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  • 退職金とiDeCoを受け取る順番が変わった|退職所得控除の重複調整の仕組みと、役員退職金・小規模企業共済を含む受取時期の考え方

    退職金とiDeCoを受け取る順番が変わった|退職所得控除の重複調整の仕組みと、役員退職金・小規模企業共済を含む受取時期の考え方

    退職金とiDeCo(個人型確定拠出年金)の一時金は、どちらも「退職所得」として課税され、勤続年数などに応じた退職所得控除を差し引くことができます。ただし、両方を受け取る場合、控除が二重に使われないよう、一定の期間内であれば重複部分を調整するルールがあります。

    このルールが改正され、令和8年(2026年)1月1日以後に支払を受けるiDeCoなど確定拠出年金の一時金については、「先にiDeCoの一時金を受け取り、後で退職金を受け取る」場合の調整の対象期間が、前年以前4年内から前年以前9年内へと延びました。これまで知られていた「iDeCoを先に受け取り、5年以上空けて退職金を受け取る」という順番の考え方は、そのままでは通用しなくなっています。

    この記事では、受け取る個人の立場から、退職所得の課税の仕組み、重複調整の考え方、役員退職金や小規模企業共済も含めた受取順序の検討の視点を整理します。会社側の役員退職金の支給設計は、関連記事「役員退職金はいつ・いくら支給するか」で扱っています。

    退職所得の基本:なぜ「控除の使い方」が重要なのか

    国税庁によると、退職所得の金額は、原則として次の式で計算します。

    (退職手当等の収入金額 − 退職所得控除額)× 1/2 = 退職所得の金額

    退職所得控除額は、勤続年数に応じて次のように計算します。

    勤続年数退職所得控除額
    20年以下40万円 × 勤続年数(80万円に満たない場合は80万円)
    20年超800万円 + 70万円 ×(勤続年数 − 20年)

    ※障害者になったことが直接の原因で退職した場合は、上記に100万円が加算されます。

    退職所得は他の所得と分けて課税され、さらに控除後の金額の2分の1だけが課税の対象になるため、給与などと比べて税負担が軽くなるように設計されています。ただし、役員等としての勤続年数が5年以下の人が受け取る退職金(特定役員退職手当等)には2分の1の計算がなく、役員以外で勤続5年以下の人が受け取る退職金も、控除後300万円を超える部分には2分の1の計算が適用されません。

    退職所得控除は勤続年数が長いほど大きくなる一方、一生に何度でも満額使えるものではありません。同じ期間に対応する控除が重複しないよう調整されるため、複数の退職給付を受け取る人ほど、受け取る時期と順番が税負担に影響します。

    iDeCo・小規模企業共済の受け取り方と課税

    退職所得として扱われるのは、会社から受け取る退職金だけではありません。

    • iDeCoなど確定拠出年金:老齢給付金を一時金で受け取ると退職所得、年金で受け取ると公的年金等の雑所得として扱われます。受給開始の時期は、加入期間などに応じて60歳から75歳までの間で選びます。
    • 小規模企業共済:共済金を一括で受け取ると退職所得、分割で受け取ると公的年金等の雑所得として扱われます。一括と分割の併用もできます。

    事業オーナーの場合、会社からの役員退職金、iDeCoの一時金、小規模企業共済の共済金というように、退職所得に当たる受け取りが三つ重なることも珍しくありません。

    重複調整の仕組みと、今回の改正

    国税庁の情報に基づくと、受け取る順番によって、調整の対象となる期間は次のように整理できます。

    受け取る順番調整の対象となる期間改正による変化
    退職金を先、退職金を後(転職など)前年以前4年内に受けた退職手当等変更なし
    退職金を先、iDeCo等の一時金を後前年以前19年内に受けた退職手当等変更なし
    iDeCo等の一時金を先、退職金を後前年以前9年内に受けたiDeCo等の一時金(令和8年1月1日以後に支払を受けたものに限る)4年内から9年内へ
    同じ年に両方を受け取る同一年の退職所得として合算し、勤続期間の重複を調整変更なし

    ※国税庁 タックスアンサー No.2732・No.2735、所得税法施行令69条・70条をもとにAEGISが整理したものです。前年以前9年内に令和8年1月1日以後のiDeCo等の一時金を受けている場合は、令和8年1月1日以後に受けた他の退職手当等も前年以前9年内まで調整の対象になります。

    調整の対象となる場合、今回受け取る退職金の勤続期間と、前に受け取った退職給付の勤続期間(iDeCoの場合は加入期間など)が重なる部分について、その年数に応じた控除額を差し引きます。つまり、期間が重なっている分だけ、後から受け取る側の退職所得控除が小さくなる仕組みです。

    「5年空ければよい」が通用しなくなった理由

    改正前は、iDeCoの一時金を先に受け取り、その翌年から数えて5年目以降に退職金を受け取れば、前年以前4年内の調整に当たらず、それぞれの退職所得控除を重複なく使える場合がありました。改正後は、令和8年1月1日以後に支払を受けるiDeCo等の一時金について、調整の対象期間が9年内に延びたため、同じ効果を得るにはおおむね10年以上の間隔が必要になります。

    一方、令和7年以前にiDeCo等の一時金をすでに受け取った人は、改正後の9年ルールの対象にはなりません。自分がどちらに当たるかは、一時金を実際に受け取った日で判断することになります。

    数字で見るイメージ

    たとえば、ある会社に38年勤めた人の退職所得控除額は、800万円+70万円×(38年−20年)=2,060万円です。この人がiDeCoに20年加入していれば、iDeCoの一時金だけで計算した退職所得控除額は、800万円(40万円×20年)です。

    同じ年に両方を受け取り、iDeCoの加入期間20年が会社の勤続期間38年にすべて含まれる場合は、両方の収入金額を合計し、最も長い期間(38年)で計算した2,060万円が退職所得控除額になります(所得税法施行令69条1項3号、国税庁 No.2735)。重複する20年分の控除を別に上乗せすることはできません。

