株主の段階:みなし配当

    残余財産の分配を受けた株主は、分配額のうち、その株式に対応する資本金等の額を超える部分が配当とみなされ(みなし配当。所得税法25条)、配当所得として課税されます。配当所得は原則として総合課税の対象となるため、他の所得と合算され、分配額が大きいほど高い税率が適用されやすくなります。

    これに対し、会社の株式をそのまま第三者に売却する場合、非上場株式の譲渡益は申告分離課税で、税率は所得税・住民税をあわせて20%(ほかに復興特別所得税)です。同じ会社の価値を現金化するのでも、「清算して分配を受ける」か「株式を売る」かで、税金のかかり方が大きく変わる点は、比較のうえで重要です。

    役員退職金をどう考えるか

    清算の前にオーナーが役員を退任し、退職金を受け取ることもあります。退職所得は、収入金額から退職所得控除額を差し引いた額の2分の1が課税の対象となり、他の所得と分離して計算されます(役員等としての勤続年数が5年以下の場合などには、2分の1の計算が適用されない場合があります)。退職金を支払えば会社に残る財産は減るため、残余財産の分配との組み合わせで手取りが変わります。ただし退職金の額には、職務や在任期間に照らした相当性が求められます。

    廃業以外の選択肢

    後継者が親族や社内にいなくても、会社や事業を引き継ぐ方法はあります。

    • 第三者への株式譲渡(M&A):会社ごと譲り渡す方法です。従業員の雇用や取引先との契約が、原則としてそのまま会社に残ります。
    • 事業譲渡:会社の事業の全部または一部を、他の会社に譲り渡す方法です。不採算部門を残して主要な事業だけを引き継いでもらうこともできます。譲渡後に会社を清算する場合は、上記の清算時の課税も合わせて考えます。
    • 事業の一部の引継ぎ:会社全体の買い手が見つからなくても、特定の取引先、技術、ブランド、店舗などを、同業者や取引先に引き継いでもらう方法があります。
    • 役員・従業員への承継:社内に意欲のある人材がいれば、資金調達の工夫で承継できることがあります。
    • 社会貢献の形での承継:事業や財産の一部を、地域や社会のために生かす形(財団の活用など)で残すことを考えるオーナーもいます。

    第三者への引継ぎについては、公的な相談窓口である「事業承継・引継ぎ支援センター」で相談することもできます(中小企業基盤整備機構の事業承継・引継ぎポータルサイトで案内されています)。

    5つの視点で比べる

    比べる視点清算(廃業)第三者への株式譲渡事業の全部・一部の譲渡
    オーナーの手取り残余財産の分配(みなし配当中心)+役員退職金株式の譲渡代金(申告分離課税)+役員退職金会社が受け取る譲渡代金を、清算等で受け取る
    従業員雇用は終了。再就職支援が課題原則として雇用は継続引き継がれる事業の範囲で継続
    取引先・顧客供給の停止。代替先の確保が必要原則として取引は継続譲渡対象の取引は継続
    事業用不動産売却・賃貸・自己利用など行き先を決める会社所有なら会社ごと移る。オーナー個人所有なら賃貸・売却の条件を決める譲渡対象に含めるか、残して活用するかを決める
    時間と不確実性自分で進められるが、手続に一定の期間買い手探しに時間がかかり、成立しないこともある部分的でも成立しやすい場合がある

    ※上表は一般的な傾向を整理したものです。実際の手取りや影響は、会社の資産構成・株主構成・契約内容によって大きく異なります。

    「手取り」は税引後で比べる

    M&Aの提示額と清算時の残余財産を、税引前の金額で比べると判断を誤ります。清算は会社段階と株主段階の二重の課税を受けやすく、株式譲渡は分離課税の対象になるため、最終的にオーナーの手元に残る金額で比べることが基本です。

    「人」の行き先を数字と同じ重さで考える

    黒字廃業では、従業員の雇用、取引先の供給網、顧客へのサービスが途切れます。オーナーにとって、長年支えてくれた人たちの行き先は、手取りと同じくらい重要な判断材料になるはずです。

    「不動産」の行き先を先に決める

    工場や店舗、事務所の土地・建物は、廃業後の扱いを決めないと遊休資産になります。オーナー個人が所有して会社に貸している場合は、廃業によって賃料収入がなくなり、相続の対象として残ることになります。売却・賃貸・別の事業への活用など、廃業とセットで行き先を検討します。

    実務上注意したいポイント

    • 伝える順番を設計する:廃業の情報が先に広がると、従業員の離職や取引の打切りが早まり、清算時の資産価値が下がることがあります。
    • 経営者保証と借入を確認する:黒字廃業でも、借入の返済と保証の解除を確認しておく必要があります。
    • 許認可や契約の終了手続:事業に関する許認可、リース、賃貸借、取引基本契約の解約条件を一覧にします。
    • 決める前に「売れるか」を確かめる:廃業を決める前に、M&Aや事業の一部譲渡の可能性を一度確認しておくと、比較の材料がそろいます。

    AEGISの視点

    黒字廃業の相談を受けるとき、AEGISがまずお聞きするのは、「会社の何を終わらせたいのか、何を残したいのか」という問いです。

    オーナーが終わらせたいのは、多くの場合、「自分が経営の責任を負い続けること」です。必ずしも、事業そのものや、従業員の仕事、地域とのつながりまで終わらせたいわけではありません。そう整理すると、経営の責任からは退きつつ、事業や人、不動産を別の形で生かす道が見えてくることがあります。事業を第三者に引き継ぐ、事業の一部を取引先に託す、不動産を地域の需要に合う事業に活用する、財産の一部を社会貢献に充てる——選択肢は「継ぐか、たたむか」の二択ではありません。

    一方で、比較したうえで廃業を選ぶことも、十分に尊重されるべき判断です。大切なのは、手取り・人・資産の行き先を並べたうえで、オーナーが納得して選んだと言える状態をつくることだとAEGISは考えています。

    承継方法そのものの比較は「親族内承継・従業員承継・M&Aの比較」で、会社売却の準備は「会社売却を考えるなら何年前から準備するか」で、社会貢献の形で財産を生かす考え方は「社会貢献を続ける財団をどう設計するか」で解説しています。

    清算時の課税や株式・不動産の承継に関わる論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 黒字廃業は合理的な選択肢の一つですが、会社をたたむと失われる価値があるため、引き継ぐ選択肢と比較してから決めることが大切です。
    • 清算では、会社段階での資産売却益への課税と、株主段階でのみなし配当(原則総合課税)を考える必要があります。
    • 株式を第三者に売却する場合は、譲渡益に申告分離課税が適用されるため、税引後の手取りで比べることが基本です。
    • 比較の視点は、オーナーの手取り、従業員、取引先・顧客、事業用不動産、時間と不確実性の5つです。
    • 具体的な税額や手続は、会社の資産構成・株主構成などの個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. 黒字のうちに廃業すれば、税金はかかりませんか?