    別の年に受け取る場合は計算の仕方が異なります。前の受取りが調整の対象期間内にあるときは、後で受け取る側の勤続年数で計算した控除額から、重複している期間の年数(1年未満切捨て)で計算した控除額相当額を差し引きます(同令70条、国税庁 No.2732)。ただし、先に受け取った金額がその受取りについての退職所得控除額に満たない場合は、受取額に応じて重複期間を短くみなす調整があります(同条2項)。そのため、別の年に受け取る場合の控除額は、受取りの順番・受取年・各期間の始まりと終わり・受取額によって変わり、上の例の数字だけでは決まりません。調整の対象とならない間隔を空けて受け取れれば、それぞれの控除を使える可能性があります。

    ※説明のための単純化した例です。実際の控除額は、勤続期間・加入期間の重なり方や受取額によって異なります。

    受取順序を考えるときの視点

    1. まず「受け取れる時期」の制約を確認する

    受取順序は自由に選べるわけではありません。役員退職金は会社での退任の時期や株主総会の決議に、iDeCoは60歳から75歳までという受給開始の範囲に、小規模企業共済は共済金を請求できる事由に、それぞれ左右されます。最初に、各制度でいつ受け取れるのかを一覧にすることが出発点です。

    2. 一時金だけでなく「年金で受け取る」選択肢も比べる

    iDeCoや小規模企業共済は、年金(分割)で受け取ることもできます。この場合は退職所得控除ではなく公的年金等控除の対象になり、退職金との重複調整の問題は生じません。ただし、公的年金や、退任後も役員報酬を受け取る場合の給与所得と合算して課税されるため、毎年の所得税・住民税や社会保険料への影響も見る必要があります。なお、令和8年度税制改正の大綱では、給与等と公的年金等の両方の収入がある人について、給与所得控除額と公的年金等控除額の合計額が280万円を超える場合に公的年金等控除額を調整する見直しが、令和9年分以後の所得税について示されています。

    3. 小規模企業共済の一括受取りも同じ視点で見る

    小規模企業共済の一括受取りも退職手当等とみなされる一時金(所得税法31条、同法施行令72条3項3号)として退職所得に当たり、重複調整の対象となる「退職手当等」に含まれます。役員退職金やiDeCoの一時金との時期の関係を、あわせて確認しておきたいところです。どの受け取りが調整の対象となるかは、受け取る時期と金額によって変わるため、個別に計算して確認することが大切です。

    4. 税負担だけで決めない

    受け取りを遅らせれば、その間の運用の成果は市場の動きに左右されます。生活資金の必要な時期、事業承継のスケジュール、相続の準備との関係も含めて考える必要があります。所得の種類ごとの課税の全体像は、関連記事「高所得者の所得税・住民税の全体像」で整理しています。

    実務上注意したいポイント

    • 受け取る前に「退職所得の受給に関する申告書」を提出する:提出しない場合、支払額に対して20.42%の税率で源泉徴収され、確定申告で精算することになります。
    • 前に受け取った退職給付の源泉徴収票を保管しておく:重複調整には、前の受取額や勤続期間の情報が必要です。
    • 事業承継・会社売却と時期が重なる場合は全体で設計する:役員退職金の支給時期は、株式の承継や売却の時期と結び付いていることが多く、個人の受取順序だけで決められない場合があります。会社売却と退職金の組み合わせは、関連記事「会社売却と役員退職金の組み合わせ」で扱っています。

    • 税制は今後も見直される可能性がある:退職所得の課税のあり方は議論が続いているテーマです。計画を立てた後も、改正の動向を確認する必要があります。

    AEGISの視点

    退職金やiDeCo、小規模企業共済は、それぞれ別の制度として案内されることが多く、受け取る側も「制度ごと」に考えがちです。しかし税金の計算では、これらは退職所得控除という一つの枠を、時期を通じて分け合う関係にあります。

    AEGISは、事業オーナーの引退期の資金計画を、「会社から受け取るもの」と「自分で積み立ててきたもの」を一つの時間軸に並べる設計として考えることが大切だと考えています。役員退職金の時期は事業承継の計画と、iDeCoや共済の受取時期は老後の生活資金や運用の方針と、さらに残る資産は相続の準備と結び付いています。今回の改正は、その時間軸の上で、受け取りの間隔に対する考え方を変えるものです。

    順番だけを最適化しようとすると、承継のタイミングや家族の生活資金といった、より大きな判断とずれてしまうことがあります。まず全体のスケジュールを描き、そのうえで税負担の違いを確かめる——この順序を大切にしたいと考えています。改正情報を自分の計画に引き寄せて点検する考え方は、Pillar記事「税制改正は自分の承継計画に関係するか」でも整理しています。

    承継と個人の資産に関わる税務の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 退職金、iDeCoの一時金、小規模企業共済の一括受取りは、いずれも退職所得として扱われます。
    • 複数の退職給付を受け取る場合、一定期間内であれば退職所得控除の重複が調整されます。
    • 令和8年1月1日以後に支払を受けるiDeCo等の一時金を先に受け取り、後で退職金を受け取る場合、調整の対象期間は前年以前4年内から9年内に延びました。
    • 退職金を先に受け取り、後でiDeCo等の一時金を受け取る場合は、前年以前19年内が調整の対象です。
    • 受取順序は、各制度の受給時期の制約、年金受取りの選択肢、事業承継や生活資金の計画とあわせて検討することが大切です。

    よくある質問

    Q. iDeCoの一時金を先に受け取れば、退職金の税金は有利になりますか?

    一概には言えません。令和8年1月1日以後に支払を受けるiDeCo等の一時金については、その後9年以内に退職金を受け取ると、退職所得控除の重複が調整されます。調整の対象とならない間隔を空けられるかどうか、受取額や勤続期間の重なり方によって結果は変わります。

    Q. 令和7年にiDeCoの一時金を受け取りました。改正の影響はありますか?

    改正後の9年内の調整は、令和8年1月1日以後に支払を受けたiDeCo等の一時金に限られています。令和7年以前に受け取った一時金については、従来どおり前年以前4年内かどうかで調整の有無を判断することになります。具体的な取扱いは、受け取った日と退職金の支払時期を確認して判断してください。

    Q. iDeCoを年金で受け取れば、退職金との調整は必要ありませんか?

    年金で受け取る場合は公的年金等の雑所得となり、退職所得控除の重複調整の対象にはなりません。ただし、公的年金や給与所得などと合算して毎年課税されるため、税負担や社会保険料への影響を比べたうえで選ぶことが大切です。

    Q. 小規模企業共済の共済金も、受取順序に関係しますか?

    小規模企業共済の共済金を一括で受け取ると退職所得として扱われます。役員退職金やiDeCoの一時金と受け取る時期が近い場合は、退職所得控除の調整の有無を含めて確認しておく必要があります。分割で受け取る場合は公的年金等の雑所得になります。

    Q. 役員を退任した後も報酬を受け取る場合、何に注意すればよいですか?

    退任後の報酬の額や勤務の実態によっては、退職金が退職所得として認められるかどうかが問題になることがあります。また、年金で受け取る給付がある場合は給与所得との合算も考える必要があります。会社側の支給設計とあわせて検討することをおすすめします。

    関連するAEGISのソリューション

    この記事のテーマに関連する、AEGISのソリューションです。

    • 税務顧問と経営管理:税務申告・会計・納税の予測・資金繰りをつなげて、経営の管理を支援します。
    • 事業承継:後継者・経営権・株式・資金・ご家族の意向を確認し、承継の計画づくりを支援します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『税理士のための 所得税重要ポイント実務ガイド 〜令和2年3月申告用〜』天池&パートナーズ税理士事務所 編、税務研究会出版局、2019年、2-12 退職所得(P.179-183)
    • 『税理士のためのポケットブック 2026』東京税理士政治連盟 企画・編集、東京税理士会、2026年、Chapter 1 主な国税 1 所得税(P.11、P.16)
  • 電子帳簿保存と電子申告への対応|中小企業・個人事業主が「義務」と「選択」を分けて整える方法

    電子帳簿保存と電子申告への対応|中小企業・個人事業主が「義務」と「選択」を分けて整える方法

    電子帳簿保存法への対応で、中小企業や個人事業主が必ず行わなければならないのは「電子取引データの保存」です。メールやWebサイト、クラウドサービスなどで受け取った請求書・領収書などのデータは、紙に印刷して終わりにせず、データのまま保存する必要があります。

    一方、会計ソフトで作った帳簿を電子データで保存する「電子帳簿等保存」や、紙の書類をスキャンして保存する「スキャナ保存」は、要件を満たせば選べる任意の制度です。また、法人税等の電子申告(e-Tax)が義務になっているのは、主に資本金1億円を超える法人などであり、多くの中小企業にとって電子申告は選択の問題です。

    この記事では、「義務」と「選択」を分けたうえで、最低限やるべきこと、やると得なこと、令和9年(2027年)からの見直しまでを整理します。

    電子帳簿保存法の三つの区分

    電子帳簿保存法(電子計算機を使用して作成する国税関係帳簿書類の保存方法等の特例に関する法律)は、帳簿や書類の保存方法について、紙に代えて電子データで保存する方法を定めた法律です。保存の区分は、次の三つに分かれます。

    区分対象義務か任意か中小企業・個人事業主の判断の目安
    電子帳簿等保存会計ソフト等で最初から電子的に作成した帳簿・決算書類など任意会計ソフトを使っていれば検討しやすい。要件を満たせば紙での保存が不要に
    スキャナ保存取引先から紙で受け取った請求書・領収書など任意紙の量が多く、保管場所や検索に負担がある場合に検討
    電子取引データ保存メール・Web・クラウド等で授受した取引情報義務(所得税・法人税の保存義務者)すべての事業者が対応する。まずここから

    ※AEGISが電子帳簿保存法、国税庁の情報、書籍の記載をもとに整理。

    法人の帳簿書類の保存期間は、原則として確定申告書の提出期限の翌日から7年間で、欠損金が生じた事業年度などは10年間です(国税庁 タックスアンサーNo.5930)。電子データで保存する場合も、この期間を通じて要件を満たした状態を保つ必要があります。

    義務:電子取引データの保存

    対象となる取引

    電子帳簿保存法7条は、所得税と法人税の保存義務者が電子取引を行った場合には、その取引情報に係る電磁的記録(電子データ)を保存しなければならないと定めています。たとえば、次のような取引が対象です。

    • メールに添付されたPDFの請求書・領収書を受け取った
    • ネット通販やWebサイトで購入し、領収書をダウンロードした
    • クラウドの請求書サービスや受発注システムで取引情報を授受した

    自社が送った請求書のデータ(控え)も対象になります。

    保存の要件:真実性と可視性

    電子取引データの保存には、大きく分けて二つの要件があります(電子帳簿保存法施行規則4条)。

    ① 改ざんを防ぐための措置(真実性の確保)

    次のいずれかの措置をとります。

    • タイムスタンプが付されたデータを受け取る
    • 受け取った後、速やかに(または一定の期間内に)タイムスタンプを付す
    • 訂正・削除の履歴が残る、または訂正・削除ができないシステムで授受・保存する
    • 正当な理由がない訂正・削除の防止に関する事務処理規程を定め、それに沿って運用する

    中小企業や個人事業主にとって、最も取り組みやすいのは事務処理規程による方法です。規程を定めるだけでなく、そのとおりに運用し、規程を備え付けておくことが求められます。

    ② 確認できる状態にする措置(可視性の確保)

    • ディスプレイやプリンタ等を備え付け、データを速やかに出力できるようにしておく
    • システムの概要書などを備え付ける(自社開発のシステムを使う場合など)
    • 取引年月日・取引金額・取引先で検索できるようにする(検索要件)

    検索要件が不要になる場合

    検索要件は、ファイル名に日付・金額・取引先を入れて規則的に保存するなどの方法でも満たせますが、次のいずれかに該当し、税務調査等の際にデータの提示・提出の求め(ダウンロードの求め)に応じられるようにしていれば、検索要件の全部が不要になります(同規則4条1項)。

    • 基準期間(個人は前々年、法人は原則として前々事業年度)の売上高が5,000万円以下の事業者である
    • データを出力した書面を、取引年月日その他の日付と取引先ごとに整理された状態で提示・提出できるようにしている