    かかります。清算中の資産の売却益には会社に法人税等がかかり、株主が残余財産の分配を受けると、資本金等の額を超える部分はみなし配当として課税されます。黒字であるほど残余財産が大きくなり、株主段階の税負担も大きくなりやすい点に注意が必要です。

    Q. 小さな会社でも、M&Aで引き継いでもらえることはありますか?

    会社の規模が小さくても、取引先、技術、許認可、店舗などに価値があれば、同業者などが引き継ぎを検討することがあります。会社全体の譲渡が難しくても、事業の一部だけを引き継いでもらう方法もあります。公的な相談窓口として事業承継・引継ぎ支援センターがあります。

    Q. 廃業と決めたら、まず誰に伝えるべきですか?

    一般には、家族と主要な関係者で方針を固めたうえで、金融機関や顧問の専門家と手順を確認し、従業員、取引先の順に伝えることが多いといえます。伝える時期を誤ると、従業員の離職や取引の打切りが先行するおそれがあるため、順番を事前に設計しておくことが大切です。

    Q. 会社が使っている土地や建物が社長個人のものの場合、どうなりますか?

    会社が廃業すると賃料収入がなくなり、不動産は個人の財産として残ります。売却、他者への賃貸、別の事業への活用、相続まで含めて、廃業と同時に行き先を検討しておくことが望まれます。

    Q. 廃業と比べるとき、何から調べればよいですか?

    まず、清算した場合の残余財産と税引後の手取りの見込みを把握することです。そのうえで、会社や事業の一部に引き継ぎ手がいるかを確認すると、比較の材料がそろいます。

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    • 事業承継:後継者・経営権・株式・資金・ご家族の意向を確認し、贈与・相続・売買・M&Aなどの方法を比較しながら承継計画を検討します。
    • M&A:会社売却の方針や取引条件、税引後の受取額、売却後の資産管理を検討します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『これだけ!組織再編&事業承継税制(第3版)』佐藤信祐・長谷川太郎 著、中央経済社、P.155-166
    • 『専門家のための事業承継入門 事例で学ぶ!事業承継フレームワーク』事業承継支援研究会 編、ロギカ書房、P.2-29(第1章)
  • ファミリー憲章のつくり方|家族会議の進め方・盛り込む項目・法的な仕組みとのつなぎ方

    ファミリー憲章のつくり方|家族会議の進め方・盛り込む項目・法的な仕組みとのつなぎ方

    ファミリー憲章とは、事業や資産を共に受け継ぐ家族が、大切にする価値観と、事業・資産との関わり方のルールを、話し合いを通じて文書にまとめたものです。家訓を現代の言葉で明文化したもの、と考えると分かりやすいかもしれません。

    ファミリー憲章は、それ自体では原則として法的な拘束力を持ちません。それでも作る意味があるのは、事業承継や相続で起きる家族の対立の多くが、財産の金額そのものよりも、「何を大切にするか」「誰がどんな役割を担うか」についての期待の食い違いから生じるからです。

    この記事では、ファミリー憲章をつくるための進め方を6つのステップで整理し、盛り込む項目の構成例と、遺言・定款などの法的な仕組みとのつなぎ方、見直しの方法までを解説します。

    ファミリー憲章の役割と限界

    最初に、ファミリー憲章で「できること」と「できないこと」を整理しておきます。

    区分内容
    できること家族が共有する価値観や、事業に関わる際の考え方を言葉にする/家族会議などの話し合いの場と進め方を決める/後継者以外の家族の役割を明確にする/将来の判断に迷ったときの「立ち返る基準」をつくる
    できないこと署名したことだけで、株式の譲渡や遺産の分け方を法的に強制する/遺留分などの法律上の権利を一方的に制限する/会社の意思決定(株主総会・取締役会)を直接拘束する

    たとえば、「株式は家族の外に出さない」と憲章に書いても、それだけでは株式の譲渡を止めることはできません。相続人の遺留分を相続開始前に放棄するには、家庭裁判所の許可が必要です(民法1049条1項)。憲章で合意した内容を実際に機能させるには、定款・株主間の契約・遺言・民事信託(いわゆる家族信託)などの法的な仕組みに落とし込む作業が別に必要になります。

    それでも、憲章は意味を持ちます。法的な仕組みは「何を実現するか」が決まっていなければ設計できず、その「何を」を家族で合意する場が憲章づくりだからです。

    ファミリー憲章をつくる6つのステップ

    AEGISでは、次の6つのステップで進めることをおすすめしています。

    ステップ内容目安となる期間
    1. 目的と範囲を決めるなぜつくるのか、何を対象にするのか1〜2か月
    2. 参加者を決める誰を「家族」として話し合いに加えるか同時に検討
    3. 一人ひとりの考えを聞く個別に本音を聞き、論点を洗い出す2〜4か月
    4. 家族会議で話し合う論点ごとに話し合い、方向性をそろえる数回〜十数回
    5. 文書にまとめ、合意する草案を作り、修正を重ね、署名する2〜3か月
    6. 運用し、見直す定例の家族会議で確認し、必要に応じて改める継続

    ※期間は目安です。家族の人数や論点の多さによって大きく異なります。

    ステップ1:目的と範囲を決める

    まず、「なぜ今、憲章をつくるのか」を言葉にします。事業承継を控えて後継者と他の家族の役割を整理したい、複数の家に株式が分かれていく前に考え方をそろえたい、財産の一部を社会に還元する方針を家族で共有したい——目的によって、盛り込む項目も参加者も変わります。

    対象とする範囲も決めておきます。家業である会社だけか、資産管理会社や不動産、財団まで含めるのか。最初から全部を対象にせず、最も重要な事業と資産から始めるほうが進めやすくなります。

    ステップ2:参加者を決める

    誰を「家族」に含めるかは、思った以上に重要な判断です。

    • 現経営者とその配偶者
    • 後継者候補と、後継者でない子
    • 子の配偶者(いわゆる姻族)
    • 孫世代(年齢に応じて段階的に)

    子の配偶者を含めるかどうかは家族によって判断が分かれますが、家庭の中で大きな影響力を持つ存在であることは確かです。少なくとも、話し合いの結果をどこまで共有するかは決めておくべきでしょう。

    ステップ3:一人ひとりの考えを聞く

    いきなり全員で集まるのではなく、まず一人ひとりから個別に話を聞くことをおすすめします。家族全員の前では言いにくいこと——後継者になりたくない、自分の取り分が気になる、配偶者の考えが違う——は、個別の場でないと出てきません。

    聞いておきたいのは、たとえば次のような点です。

    • 創業者や現経営者が、事業を通じて何を大切にしてきたか
    • 家族それぞれが、事業や資産とどう関わりたいと考えているか
    • 将来に向けて不安に思っていること、避けたいこと

    中小企業庁の事業承継ガイドラインでは、経営理念を企業の競争力の源泉となる知的資産の一つと位置づけています。専門書籍でも、後継者が現経営者との対話を通じて経営理念を確認することの重要性が指摘されています。ファミリー憲章の価値観の部分は、この経営理念と重なることが多く、会社の理念を家族の言葉に置き換える作業ともいえます。

    ステップ4:家族会議で話し合う

    個別の聞き取りで出てきた論点を整理し、家族会議で一つずつ話し合います。進め方のポイントは次のとおりです。

    • 議題を事前に共有する:その場で突然重い話題を出さない
    • 一度にすべてを決めない:価値観→役割→株式と財産、のように段階を踏む
    • 第三者に進行を任せる:家族だけでは、親子の上下関係や過去の感情が議論を左右しやすくなります
    • 議事録を残す:何が合意され、何が未決なのかを全員が確認できるようにする

    合意できない論点は、無理に決めずに「未決事項」として残しておくことも大切です。

    ステップ5:文書にまとめ、合意する

    話し合いの結果をもとに草案をつくり、修正を重ねます。表現は、法律の条文のような硬さよりも、家族が読み返したくなる言葉であることを優先します。そのうえで、全員が内容を確認し、署名して保管します。署名には法的な拘束力はありませんが、家族の約束として重みを持たせる意味があります。

    ステップ6:運用し、見直す

    憲章は、つくって終わりではありません。年に一度など定期的に家族会議を開き、事業や資産の状況を共有し、憲章に照らして確認する場を設けます。見直しの方法は次の節で説明します。

    ファミリー憲章の構成例

    盛り込む項目は家族によって異なりますが、たとえば次のような構成が考えられます。

    章主な内容書き方の例
    前文憲章をつくった経緯と目的創業の経緯、次の世代に伝えたい思い
    価値観家族として大切にすること誠実さ、地域への貢献、学び続けること
    家族の範囲憲章が対象とする家族直系の子孫と配偶者、成人後に参加
    事業との関わり家族が事業に入る条件、役割入社の条件、社外での経験、評価の考え方
    株式と議決権株式の持ち方、譲渡の考え方株式は家族外に譲らない方針、議決権行使の考え方
    配当と資産配当や家族への資産配分の考え方配当方針の考え方、事業に関わらない家族への配慮
    家族会議開催頻度、参加者、決め方年1回の定例開催、議事録の作成
    社会への還元寄附や社会貢献の方針利益や資産の一部を地域や社会に還元する考え方
    意見が対立したとき話し合いの手順第三者を交えて協議する
    見直し見直しの時期と方法定期見直し、改定の手続き

    注意したいのは、細かく書き込みすぎないことです。憲章は長く尊重される「基本の考え方」を示すものであり、配当の具体的な金額や個別の財産の分け方まで書き込むと、状況が変わるたびに改定が必要になります。具体的なルールは、別に定める運用ルールや、遺言・契約などに委ねるのが現実的です。

    法的な仕組みとのつなぎ方

    憲章で合意したことを実際に機能させるには、内容に応じて次のような仕組みを組み合わせます。

    憲章で合意したことつなぐ仕組みの例
    株式を家族外に出さない定款の株式譲渡制限(会社法107条・108条)、相続人等に対する売渡請求の定め(同法174条)、株主間の契約
    後継者に株式を集める遺言、生前贈与、種類株式(会社法108条)、民事信託(いわゆる家族信託)
    後継者以外の家族に配慮する遺言での財産配分、生命保険、遺言の付言事項
    判断能力の低下に備える任意後見契約、民事信託
    社会への還元遺贈寄附、財団の設立

    なかでも遺言は、憲章で共有した考え方を財産の配分として実現する中心的な手段です。遺言に添える付言事項で、配分の理由や家族への思いを伝えることもできます。付言事項の書き方は、関連記事「遺言の付言事項の書き方」で扱っています。

    株式を分散させない具体的な手段は、関連記事「自社株を分散させずに次世代へ承継する方法」で整理しています。

    見直しの考え方:変えない部分と見直す部分を分ける

    憲章をどの程度変えてよいかは、悩ましい問題です。頻繁に変えれば重みが失われ、まったく変えなければ時代や家族の変化に合わなくなります。

    AEGISでは、憲章の中身を二つの層に分けて考えることをおすすめしています。

    • 変えない部分:前文と価値観。世代を超えて受け継ぐ核であり、改定には家族全員の合意を必要とするなど、変更のハードルを高く設定します。
    • 見直す部分:事業との関わり方、家族会議の運営、配当や資産の考え方など。事業の状況、税制、家族の構成の変化に合わせて、定期的に点検します。

    見直しのタイミングとしては、定例の家族会議のほか、代表者の交代、相続の発生、結婚や出産による家族の変化、事業の売却や大きな投資などが考えられます。

    AEGISの視点

    ファミリー憲章は、完成した文書そのものよりも、つくる過程で家族が交わした対話に価値があるとAEGISは考えています。普段は話題にしにくい事業の将来や財産のこと、家族それぞれの思いを、時間をかけて言葉にしていく過程そのものが、承継に向けた最も確かな準備になります。

    一方で、憲章を「理想を書いた文書」で終わらせないことも大切です。株式の持ち方、財産の配分、社会への還元の方針は、遺言・定款・信託・財団などの具体的な仕組みに落とし込んで初めて実現します。AEGISは、憲章を家族の価値観と、承継の法的・税務的な設計とをつなぐ「上位の設計図」と位置づけています。事業承継計画の「家族」のブロックとの関係は、関連記事「事業承継計画に含める項目とは」も参考になります。

    事業承継の全体像は「事業承継は何から始めるべきか」で整理しています。

    まとめ

    • ファミリー憲章は、家族が大切にする価値観と、事業・資産との関わり方のルールを文書にしたものです。
    • 原則として法的な拘束力はないため、合意した内容は定款・契約・遺言・信託などの仕組みに落とし込む必要があります。
    • 目的と範囲の設定、参加者の決定、個別の聞き取り、家族会議、文書化と合意、運用と見直しの6つのステップで進めると整理しやすくなります。
    • 細かく書き込みすぎず、変えない部分(価値観)と見直す部分(運用ルール)を分けることが、長く使える憲章につながります。
    • 具体的な内容は家族ごとに異なり、法的な仕組みとの接続には個別の検討が必要です。

    よくある質問

    Q. ファミリー憲章に法的な効力はありますか?

    原則として、憲章そのものには法的な拘束力はありません。株式の譲渡制限や財産の配分などを確実に実現するには、定款の定め、株主間の契約、遺言、民事信託などを別に整える必要があります。憲章は、それらの仕組みが何を目指すのかを家族で共有するための土台と考えるとよいでしょう。

    Q. 家族の人数が少なくても、作る意味はありますか?

    あります。家族が少ない段階のほうが話し合いはしやすく、次の世代で家族が増える前に考え方をそろえておくことができます。数ページの簡潔なものから始め、家族の変化に応じて充実させていく方法もあります。

    Q. 後継者でない子にも参加してもらうべきですか?

    参加してもらうことをおすすめします。事業承継や相続での対立は、後継者でない家族が「知らされていなかった」と感じることから深まることが少なくありません。事業に関わらない家族の役割や配慮の考え方を、本人も交えて話し合うことが大切です。

    Q. 憲章に遺留分を放棄すると書いておけば、遺留分の請求は防げますか?

    防げません。相続開始前に遺留分を放棄するには、家庭裁判所の許可が必要です。憲章で家族の理解を得たうえで、遺言での配分の工夫や、必要に応じて家庭裁判所の手続を検討することになります。

    Q. 作成にはどのくらいの期間がかかりますか?

    家族の人数や論点によりますが、個別の聞き取りから家族会議、文書化までを含めると、半年から1年程度を一つの目安としてください。急いで形だけ整えるよりも、時間をかけて合意を積み重ねるほうが、運用の段階で機能しやすくなります。

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    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『資産家のためのファミリーガバナンスガイドブック 〜相続・事業承継・資産運用・ファミリーオフィス〜』辻・本郷 税理士法人 ファミリーオフィス事業部、辻・本郷 ファミリーオフィス株式会社、岩崎隼人 編著、東峰書房、P.14-20、P.55-63
    • 『専門家のための事業承継入門 事例で学ぶ!事業承継フレームワーク』事業承継支援研究会 編、ロギカ書房、P.62-66
  • 複数の会社・資産にまたがる財産の整理|何を一覧にし、どこから検討すればよいか

    複数の会社・資産にまたがる財産の整理|何を一覧にし、どこから検討すればよいか

    事業会社に加えて、不動産を持つ資産管理会社、新しい事業のために設立した会社、さらに個人名義の不動産や金融資産——事業や資産が広がるにつれて、オーナーの財産は複数の「器」に分かれていきます。それぞれには合理的な理由があったはずですが、年月が経つと、オーナー本人でさえ全体を正確に説明できなくなることがあります。