    要件を満たせない場合の「猶予措置」

    保存要件に従って保存できなかったことについて、所轄税務署長が相当の理由があると認め、かつ、税務調査等の際にデータのダウンロードの求めと、データを出力した書面の提示・提出の求めの両方に応じられるようにしている場合は、改ざん防止や検索の要件を満たさずにデータを保存することが認められています(同規則4条3項)。

    令和5年12月31日までの電子取引に設けられていた「宥恕措置」(出力した書面の保存で足りるとする経過措置)は、すでに廃止されています。現在の猶予措置では、データそのものを保存しておくことが前提である点に注意が必要です。

    選択:電子帳簿等保存とスキャナ保存

    電子帳簿等保存と「優良な電子帳簿」

    会計ソフトで作成した仕訳帳や総勘定元帳などは、一定の要件を満たせば、紙に出力せずデータのまま保存できます。さらに、訂正・削除の履歴の保存、帳簿間の相互関連性、日付・金額・取引先による検索機能の確保などの要件を満たす「優良な電子帳簿」として、あらかじめ届出書を提出しておくと、その帳簿に記録された事項に関して過少申告があった場合の過少申告加算税が5%軽減されます(電子帳簿保存法8条4項、国税庁「電子帳簿保存法の概要」)。

    個人事業主の場合は、優良な電子帳簿による保存が青色申告特別控除の金額にも関わります。詳しくは関連記事「個人事業主の青色申告と記帳」で解説しています。

    スキャナ保存

    紙で受け取った請求書や領収書は、スキャナやスマートフォンで読み取り、一定の要件を満たして保存すれば、原本を廃棄できるようになります。令和5年度の税制改正(令和6年1月1日以後に適用)では、解像度等の情報の保存要件や入力者等の情報の確認要件が廃止され、帳簿との相互関連性の確保が必要な書類が契約書・請求書・領収書などの「重要書類」に限定されるなど、要件が緩和されています。ただし、読み取りの解像度や階調などの要件自体は残っており、入力の期限やタイムスタンプ等の要件もあります。

    紙の量が少ない事業者にとっては、無理にスキャナ保存を導入せず、紙で保存する方が合理的な場合もあります。

    不正があった場合の重加算税の加重

    スキャナ保存したデータや電子取引データに関して、隠蔽・仮装があり重加算税が課される場合には、通常の重加算税に、その部分の税額の10%が加算されます(電子帳簿保存法8条5項)。データは改ざんの痕跡が残りにくい一方で、不正が判明したときの負担は重くなる仕組みです。

    電子申告(e-Tax)の義務と選択

    法人税法75条の4は、事業年度開始の時の資本金の額が1億円を超える法人や通算法人などの「特定法人」について、法人税の申告をe-Taxで行わなければならないと定めています。この義務化は、令和2年(2020年)4月1日以後に開始する事業年度から適用されています。

    資本金1億円以下の中小法人や個人事業主にとって、e-Taxは現時点では選択です。ただし、e-Taxには次のような利点があります。

    • 申告書の提出や受付の確認がオンラインで完結する
    • ダイレクト納付などの電子納税と組み合わせられる
    • 税務調査等で求められた資料を、e-Taxでデータ提出できる場面がある
    • 個人事業主の青色申告特別控除では、e-Taxによる申告が控除額の要件に関わる

    会社設立時に、会計ソフト・電子保存・e-Taxを一体で整えておくと、後から仕組みを変える手間を減らせます。創業期の会計・税務の整え方は、関連記事「創業初年度の会計・税務・資金管理」で整理しています。

    令和9年(2027年)からの見直し

    令和7年度の税制改正では、請求書等の電子取引データを自動で保存し、帳簿に自動で連携する仕組みに対応した制度が設けられました。電子帳簿保存法8条5項が改正され、国税庁長官が定める基準に適合するシステム等を使い、一定の要件を満たして保存されている電子取引データについては、上記の重加算税の10%加重の対象から除かれます。e-Govでは、この改正後の規定が令和9年1月1日施行の未施行版として掲載されています。

    あわせて、個人事業主については、こうした仕組みを使って電子取引データを保存している場合などに、令和9年分以後の青色申告特別控除の額に関わる見直しも行われています(前掲の関連記事「個人事業主の青色申告と記帳」参照)。

    対応の優先順位

    優先度取り組み対象
    1(必須)電子取引データをデータのまま保存し、事務処理規程を定めるすべての事業者
    2(必須)保存場所・ファイル名のルールを決め、検索できる状態にする(または検索要件不要の条件を確認)すべての事業者
    3(推奨)会計ソフトを電子帳簿等保存の要件に合わせ、優良な電子帳簿の届出を検討する会計ソフトを使う事業者
    4(推奨)e-Taxと電子納税を導入する義務のない中小法人・個人事業主
    5(選択)紙の書類のスキャナ保存を導入する紙の量が多い事業者

    ※AEGISが整理した目安です。業種や取引の形によって優先度は変わります。

    実務上注意したいポイント

    • 「印刷したから大丈夫」は通用しない:電子取引データは、データそのものの保存が前提です。
    • 社内ルールは「誰が・どこに・どう名付けて保存するか」まで決める:担当者ごとに保存方法がばらばらだと、検索や提示ができません。
    • 経費精算・個人カードの利用分も対象になり得る:役員や従業員が受け取った領収書データの扱いも決めておきます。
    • クラウドサービスの解約に注意:サービスを解約するとデータが閲覧できなくなる場合があります。保存期間を通じて確認できる状態を保ちます。
    • 最新の要件は国税庁の一問一答で確認する:要件は改正で変わってきました。

    AEGISの視点

    電子帳簿保存法への対応は、「税務署に言われたからやる作業」と捉えられがちです。しかしAEGISは、これを「会社のお金の記録を、誰が見ても追える状態にする仕組みづくり」と考えています。

    取引データが決まった場所に、決まったルールで保存されていれば、月次の数字を早く正確に把握でき、資金繰りや納税の予測にもつながります。オーナーが急に不在になったときや、事業を後継者や第三者に引き継ぐときにも、記録が整っている会社ほど説明がしやすく、引継ぎが円滑です。