    結論から言えば、財産や関係会社が多い場合の整理は、「何を持っているか」の一覧だけでなく、「会社どうし・会社と個人がどうつながっているか」まで含めて見える化することが出発点です。この記事では、一覧にすべき4つの資料と、整理の過程で確認したい論点を解説します。

    なぜ「一覧にすること」から始めるのか

    相続や事業承継の対策は、現状が正確に分かっていなければ設計できません。特に財産や会社が多い場合には、次のような理由から、一覧化そのものに大きな意味があります。

    • 相続の時間的な制約に備える:相続税の申告・納税の期限は、相続の開始を知った日の翌日から10か月以内です(国税庁 No.4205)。財産の把握に時間がかかると、遺産の分け方や納税資金の検討に使える時間が短くなります。
    • 相続税の規模感を把握する:相続税は、財産の総額から基礎控除(3,000万円+600万円×法定相続人の数)を差し引いて計算します(国税庁 No.4152)。会社の株式の評価は、会社が持つ財産によって変わるため、会社ごとの中身まで把握する必要があります。
    • 家族と後継者に引き継ぐ:オーナーの頭の中にしかない情報は、引き継ぐことができません。一覧は、家族や後継者と現状を共有するための共通言語になります。

    一覧にしたい4つの資料

    AEGISでは、複数の会社・資産を持つオーナーの現状を、次の4つの資料で整理することをおすすめしています。

    資料見えるもの主な情報源
    1. 個人の財産一覧オーナー個人が何を持っているか登記簿、固定資産税の課税明細、通帳・証券口座の明細、保険証券
    2. 資本関係図誰がどの会社の株式を持っているか各社の株主名簿、法人税申告書の別表
    3. 会社と個人の取引関係表会社どうし・会社と個人のお金と資産のつながり決算書の勘定科目内訳明細書、賃貸借契約書、金銭消費貸借契約書、保証契約
    4. 家族と役割の一覧家族の誰が、どの会社・財産にどう関わっているか戸籍、役員構成、株主名簿

    1. 個人の財産一覧

    個人名義の財産を、種類ごとに一覧にします。

    • 不動産:所在地、地目・用途、面積、名義(共有の場合は持分)、使っている人(自用・賃貸・会社に貸している)、収入と経費
    • 自社株式・関係会社株式:会社名、株数、持株割合
    • 金融資産:預貯金、上場株式・投資信託、債券
    • 保険:契約者・被保険者・受取人、保険金額
    • 会社への貸付金・会社からの借入金
    • その他:ゴルフ会員権、美術品、海外資産など
    • 債務・保証:借入金、連帯保証している会社の借入れ

    不動産は、固定資産税の課税明細を手がかりにすると漏れを防ぎやすくなります。所有不動産が多い場合は、物件ごとの収益と経費、相続税評価額を並べることで、収益性の低い物件や、売却・組み替えを検討すべき物件も見えてきます。

    2. 資本関係図

    オーナー、家族、各会社の間の株式の持ち合い関係を、図にします。

    • 各社の株主と持株割合(議決権割合)
    • 会社が他の会社の株式を持っている関係(親子会社、兄弟会社)
    • 会社どうしがお互いの株式を持ち合っている関係
    • 名義株(実際の出資者と株主名簿上の株主が異なる株式)の有無

    会社が多いと、どの会社を通じて誰が支配しているのかが分かりにくくなります。図にすることで、後継者がどの会社の株式を持てばグループ全体を経営できるのか、という承継の焦点が見えてきます。

    3. 会社と個人の取引関係表

    複数の会社を持つオーナーの財産整理で最も見落とされやすいのが、この「つながり」の部分です。

    • 不動産の貸し借り:個人の土地を会社に貸している、会社の建物に個人が住んでいる、資産管理会社の物件を事業会社が借りている、など
    • 資金の貸し借り:個人から会社への貸付金、会社間の貸付金
    • 保証:会社の借入れに対するオーナーの個人保証、会社間の保証
    • 業務の委託:資産管理会社が事業会社から管理業務を受託している、など

    これらの取引は、それぞれの会社の決算書や個人の申告書を別々に見ているだけでは、全体像がつかめません。取引ごとに、当事者・金額・条件・契約書の有無を一覧にしておくと、承継時にどの関係を整理すべきかが明確になります。

    4. 家族と役割の一覧

    財産と会社の一覧に、家族の情報を重ねます。

    • 推定相続人と、それぞれの年齢・居住地(海外在住の有無を含む)
    • 各会社での役員・従業員としての関与
    • 株式や不動産の保有状況
    • 承継についての意向(分かる範囲で)

    相続人の中に海外に住んでいる方がいる場合は、手続きや課税関係が国内だけの相続と異なることがあるため、この段階で把握しておきます(関連記事:海外在住の相続人がいる場合の準備)。

    一覧にすると見えてくる論点

    4つの資料をそろえると、次のような論点が浮かび上がることがよくあります。

    • 役割を終えた会社が残っている:かつての事業のために設立した会社が、実質的に活動していないまま維持費だけかかっている。
    • 会社と個人の境界が曖昧:会社が使う不動産の名義が個人のまま、賃料の設定が長年見直されていない、会社への貸付金が膨らんでいる。
    • 株主名簿と実態がずれている:名義株や、過去の相続で分散した株式が整理されていない。
    • 登記が古いまま:先代名義のままの不動産がある。令和6年4月からは相続登記の申請が義務化され、相続の開始と所有権の取得を知った日から3年以内の申請が必要です(正当な理由なく怠ると10万円以下の過料の対象。不動産登記法76条の2・164条)。
    • 納税資金の偏り:財産の多くが会社の株式や不動産で、個人の金融資産が少ない。
    • 保証の偏り:オーナー個人の保証が多く、後継者に引き継ぐ際の障害になり得る。

    いずれも、すぐに対策を実行する必要があるとは限りません。しかし、承継の設計に入る前に「論点リスト」として把握しておくことで、優先順位を付けた検討ができるようになります。

    整理を進める手順

    1. 情報を集める:登記簿、固定資産税の課税明細、各社の決算書・申告書・株主名簿、契約書類、通帳・証券口座の明細を集めます。
    2. 4つの資料を作る:最初から完璧を目指さず、分かる範囲で埋め、不明点は「要確認」として残します。
    3. 会社ごとの中身を確認する:各社の主な資産・負債と、オーナーや他の会社とのつながりを確認します。
    4. 相続税を概算する:会社の株式も含めた財産全体で、現時点の相続税の規模感と納税資金の過不足を把握します。
    5. 論点リストを作る:一覧から見えた課題を書き出し、承継の方針とあわせて優先順位を付けます。
    6. 年に一度更新する:決算の確定後などに、一覧を更新する習慣をつけます。

    相続税の概算に必要な情報は関連記事(相続税の概算に必要な情報)で、一覧をもとに財産の役割を決める考え方は関連記事(自社株・不動産・金融資産を組み合わせた承継)で解説しています。

    実務上注意したいポイント

    • 会社の数を減らすこと自体を目的にしない:会社をまとめる(合併や持株会社への集約など)ことで管理は簡素になりますが、税務や手続きの負担、取引先・金融機関との関係への影響もあります。整理の方向性は、承継後の経営と管理の体制から考えます。
    • 一覧の管理者を決める:一覧は作って終わりではなく、更新し続けることに意味があります。誰が更新し、誰と共有するかを決めておきます。
    • 機密性に配慮する:財産の一覧は極めて機密性の高い情報です。共有する範囲と保管方法をあらかじめ決めておくことが大切です。

    AEGISの視点

    複数の会社と資産を持つオーナーの財産は、一つひとつの判断の積み重ねでできています。節税のために作った会社、事業の拡大で取得した不動産、家族のために残した資産——それぞれに理由がありました。しかし承継の場面では、その「理由」が後継者や家族に伝わっていなければ、全体はただの複雑な構造に見えてしまいます。

    AEGISは、財産の整理を「オーナーがこれまで下してきた判断を、次の世代が理解できる形に翻訳する作業」と捉えています。一覧を作る過程で、「この会社は何のためにあるのか」「この不動産は誰のためのものか」をオーナー自身の言葉で書き添えておくことが、後継者にとって何よりの手がかりになります。

    財産や会社が多いご家族では、一覧の更新や家族での共有、専門家との連携を継続的に担う仕組み(ファミリーオフィス的な機能)を持つことも、整理を一度きりで終わらせないための一つの考え方です。相続・事業承継の全体像は親記事(相続対策と事業承継を一体で考える)で解説しています。

    相続が起きたあとの相続税の申告や手続きについては、アイジス税理士法人・アイジスファミリーオフィスでもご相談をお受けしています。詳しくは、相続税申告・相続手続きのご相談をご覧ください。

    まとめ

    • 財産や関係会社が多い場合は、「何を持っているか」に加え、「会社どうし・会社と個人がどうつながっているか」まで見える化することが出発点です。
    • 一覧にしたいのは、①個人の財産一覧、②資本関係図、③会社と個人の取引関係表、④家族と役割の一覧の4つです。
    • 一覧にすると、役割を終えた会社、会社と個人の境界の曖昧さ、名義や登記のずれ、納税資金の偏りなどの論点が見えてきます。
    • 一覧は完璧を目指さず作り始め、年に一度は更新します。整理の方向性は、承継後の経営と管理の体制から考えます。

    よくある質問

    Q. 財産の一覧は、どの程度の精度で作ればよいですか?

    最初は概算で構いません。不動産は固定資産税評価額、株式は直近の決算書の純資産など、手元の資料で分かる数字を入れ、不明な点は「要確認」として残します。精度は、相続税の試算や承継の検討を進める中で必要に応じて高めていけば十分です。

    Q. 資本関係図には、どこまでの会社を含めればよいですか?

    オーナーや家族が株式を持つ会社、それらの会社が株式を持つ会社は、規模にかかわらず含めることをおすすめします。休眠中の会社や、少額の出資をしている会社も、承継時に整理が必要になることがあるためです。

    Q. 使っていない会社は、清算したほうがよいですか?

    一概には言えません。維持コストがかかる一方、会社に資産や負債が残っている場合は、清算に伴う課税や手続きの負担が生じることがあります。他の会社との合併や、別の用途での活用も含めて比較し、承継の方針に沿って判断します。

    Q. 一覧は家族にどこまで見せるべきですか?

    共有の範囲は、家族の状況や承継の進み具合によって異なります。後継者や配偶者など中心となる家族と先に共有し、他の家族には方針が固まった段階で必要な範囲を共有する、という段階的な方法も考えられます。

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    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

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    税制改正は自分の承継計画に関係するか|改正情報を「自分ごと」として点検する考え方

    毎年12月頃になると「税制改正大綱」のニュースが流れ、相続税や贈与税、事業承継税制に関する見出しも目にします。しかし、その改正が自社や家族の承継計画にどのような影響を与えるのかは、ニュースを読むだけではなかなか判断できません。

    結論から言えば、税制改正は「何が変わったか」よりも「自分の計画のどの前提に触れるか」で読むことが大切です。承継計画は、財産の評価額、制度の期限、税額の計算方法、手続の段取りといった、いくつもの前提の上に組み立てられています。改正がそのどれに触れるのかを仕分けできれば、「関係がある改正」と「当面は関係が薄い改正」を落ち着いて見分けられるようになります。

    この記事では、税制改正を自分ごととして点検するための考え方と手順を、令和8年度税制改正の大綱に盛り込まれた資産課税の項目を具体例として解説します。

    税制改正はどのように決まり、いつ効力を持つのか

    まず押さえておきたいのは、ニュースで報じられる「大綱」の段階では、まだ改正は確定していないということです。税制改正は、おおむね次のような段階を経て効力を持ちます。

    段階主な内容令和8年度改正の例
    税制改正の大綱政府として改正の方針と内容を決定令和7年12月26日 閣議決定
    法律案の提出・成立国会で審議され、成立・公布される所得税法等の一部を改正する法律案:令和8年2月20日提出、3月31日成立・公布(令和8年法律第12号)
    政令・省令法律の細目(要件や手続など)を定める財務省が順次公表
    通達・FAQ等国税庁が法令の解釈や取扱いを示す財産評価基本通達の改正など

    ※上表の日付は財務省ウェブサイトの掲載情報によります。

    相続税・贈与税で特に注意したいのが、財産の評価です。相続税法は、相続等で取得した財産の価額を「取得の時における時価」によると定めていますが、具体的な評価方法の多くは国税庁の「財産評価基本通達」に委ねられています。そのため、評価に関するルールは、法律の改正だけでなく、通達の改正によっても変わります。改正情報を追うときは、「法律で決まるもの」と「通達で決まるもの」があることを意識しておくと、情報の確度を判断しやすくなります。

    改正が承継計画に影響する4つの経路

    AEGISでは、税制改正が承継計画に影響する経路を、次の4つに分けて考えています。

    経路何が変わるか承継計画への影響の例
    1. 期限制度の適用期限、計画や届出の提出期限「いつまでに何をするか」という時間軸が変わる
    2. 評価財産の評価方法・評価額同じ財産を持っていても、税額の見込みが変わる
    3. 計算加算期間、控除額、税率などの計算の仕組み贈与と相続の使い分けの前提が変わる
    4. 手続申告・届出・書類の要件準備すべき資料や段取りが変わる

    改正のニュースを見たら、まず「これは4つのうちどれに当たるか」を考えてみてください。それだけで、確認すべきことが具体的になります。

    さらに忘れてはならないのは、税制改正は税金以外の判断にも波及することです。たとえば評価方法が変われば、不動産を個人で持つか法人で持つか、どの財産を誰に渡すかといった所有と分配の設計にも影響することがあります。税額の増減だけを見て終わりにしないことが重要です。

    具体例:令和8年度税制改正の大綱に盛り込まれた資産課税の項目

    ここでは、令和8年度税制改正の大綱(令和7年12月26日閣議決定)のうち、資産・事業の承継に関係しやすい項目を、上の4つの経路で整理します。

    項目大綱の内容(要旨)経路
    非上場株式等の納税猶予の特例(法人版事業承継税制の特例措置)特例承継計画の提出期限を1年6月延長期限
    個人の事業用資産の納税猶予(個人版事業承継税制)個人事業承継計画の提出期限を2年6月延長期限
    教育資金の一括贈与に係る贈与税の非課税措置令和8年3月31日までとされている信託等可能期間を延長せずに終了(同日までに拠出された金銭等には引き続き適用)期限・計算
    相続税等の財産評価の適正化被相続人等が課税時期前5年以内に取得・新築した一定の貸付用不動産などについて、課税時期における通常の取引価額に相当する金額で評価(令和9年1月1日以後の相続等から)評価