    制度改正は、事業者にとって負担に感じられることが少なくありません。それでも、改正を「自分の会社の仕組みを見直す機会」として捉え直すことはできます。改正情報を自分ごととして点検する考え方は、親記事「税制改正は自分の承継計画に関係するか」で整理しています。

    まとめ

    • 電子帳簿保存法の対応で必須なのは、電子取引データをデータのまま保存することです。
    • 保存には、改ざん防止の措置(事務処理規程など)と、確認・検索できる状態の確保が必要です。売上高5,000万円以下などの場合は、ダウンロードの求めに応じることを条件に検索要件が不要になります。
    • 要件を満たせない相当の理由がある場合の猶予措置も、データの保存とダウンロード・出力書面の提示が前提です。
    • 電子帳簿等保存・スキャナ保存は任意ですが、優良な電子帳簿には過少申告加算税の軽減があります。
    • e-Taxの義務は資本金1億円超の法人などが対象です。令和9年からは電子取引データの保存に関する見直しも予定されています。

    よくある質問

    Q. 小規模な会社でも、電子取引データの保存は必要ですか?

    必要です。電子取引データの保存は、所得税・法人税の保存義務者であれば規模にかかわらず対象です。ただし、基準期間の売上高が5,000万円以下で、税務調査等の際のダウンロードの求めに応じられるようにしていれば、検索要件は不要です。改ざん防止の措置は、事務処理規程を定める方法で対応できます。

    Q. メールで受け取ったPDFの請求書を印刷して保存していれば足りますか?

    足りません。令和5年12月31日までの取引に認められていた宥恕措置は廃止されており、現在はデータそのものを保存する必要があります。保存要件を満たせない相当の理由がある場合の猶予措置でも、データの保存と、ダウンロードの求め及び出力書面の提示・提出に応じられることが条件です。

    Q. 紙で受け取った領収書もスキャンしなければなりませんか?

    スキャナ保存は任意です。紙で受け取った書類は、紙のまま保存しても問題ありません。紙の量が多く、保管や検索に負担がある場合に、要件を確認したうえで導入を検討するとよいでしょう。

    Q. 中小企業も法人税の電子申告が義務ですか?

    法人税法で電子申告が義務とされているのは、事業年度開始の時の資本金の額が1億円を超える法人や通算法人などです。資本金1億円以下の中小法人は義務ではありませんが、e-Taxを使うと提出や納付の手続を効率化できます。

    Q. 電子帳簿保存法に対応した会計ソフトを使えば、それだけで十分ですか?

    ソフトが要件に対応していても、保存のルールや運用が伴わなければ要件を満たせません。誰が、どのデータを、どこに保存するかを決め、事務処理規程を整え、実際にそのとおり運用することが必要です。ソフトの機能と社内の運用を合わせて点検しましょう。

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    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『税理士のためのポケットブック 2026』東京税理士政治連盟 企画・編集、東京税理士会、P.96-109
  • 資産管理会社の株式と経営権の承継|会社の中身だけでなく「会社そのもの」をどう引き継ぐか

    資産管理会社の株式と経営権の承継|会社の中身だけでなく「会社そのもの」をどう引き継ぐか

    資産管理会社をつくるとき、多くのオーナーは「どの不動産を会社に入れるか」「会社でどう収益を受けるか」に関心を向けます。しかし、会社をつくった瞬間から、オーナーが次の世代に引き継ぐ財産は、個々の不動産から会社の株式と、会社を動かす権限(経営権)へと置き換わっています。

    資産管理会社の承継で問われるのは、会社が持つ不動産をどう評価するかだけではありません。誰が株式を持ち、誰が議決権を行使し、誰が役員として物件の管理や借入れの判断を担うのか——「会社そのもの」をどう引き継ぐかが本当の論点です。

    この記事では、資産管理会社の承継を「株式(財産)」「議決権(支配)」「役員と実務(経営)」の3つに分けて、確認すべきポイントを整理します。

    資産管理会社の承継で引き継ぐもの

    資産管理会社の承継で次の世代に渡すものを分解すると、次のようになります。

    引き継ぐもの内容主な論点
    株式(財産)会社の財産価値に対する持分株式の評価額、贈与・相続の税負担、納税資金
    議決権(支配)株主総会で会社の重要事項を決める権利株式の分散、議決権の集約、家族間の意見対立
    役員の地位(経営)代表者・取締役として会社を運営する立場誰が代表者になるか、交代の時期
    管理の実務物件管理、入居者対応、金融機関・管理会社との関係、会計情報の引継ぎ、担い手の確保
    オーナーとの関係会社への貸付金、会社に貸している土地、保証貸付金の相続、土地の貸し借りの継続

    ※上記はAEGISが論点整理のために作成した分類です。

    事業会社の事業承継と同じく、資産管理会社でも「株式を渡すこと」と「経営を任せること」は別の問題です。株式だけを移しても、物件の管理や借入れの判断を担える人がいなければ、会社は機能しません。

    株式(財産):資産管理会社の株式はどう評価されるか

    取引相場のない株式としての評価

    資産管理会社の株式は、通常、上場していない「取引相場のない株式」として、相続税・贈与税の計算上評価されます。国税庁によれば、取引相場のない株式は、株式を取得した人の立場や会社の規模に応じて、類似業種比準方式、純資産価額方式、配当還元方式などにより評価します(国税庁 No.4638)。

    なお、国税庁は2026年4月から有識者会議で取引相場のない株式の評価方法の見直しを検討しており、資産管理会社については純資産価額方式で評価することを前提に、その判定方法(土地保有特定会社と株式等保有特定会社の整理統合など)が論点とされています。通達改正の内容や適用時期は本記事の確認時点(2026年10月)では示されていないため、今後の改正に注意が必要です。

    「特定の評価会社」に該当しやすい

    資産管理会社は、総資産の多くを土地や株式で保有していることが多いため、相続税の評価上、「特定の評価会社」に該当する場合があります。財産評価基本通達では、次のような会社が定められています。