    ※上表は大綱の記載を要約したものです。正確な要件・適用関係は原文と、その後の法令・通達でご確認ください。

    期限が変わる改正:事業承継税制

    法人版事業承継税制の特例措置について、中小企業庁は特例承継計画の提出期限を令和9年(2027年)9月30日としています。大綱の「1年6月延長」と整合する期限です。期限が延びたことで、検討の時間は確保されました。一方で、期限が延びても制度の要件や適用後の継続要件が軽くなったわけではありません。「時間ができたので後回しにする」のではなく、「時間ができたので方針を固める」と受け止めるのが望ましいでしょう。

    評価が変わる改正:貸付用不動産

    大綱では、貸付用不動産の市場価格と相続税評価額との乖離の実態を踏まえ、評価を見直す方針が示されました。これを受けて国税庁が公表した通達案「貸付用不動産の評価について」では、課税時期前5年以内に対価を伴う取引により取得または新築された貸付用不動産(貸家とその敷地)は、課税時期における通常の取引価額に相当する金額で評価するとされています。取得価額がその取得時の通常の取引価額に相当すると認められる場合は、土地は「取得価額×地価変動率」、建物は「取得価額-償却費」の100分の80で評価することもできます。また、不動産特定共同事業契約や分割された信託受益権などの「特定小口化商品」の目的となっている貸付用不動産は、取得の時期にかかわらず同様に評価するとされています。

    この見直しは、令和9年1月1日以後の相続・遺贈・贈与により取得した財産の評価に適用するとされています。通達案には、収用や一定の買換えなどで取得したものを対象外とする定めや、通達制定日までに以前から持っている土地に新築した建物(建築中を含む)を対象外とする経過措置も設けられています。2026年10月9日時点では意見公募中で最終通達は出ておらず、経過措置の基準となる通達制定日もまだ決まっていません(AEGISは、意見公募の締切(2026年10月18日)を踏まえ、10月下旬から11月上旬になる可能性が高いとみています)。賃貸不動産を保有している、または取得を検討しているオーナーにとっては、「評価」の経路で計画の前提に直接触れる改正といえます。不動産に関する点検の詳細は、関連記事「不動産評価や相続に関する制度変更時の点検事項」で解説しています。

    過去の改正が「今」効いてくることもある

    改正の影響は、公表された年だけに表れるわけではありません。たとえば、令和5年度の改正により、相続開始前に受けた暦年課税の贈与を相続財産に加算する期間は、3年から7年へと段階的に延びています。国税庁によれば、令和9年1月1日以後の相続から加算対象期間が延び始め、令和13年1月1日以後の相続では相続開始前7年以内が対象になります。また、令和6年1月1日以後の贈与からは、相続時精算課税に年110万円の基礎控除が設けられています。

    数年前に決まった改正が、これからの贈与や相続のタイミングに影響することもあります。承継計画を見直すときは、「今年の改正」だけでなく「経過措置の途中にある改正」も確認対象に含めておく必要があります。

    改正を「自分ごと」として点検する5つのステップ

    では、実際に改正情報に接したとき、何から確認すればよいでしょうか。AEGISでは次の順番をおすすめしています。

    1. 自分の前提を書き出しておく:保有財産の一覧(種類・取得時期・所有者)、承継計画の時間軸、検討中の制度や対策を、普段から一枚にまとめておきます。前提が見えていないと、改正との照合ができません。
    2. 改正を4つの経路で仕分ける:期限・評価・計算・手続のどれに当たるかを判断し、自分の前提のどこに触れるかを確認します。
    3. 対象と適用時期を確認する:「誰の、どの財産・取引が対象か」「いつ以後の相続・贈与から適用されるか」「経過措置はあるか」を、一次情報で確認します。
    4. 税額だけでなく方針への影響を考える:影響が出る場合、税額の増減だけでなく、所有の形、分配のバランス、納税資金、事業の継続性に波及しないかを検討します。
    5. 確定した内容で計画を更新する:大綱の段階では内容が変わる可能性もあります。法令や通達で確定した内容を確認したうえで、計画を更新します。

    改正情報の具体的な追い方や、専門家に相談するタイミングについては、関連記事「制度改正の情報をどう追い、いつ相談するか」で詳しく解説しています。

    実務上注意したいポイント

    大綱は「方針」であり、確定ではない

    大綱は政府の方針を示すもので、細かな要件は法律・政令・省令・通達で定まります。大綱の要約記事だけを根拠に、急いで売買や贈与を実行するのは避けたほうが安全です。

    情報源の「基準日」を確認する

    書籍や解説記事には、それぞれ前提とする法令の時点があります。たとえば、令和7年12月時点の法令に基づいて作られた実務書では、特例承継計画の提出期限が改正前の日付で記載され、大綱で延長が示された旨が注記として添えられている例もあります。古い情報が誤っているのではなく、基準日が違うのです。国税庁のタックスアンサーにも「令和8年4月1日現在法令等」のように基準日が示されています。

    「駆け込み」を目的にしない

    適用開始日が示されると、その前に対策を済ませようとする動きが出がちです。しかし、評価の見直しの背景には、評価額と実際の価値との乖離への問題意識があります。改正の趣旨を踏まえずに取引を急ぐと、税務上だけでなく、資産の収益性や流動性の面でも無理が生じることがあります。

    AEGISの視点

    税制改正の情報に接したとき、多くの方は「得をするか、損をするか」を最初に考えます。しかしAEGISは、税制改正を「自分たちの承継計画の前提を点検する、年に一度の機会」と捉えています。

    承継計画は、作った瞬間から少しずつ前提がずれていきます。財産の評価は毎年変わり、家族の状況も変わり、制度も改正されます。改正のニュースは、そのずれに気づくきっかけとして使うのが最も有益です。期限が延びた、評価が変わった、という事実そのものより、「それによって自分たちの計画のどこを見直す必要があるか」を考えることに価値があります。

    そのためにも、事業・資産・不動産・税務・所有・承継を一つの全体像として把握しておくことが欠かせません。全体像が手元にあれば、改正が一つ発表されても、慌てずに「関係がある部分」だけを確認できます。税金は方針を実現するための手段の一つであり、改正によって方針そのものを揺るがせる必要はない——その前提に立つことが、改正に振り回されない承継設計の土台になると考えています。

    事業承継をどこから始めるかは関連記事「事業承継は何から始めるべきか」で、会社と個人の財産を一体で考える視点は「相続対策と事業承継を一体で考える」で解説しています。

    承継や資産税務、不動産評価に関わる論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 税制改正は「何が変わったか」より「自分の計画のどの前提に触れるか」で読むことが大切です。
    • 改正が承継計画に影響する経路は、期限・評価・計算・手続の4つに整理できます。
    • 令和8年度税制改正の大綱では、事業承継税制の計画提出期限の延長、教育資金の一括贈与の非課税措置の終了、貸付用不動産の評価の見直しなどが示されました。
    • 過去の改正の経過措置が、これからの贈与や相続に影響することもあります。
    • 大綱は確定ではありません。法令・通達で確定した内容を一次情報で確認してから計画を更新します。

    具体的な影響の有無や対応は、財産の内容や家族の状況など個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. 税制改正大綱が出たら、すぐに対策を始めるべきですか?