    区分判定の基準(総資産価額に占める割合)
    株式等保有特定会社株式・出資・新株予約権付社債の価額の合計額の割合が50%以上
    土地保有特定会社(大会社など)土地等の価額の合計額の割合が70%以上
    土地保有特定会社(中会社など)土地等の価額の合計額の割合が90%以上

    ※土地保有特定会社の判定では、小会社であっても総資産価額が一定以上の会社は、大会社・中会社と同じ基準で判定されます(財産評価基本通達189)。

    特定の評価会社に該当すると、原則として純資産価額方式により評価されるなど、一般の会社とは異なる方法で評価されます。純資産価額方式は、会社が持つ資産を相続税評価額で評価し直し、負債などを差し引いて株価を求める方法です。つまり、会社が持つ不動産の価値や、会社に蓄積された利益が、そのまま株価に反映されやすいということです。

    評価のために資産構成を動かすことには注意

    評価会社の判定に関しては、課税時期の前に合理的な理由もなく資産構成を変動させ、それが特定の評価会社と判定されることを免れるためと認められる場合には、その変動はなかったものとして判定する取扱いがあります(財産評価基本通達189なお書。株式等保有特定会社・土地保有特定会社の判定が対象)。株価を下げることだけを目的にした資産の組替えは、期待した結果にならない可能性があります。

    オーナーとの土地の貸し借りも株価に影響する

    資産管理会社がオーナー個人の土地を借りて建物を所有している場合、会社が持つ借地権を株式の評価上どう扱うかについて、地代の授受の状況や「土地の無償返還に関する届出書」の有無に応じた取扱いがあります。たとえば、相当の地代を支払っている場合や、無償返還の届出をしたうえで地代を支払っている(賃貸借の)場合で、オーナーが会社の同族関係者であるときは、オーナーの土地(貸宅地)が自用地価額の80%で評価される一方、土地の自用地としての価額の20%相当額を借地権の価額として、会社の株式評価上の純資産価額に算入するとされています(国税庁の昭和43年・昭和60年の通達)。土地をオーナー個人に残して建物だけを会社に移したケースでは、オーナー個人の土地の評価と、会社の株式の評価をセットで確認する必要があります。この論点は、関連記事「個人保有の不動産を法人へ移す前の比較」でも解説しています。

    非上場株式の評価方法の全体像は、関連記事「非上場株式の評価方法をどう検討するか」で解説しています。

    議決権(支配):株式の分散をどう防ぐか

    資産管理会社でも議決権の集約は重要

    株式会社の重要事項は、株主総会で決まります。役員の選任などの普通決議は原則として出席株主の議決権の過半数、定款変更などの特別決議は原則として出席株主の議決権の3分の2以上の賛成が必要です(会社法309条・341条)。

    資産管理会社の場合、株主総会や取締役会で決めることには、物件の売却・購入、建替え、多額の借入れ、役員報酬、配当などがあります。相続によって株式が複数の相続人に分かれると、これらの判断がまとまらず、物件の修繕や売却が進まなくなることがあります。不動産の共有を避けるために会社をつくったのに、今度は株式の「共有」状態で同じ問題が起こる——資産管理会社の承継で最も避けたい事態の一つです。

    分散を防ぐための主な手段

    議決権の分散を防ぐ手段としては、次のようなものが検討されます。

    • 生前に後継者へ株式を移転する:贈与や売買により、後継者が議決権の過半数(または3分の2以上)を確保できるようにする
    • 遺言で承継先を定める:株式を誰に相続させるかを明確にしておく
    • 定款を整える:株式の譲渡制限や、相続人等に対する売渡請求の定めを置く
    • 種類株式などを活用する:議決権と財産権を分けて設計する(議決権のない株式を後継者以外に渡す など)
    • 株主間の取り決めを結ぶ:家族間で議決権の行使や株式の譲渡について合意しておく

    どの手段にも、税負担、他の相続人の遺留分、手続きの負担などの論点があり、組み合わせて検討するのが一般的です。議決権と配当を分けて設計する考え方は、関連記事「議決権と配当を分けて設計できるか」で解説しています。

    設立時の株主構成が出発点

    資産管理会社の承継で見落とされがちなのは、設立時にどの株主構成でスタートしたかが、その後の承継の難易度を大きく左右することです。オーナーが全株を持つ形で設立すれば、会社に蓄積された財産はオーナーの株式の価値として相続財産に反映されます。後継者が設立時から株式を持つ形にすれば、その後の財産の増加は後継者の株式に帰属します。

    ただし、どちらが適しているかは、オーナー自身の生活資金、家族間の公平、会社の意思決定の安定性などによって異なります。家族内で意見の対立が生じても会社の運営が止まらないよう、議決権の配分や行使の方法をあらかじめ検討しておくことが重要です。

    役員と実務(経営):誰が会社を動かすか

    代表者の交代と株式の移転は別に設計できる

    事業会社と同様に、代表者を交代する時期と株式を移転する時期は、必ずしも同じである必要はありません。たとえば、後継者を早めに取締役に就任させて実務に関わらせ、株式は段階的に移していく設計も考えられます。

    管理実務の「見える化」

    資産管理会社では、オーナーが一人で物件の情報や関係者とのやり取りを抱えていることが少なくありません。承継に備えて、次のような情報を一覧にしておくことが大切です。

    • 保有物件ごとの所在地、取得時期、借入金、担保、賃貸借契約、管理会社
    • 修繕の履歴と今後の修繕計画
    • 金融機関、税理士、管理会社など関係者の連絡先と担当範囲
    • 会社とオーナー個人の間の貸付金・借入金、土地の賃貸借契約、届出書類の控え
    • 会社の定款、株主名簿、議事録

    これらが整理されていないと、株式を承継しても、後継者が会社を運営できない状態に陥ることがあります。

    オーナー個人との関係も引き継ぐ

    オーナーが会社に資金を貸し付けている場合、その貸付金はオーナーの相続財産になり得ます。また、オーナー個人の土地を会社が借りている場合は、土地を相続する人と会社の株式を相続する人が異なると、地代や土地の利用をめぐって利害が対立する可能性があります。土地を相続する人と、株式を相続する人の組み合わせも、承継の設計の一部として考えておく必要があります。

    実務上注意したいポイント

    事業承継税制の対象になるとは限らない

    非上場株式の贈与税・相続税の納税を猶予・免除する法人版事業承継税制(特例措置)は、特例承継計画の提出期限が令和9年(2027年)9月30日とされています(中小企業庁)。ただし、この制度には対象となる会社の要件があり、現預金などの「特定資産」が帳簿価額で総資産の70%以上を占める資産保有型会社や、特定資産の運用収入が総収入金額の75%以上を占める資産運用型会社は、3年以上継続して商品の販売等の業務を行い、親族外の常時使用従業員が5人以上いて、その従業員が勤務する事務所等を所有または賃借しているといった事業実態の要件を満たさない限り、対象となりません(租税特別措置法70条の7・70条の7の5、同法施行令40条の8・40条の8の5)。資産管理会社の株式について制度の利用を考える場合は、要件に該当するかを個別に確認する必要があります。

    子どもごとに会社を分けるという選択肢

    後継者が複数いる場合、物件を複数の資産管理会社に分け、それぞれの会社を別々の子に承継させる方法が検討されることもあります。一方で、会社の数が増えるほど維持の手間は増え、どの会社が何を持っているのかが分かりにくくなります。複数の会社がある場合には、機能を整理して集約する選択肢もあります。

    株価の上昇を前提に計画する

    資産管理会社は、収益が会社に蓄積されるほど株価が上がりやすい構造です。株式の移転を先送りにすると、移転時の税負担が大きくなる可能性があります。会社に利益を残すのか、報酬や配当として個人に移すのかという配分とあわせて、株式移転の時期を考えることが大切です。

    AEGISの視点

    資産管理会社は「つくること」よりも「引き継ぐこと」のほうが難しい——AEGISはそう考えています。

    会社をつくることで、不動産の共有や細分化を避け、管理を一元化することができます。しかしその効果は、株式と議決権が次の世代にうまく引き継がれて初めて実現します。株式が分散し、意思決定ができなくなれば、会社は不動産を守る器ではなく、家族の対立の舞台になってしまいます。

    そのためAEGISでは、資産管理会社を「家族が共有する財産を、ルールに基づいて運営するための仕組み」として捉え、株式の評価と税負担だけでなく、誰が会社を支配し、誰が実務を担い、家族がどのように関わるのかを一体で設計することを重視しています。会社の定款や株主構成は、いわば家族の財産に関する「ルールブック」です。そのルールを、オーナーの意思が明確なうちに整えておくことが、資産管理会社の承継の出発点です。

    資産管理会社の設立から承継までの全体像は、関連記事「資産管理会社はいつ設立を検討すべきか」で、自社株・不動産・金融資産を組み合わせた承継の考え方は「自社株・不動産・金融資産を組み合わせた承継」で解説しています。

    株式の評価や承継に関わる資産税務の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 資産管理会社を設立すると、次の世代に引き継ぐのは不動産ではなく、会社の株式・議決権・役員の地位・管理の実務です。
    • 資産管理会社は土地保有特定会社や株式等保有特定会社に該当しやすく、会社の資産や蓄積された利益が株価に反映されやすい構造です。
    • 株式が相続人に分散すると、物件の売却や借入れなどの意思決定が難しくなります。生前の移転、遺言、定款、種類株式などを組み合わせて議決権の集約を検討します。
    • 代表者の交代と株式の移転は別々に設計でき、管理実務の情報を一覧にしておくことが承継の前提になります。
    • 土地を相続する人と株式を相続する人の組み合わせ、オーナーの貸付金の扱いも、承継の設計に含める必要があります。

    具体的な評価額や承継の方法は、会社の資産構成や家族構成などの個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. 資産管理会社の株式は、どのように評価されますか?

    相続税・贈与税の計算上は、通常、取引相場のない株式として評価されます。資産管理会社は土地や株式の保有割合が高いことが多く、土地保有特定会社や株式等保有特定会社に該当すると、原則として純資産価額方式により評価されるなど、一般の会社とは異なる方法になります。

    Q. 土地保有特定会社とは何ですか?

    財産評価基本通達で定められた特定の評価会社の一つで、総資産価額に占める土地等の価額の割合が一定以上の会社をいいます。大会社などでは70%以上、中会社などでは90%以上が基準とされ、小会社でも総資産価額が一定以上であれば判定の対象となります。

    Q. 資産管理会社の株式を、複数の子どもに均等に相続させてもよいですか?

    可能ですが、株式が分散すると、物件の売却や借入れ、役員の選任などの意思決定が難しくなることがあります。均等に分ける場合には、議決権のない株式の活用や株主間の取り決めなど、意思決定の方法をあわせて設計しておくことが望まれます。

    Q. 後継者に役員を任せれば、株式はまだ移さなくてもよいですか?

    代表者の交代と株式の移転は別々に設計できます。ただし、株式をオーナーが持ち続けると、会社に利益が蓄積されるほど株価が上がり、将来の移転時の税負担が大きくなる可能性があります。経営の移行と株式の移転の時期を、それぞれ計画的に決めることが大切です。

    Q. 資産管理会社でも事業承継税制は使えますか?

    一概には言えません。法人版事業承継税制には対象となる会社の要件があり、資産の保有や運用が中心の会社は、一定の場合に対象とならない仕組みがあります。制度の利用を検討する場合は、特例承継計画の提出期限(令和9年9月30日)も踏まえ、要件を個別に確認する必要があります。

    関連するAEGISのソリューション

    この記事のテーマに関連する、AEGISのソリューションです。

    • 資産管理会社:資産管理会社の設立や既存法人の見直しを、資金移動・税負担・維持費・株式承継まで含めて検討します。
    • 自社株評価と資本設計:非上場株式の評価と株主構成を確認し、承継・売買・寄附などの目的に合う資本設計を検討します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『令和8年版 非上場株式の評価の仕方と記載例』松本好正 著、一般財団法人大蔵財務協会、P.194-205
  • 災害で被害を受けた土地と相続税|特定非常災害の評価の特例・申告期限の延長・災害減免法をどう使い分けるか