    まずは影響の有無を確認する段階です。大綱は政府の方針であり、細かな要件は法律や政令・省令、通達で定まります。影響がありそうな項目について適用時期と対象を確認し、確定した内容を踏まえて計画を見直すのが基本的な順番です。期限が近い制度については、確定を待ちながら準備を並行して進めることもあります。

    Q. 相続税の評価方法は、法律で決まっているのですか?

    相続税法は、財産の価額を取得の時の時価によると定めていますが、具体的な評価方法の多くは国税庁の財産評価基本通達で定められています。そのため、評価のルールは通達の改正によって変わることがあります。令和8年度大綱で示された貸付用不動産の評価の見直しも、国税庁が通達案を公表し、通達で定める形で進められています。

    Q. 事業承継税制の期限が延びたなら、急いで検討しなくてもよいですか?

    期限が延びたことで検討の時間は確保されましたが、制度を使うかどうかの判断や、後継者・株式・財産の設計には時間がかかります。中小企業庁によれば、特例承継計画の提出期限は令和9年9月30日です。期限から逆算し、方針の整理を早めに進めておくことが望まれます。

    Q. 自分に関係する改正かどうか、どうすれば分かりますか?

    保有財産の一覧や承継計画など、自分の「前提」を書き出しておくことが出発点です。そのうえで、改正が期限・評価・計算・手続のどれに当たり、自分の前提のどこに触れるかを照らし合わせます。前提が整理されていれば、関係する改正を絞り込みやすくなります。

    Q. 過去の改正も確認する必要がありますか?

    あります。生前贈与の加算期間の延長のように、経過措置によって段階的に影響が表れる改正があるためです。承継計画を見直すときは、その年の改正だけでなく、経過措置の途中にある改正も確認対象に含めることをおすすめします。

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    • 相続と資産承継:財産の内容とご家族の意向から、納税資金・財産配分・遺言・承継の実行を一体で考えます。
    • 事業承継:後継者、経営権、株式、資金、ご家族の意向を確認し、承継の計画から実行までを支援します。
    • 税務顧問と経営管理:税務申告・会計・納税予測・資金繰りをつなぎ、継続的な経営管理を支援します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

  • 退職金とiDeCoを受け取る順番が変わった|退職所得控除の重複調整の仕組みと、役員退職金・小規模企業共済を含む受取時期の考え方

    退職金とiDeCoを受け取る順番が変わった|退職所得控除の重複調整の仕組みと、役員退職金・小規模企業共済を含む受取時期の考え方

    退職金とiDeCo(個人型確定拠出年金)の一時金は、どちらも「退職所得」として課税され、勤続年数などに応じた退職所得控除を差し引くことができます。ただし、両方を受け取る場合、控除が二重に使われないよう、一定の期間内であれば重複部分を調整するルールがあります。

    このルールが改正され、令和8年(2026年)1月1日以後に支払を受けるiDeCoなど確定拠出年金の一時金については、「先にiDeCoの一時金を受け取り、後で退職金を受け取る」場合の調整の対象期間が、前年以前4年内から前年以前9年内へと延びました。これまで知られていた「iDeCoを先に受け取り、5年以上空けて退職金を受け取る」という順番の考え方は、そのままでは通用しなくなっています。

    この記事では、受け取る個人の立場から、退職所得の課税の仕組み、重複調整の考え方、役員退職金や小規模企業共済も含めた受取順序の検討の視点を整理します。会社側の役員退職金の支給設計は、関連記事「役員退職金はいつ・いくら支給するか」で扱っています。

    退職所得の基本:なぜ「控除の使い方」が重要なのか

    国税庁によると、退職所得の金額は、原則として次の式で計算します。

    (退職手当等の収入金額 − 退職所得控除額)× 1/2 = 退職所得の金額

    退職所得控除額は、勤続年数に応じて次のように計算します。

    勤続年数退職所得控除額
    20年以下40万円 × 勤続年数(80万円に満たない場合は80万円)
    20年超800万円 + 70万円 ×(勤続年数 − 20年)

    ※障害者になったことが直接の原因で退職した場合は、上記に100万円が加算されます。

    退職所得は他の所得と分けて課税され、さらに控除後の金額の2分の1だけが課税の対象になるため、給与などと比べて税負担が軽くなるように設計されています。ただし、役員等としての勤続年数が5年以下の人が受け取る退職金(特定役員退職手当等)には2分の1の計算がなく、役員以外で勤続5年以下の人が受け取る退職金も、控除後300万円を超える部分には2分の1の計算が適用されません。

    退職所得控除は勤続年数が長いほど大きくなる一方、一生に何度でも満額使えるものではありません。同じ期間に対応する控除が重複しないよう調整されるため、複数の退職給付を受け取る人ほど、受け取る時期と順番が税負担に影響します。

    iDeCo・小規模企業共済の受け取り方と課税

    退職所得として扱われるのは、会社から受け取る退職金だけではありません。

    • iDeCoなど確定拠出年金:老齢給付金を一時金で受け取ると退職所得、年金で受け取ると公的年金等の雑所得として扱われます。受給開始の時期は、加入期間などに応じて60歳から75歳までの間で選びます。
    • 小規模企業共済:共済金を一括で受け取ると退職所得、分割で受け取ると公的年金等の雑所得として扱われます。一括と分割の併用もできます。

    事業オーナーの場合、会社からの役員退職金、iDeCoの一時金、小規模企業共済の共済金というように、退職所得に当たる受け取りが三つ重なることも珍しくありません。

    重複調整の仕組みと、今回の改正

    国税庁の情報に基づくと、受け取る順番によって、調整の対象となる期間は次のように整理できます。

    受け取る順番調整の対象となる期間改正による変化
    退職金を先、退職金を後(転職など)前年以前4年内に受けた退職手当等変更なし
    退職金を先、iDeCo等の一時金を後前年以前19年内に受けた退職手当等変更なし
    iDeCo等の一時金を先、退職金を後前年以前9年内に受けたiDeCo等の一時金(令和8年1月1日以後に支払を受けたものに限る)4年内から9年内へ
    同じ年に両方を受け取る同一年の退職所得として合算し、勤続期間の重複を調整変更なし

    ※国税庁 タックスアンサー No.2732・No.2735、所得税法施行令69条・70条をもとにAEGISが整理したものです。前年以前9年内に令和8年1月1日以後のiDeCo等の一時金を受けている場合は、令和8年1月1日以後に受けた他の退職手当等も前年以前9年内まで調整の対象になります。

    調整の対象となる場合、今回受け取る退職金の勤続期間と、前に受け取った退職給付の勤続期間(iDeCoの場合は加入期間など)が重なる部分について、その年数に応じた控除額を差し引きます。つまり、期間が重なっている分だけ、後から受け取る側の退職所得控除が小さくなる仕組みです。

    「5年空ければよい」が通用しなくなった理由

    改正前は、iDeCoの一時金を先に受け取り、その翌年から数えて5年目以降に退職金を受け取れば、前年以前4年内の調整に当たらず、それぞれの退職所得控除を重複なく使える場合がありました。改正後は、令和8年1月1日以後に支払を受けるiDeCo等の一時金について、調整の対象期間が9年内に延びたため、同じ効果を得るにはおおむね10年以上の間隔が必要になります。

    一方、令和7年以前にiDeCo等の一時金をすでに受け取った人は、改正後の9年ルールの対象にはなりません。自分がどちらに当たるかは、一時金を実際に受け取った日で判断することになります。

    数字で見るイメージ

    たとえば、ある会社に38年勤めた人の退職所得控除額は、800万円+70万円×(38年−20年)=2,060万円です。この人がiDeCoに20年加入していれば、iDeCoの一時金だけで計算した退職所得控除額は、800万円(40万円×20年)です。

    同じ年に両方を受け取り、iDeCoの加入期間20年が会社の勤続期間38年にすべて含まれる場合は、両方の収入金額を合計し、最も長い期間(38年)で計算した2,060万円が退職所得控除額になります(所得税法施行令69条1項3号、国税庁 No.2735)。重複する20年分の控除を別に上乗せすることはできません。

    別の年に受け取る場合は計算の仕方が異なります。前の受取りが調整の対象期間内にあるときは、後で受け取る側の勤続年数で計算した控除額から、重複している期間の年数(1年未満切捨て)で計算した控除額相当額を差し引きます(同令70条、国税庁 No.2732)。ただし、先に受け取った金額がその受取りについての退職所得控除額に満たない場合は、受取額に応じて重複期間を短くみなす調整があります(同条2項)。そのため、別の年に受け取る場合の控除額は、受取りの順番・受取年・各期間の始まりと終わり・受取額によって変わり、上の例の数字だけでは決まりません。調整の対象とならない間隔を空けて受け取れれば、それぞれの控除を使える可能性があります。

    ※説明のための単純化した例です。実際の控除額は、勤続期間・加入期間の重なり方や受取額によって異なります。

    受取順序を考えるときの視点

    1. まず「受け取れる時期」の制約を確認する

    受取順序は自由に選べるわけではありません。役員退職金は会社での退任の時期や株主総会の決議に、iDeCoは60歳から75歳までという受給開始の範囲に、小規模企業共済は共済金を請求できる事由に、それぞれ左右されます。最初に、各制度でいつ受け取れるのかを一覧にすることが出発点です。

    2. 一時金だけでなく「年金で受け取る」選択肢も比べる

    iDeCoや小規模企業共済は、年金(分割)で受け取ることもできます。この場合は退職所得控除ではなく公的年金等控除の対象になり、退職金との重複調整の問題は生じません。ただし、公的年金や、退任後も役員報酬を受け取る場合の給与所得と合算して課税されるため、毎年の所得税・住民税や社会保険料への影響も見る必要があります。なお、令和8年度税制改正の大綱では、給与等と公的年金等の両方の収入がある人について、給与所得控除額と公的年金等控除額の合計額が280万円を超える場合に公的年金等控除額を調整する見直しが、令和9年分以後の所得税について示されています。

    3. 小規模企業共済の一括受取りも同じ視点で見る

    小規模企業共済の一括受取りも退職手当等とみなされる一時金(所得税法31条、同法施行令72条3項3号)として退職所得に当たり、重複調整の対象となる「退職手当等」に含まれます。役員退職金やiDeCoの一時金との時期の関係を、あわせて確認しておきたいところです。どの受け取りが調整の対象となるかは、受け取る時期と金額によって変わるため、個別に計算して確認することが大切です。

    4. 税負担だけで決めない

    受け取りを遅らせれば、その間の運用の成果は市場の動きに左右されます。生活資金の必要な時期、事業承継のスケジュール、相続の準備との関係も含めて考える必要があります。所得の種類ごとの課税の全体像は、関連記事「高所得者の所得税・住民税の全体像」で整理しています。

    実務上注意したいポイント

    • 受け取る前に「退職所得の受給に関する申告書」を提出する:提出しない場合、支払額に対して20.42%の税率で源泉徴収され、確定申告で精算することになります。
    • 前に受け取った退職給付の源泉徴収票を保管しておく:重複調整には、前の受取額や勤続期間の情報が必要です。
    • 事業承継・会社売却と時期が重なる場合は全体で設計する:役員退職金の支給時期は、株式の承継や売却の時期と結び付いていることが多く、個人の受取順序だけで決められない場合があります。会社売却と退職金の組み合わせは、関連記事「会社売却と役員退職金の組み合わせ」で扱っています。

    • 税制は今後も見直される可能性がある:退職所得の課税のあり方は議論が続いているテーマです。計画を立てた後も、改正の動向を確認する必要があります。

    AEGISの視点

    退職金やiDeCo、小規模企業共済は、それぞれ別の制度として案内されることが多く、受け取る側も「制度ごと」に考えがちです。しかし税金の計算では、これらは退職所得控除という一つの枠を、時期を通じて分け合う関係にあります。

    AEGISは、事業オーナーの引退期の資金計画を、「会社から受け取るもの」と「自分で積み立ててきたもの」を一つの時間軸に並べる設計として考えることが大切だと考えています。役員退職金の時期は事業承継の計画と、iDeCoや共済の受取時期は老後の生活資金や運用の方針と、さらに残る資産は相続の準備と結び付いています。今回の改正は、その時間軸の上で、受け取りの間隔に対する考え方を変えるものです。

    順番だけを最適化しようとすると、承継のタイミングや家族の生活資金といった、より大きな判断とずれてしまうことがあります。まず全体のスケジュールを描き、そのうえで税負担の違いを確かめる——この順序を大切にしたいと考えています。改正情報を自分の計画に引き寄せて点検する考え方は、Pillar記事「税制改正は自分の承継計画に関係するか」でも整理しています。

    承継と個人の資産に関わる税務の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 退職金、iDeCoの一時金、小規模企業共済の一括受取りは、いずれも退職所得として扱われます。
    • 複数の退職給付を受け取る場合、一定期間内であれば退職所得控除の重複が調整されます。
    • 令和8年1月1日以後に支払を受けるiDeCo等の一時金を先に受け取り、後で退職金を受け取る場合、調整の対象期間は前年以前4年内から9年内に延びました。
    • 退職金を先に受け取り、後でiDeCo等の一時金を受け取る場合は、前年以前19年内が調整の対象です。
    • 受取順序は、各制度の受給時期の制約、年金受取りの選択肢、事業承継や生活資金の計画とあわせて検討することが大切です。

    よくある質問

    Q. iDeCoの一時金を先に受け取れば、退職金の税金は有利になりますか?

    一概には言えません。令和8年1月1日以後に支払を受けるiDeCo等の一時金については、その後9年以内に退職金を受け取ると、退職所得控除の重複が調整されます。調整の対象とならない間隔を空けられるかどうか、受取額や勤続期間の重なり方によって結果は変わります。

    Q. 令和7年にiDeCoの一時金を受け取りました。改正の影響はありますか?

    改正後の9年内の調整は、令和8年1月1日以後に支払を受けたiDeCo等の一時金に限られています。令和7年以前に受け取った一時金については、従来どおり前年以前4年内かどうかで調整の有無を判断することになります。具体的な取扱いは、受け取った日と退職金の支払時期を確認して判断してください。

    Q. iDeCoを年金で受け取れば、退職金との調整は必要ありませんか?

    年金で受け取る場合は公的年金等の雑所得となり、退職所得控除の重複調整の対象にはなりません。ただし、公的年金や給与所得などと合算して毎年課税されるため、税負担や社会保険料への影響を比べたうえで選ぶことが大切です。

    Q. 小規模企業共済の共済金も、受取順序に関係しますか?

    小規模企業共済の共済金を一括で受け取ると退職所得として扱われます。役員退職金やiDeCoの一時金と受け取る時期が近い場合は、退職所得控除の調整の有無を含めて確認しておく必要があります。分割で受け取る場合は公的年金等の雑所得になります。

    Q. 役員を退任した後も報酬を受け取る場合、何に注意すればよいですか?

    退任後の報酬の額や勤務の実態によっては、退職金が退職所得として認められるかどうかが問題になることがあります。また、年金で受け取る給付がある場合は給与所得との合算も考える必要があります。会社側の支給設計とあわせて検討することをおすすめします。

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    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『税理士のための 所得税重要ポイント実務ガイド 〜令和2年3月申告用〜』天池&パートナーズ税理士事務所 編、税務研究会出版局、2019年、2-12 退職所得(P.179-183)
    • 『税理士のためのポケットブック 2026』東京税理士政治連盟 企画・編集、東京税理士会、2026年、Chapter 1 主な国税 1 所得税(P.11、P.16)