    災害で被害を受けた土地と相続税|特定非常災害の評価の特例・申告期限の延長・災害減免法をどう使い分けるか

    地震や水害などで相続した土地や建物が被害を受けた場合、相続税には被害を評価や税額に反映させるための仕組みが用意されています。主なものは次の3つです。

    • 特定非常災害の評価の特例:大規模な災害として指定された災害の場合に、土地などを「災害の発生直後の価額」で評価できる
    • 申告期限の延長:災害で申告ができない場合に期限が延びる。特定非常災害では申告期限そのものが後ろにずれる特例もある
    • 災害減免法による軽減・免除:財産が一定以上の被害を受けた場合に、課税価格から被害額を差し引く、または税額を免除する

    どの制度が使えるかは、「相続と災害のどちらが先か」と「災害が申告期限の前か後か」という2つの時点でほぼ決まります。この記事では、時点ごとに使える制度を整理し、申告後に被災した場合の見直しまでを解説します。

    前提:相続税は「相続開始時の時価」で計算する

    相続税の財産評価は、原則として相続開始の時の時価によります。相続開始から申告期限までの約10か月の間に地価が下がっても、原則として評価は変わりません。この原則の例外として、災害については特別な手当てが設けられています。

    ここで押さえておきたいのは、災害による損失には2つの種類があることです。

    • 物理的な損失:地割れや液状化による陥没、建物の倒壊・流失など、財産そのものが傷んだことによる損失
    • 経済的な損失:周辺の道路やライフラインの被害、街並みの損壊などによって、土地の価格そのものが下がる損失

    災害減免法は主に前者を、特定非常災害の評価の特例は主に後者を手当てする仕組みと整理すると、全体が理解しやすくなります。

    時点別に見る、使える制度

    相続と災害の関係主に検討する制度申告・手続のポイント
    相続 → 災害(申告期限前)特定非常災害の評価の特例(指定された災害の場合)、災害減免法6条申告書に特例を受ける旨や被害の状況を記載。期限延長の対象になることが多い
    相続 → 災害(申告期限後)災害減免法4条(税額の免除)災害のやんだ日から2か月以内に免除承認申請書を提出
    災害 → 相続(同じ年の年末まで)特定非常災害発生日以後に取得した財産の評価(通達)指定された災害で、特定地域内の土地等が対象
    災害 → 相続(翌年以降)通常の評価(その年の路線価等に被害が反映)物理的な損失の有無を個別に確認

    ※AEGISが制度の関係を整理したものです。各制度の要件は以下で確認してください。

    特定非常災害の評価の特例

    どのような災害が対象か

    「特定非常災害」とは、特定非常災害の被害者の権利利益の保全等を図るための特別措置に関する法律の規定により、特定非常災害として指定された非常災害です。すべての災害が対象になるわけではなく、大規模な災害について個別に指定されます。指定の状況は内閣府のホームページで公表されています(国税庁 タックスアンサーNo.8006)。

    相続の後に災害が起きた場合(租税特別措置法69条の6)

    特定非常災害の発生日より前に相続や遺贈で財産を取得し、相続税の申告期限が発生日以後である場合、特定地域内にある土地や借地権など(特定土地等)で、発生日に所有していたものは、相続開始時の時価ではなく「特定非常災害の発生直後の価額」で評価することができます(租税特別措置法69条の6)。

    「特定地域」とは、その災害で被災者生活再建支援法の適用を受ける地域(適用がない場合は財務大臣が指定する地域)をいいます。発生直後の価額は、国税局長が地域ごとに「調整率」を定めている場合、その年の路線価や評価倍率に調整率を掛けて計算できます。

    非上場株式でも、特定地域内にあった不動産などの資産が保有資産の10分の3以上を占める会社の株式(特定株式等)は、同様に発生直後の価額で評価できます。

    この特例は、申告書(期限後申告書・修正申告書を含む)や更正の請求書に適用を受ける旨を記載した場合に限り適用されます(同条3項)。

    災害の後に相続が起きた場合

    特定非常災害の発生日以後、その年の12月31日までに相続などで取得した特定地域内の土地等は、発生直後の価額に準じて評価することができます。地割れなどで土地の形状が変わった場合には、さらに原状回復費用に相当する額を差し引いて評価できます(国税庁「特定非常災害発生日以後に相続等により取得した財産の評価について」)。

    その年の路線価は1月1日時点の価格をもとに定められているため、年の途中で起きた災害の影響が反映されていません。この取扱いは、そのずれを埋めるためのものです。

    被災した家屋の評価

    被災した家屋で、被災後の現況に応じた固定資産税評価額がまだ付けられていないものは、災害直前の家屋の評価額から、条例に基づいて適用された固定資産税の軽減・免除の割合に相当する額を差し引いて評価することができます。被災後に修理をした場合は、その費用の一定割合を加えます(同通達)。

    申告期限の延長

    災害による期限の延長(国税通則法11条)

    災害などやむを得ない理由で期限までに申告や納付ができないときは、その理由がやんだ日から2か月以内に限り、期限が延長されます(国税通則法11条)。延長の方法には、国税庁長官が地域と期日を指定する地域指定と、税務署長への申請による個別指定などがあります(国税庁 タックスアンサーNo.8001)。

    地域指定は納税地で判断されるため、被災地に不動産を持っていても、相続人の納税地が指定地域の外にある場合は自動的には延長されません。その場合は個別指定の申請を検討します。

    特定非常災害の場合の申告期限の特例(租税特別措置法69条の8)

    同じ被相続人から財産を取得した人のうち一人でも69条の6の評価の特例を受けられる人がいる場合、相続税の申告期限が「特定日」より前であれば、申告期限は特定日まで延びます。特定日とは、その災害による国税通則法11条の延長後の期限と、特定非常災害発生日の翌日から10か月を経過する日の、いずれか遅い日です(租税特別措置法69条の8)。

    災害直後は、土地の状況の把握や調整率の公表を待つ必要があり、通常の申告期限では評価が難しいことへの手当てと考えられます。

    災害減免法による軽減・免除

    災害被害者に対する租税の減免、徴収猶予等に関する法律(災害減免法)は、特定非常災害に限らず、災害一般に適用される制度です。

    対象となる被害の程度

    次のいずれかに該当する場合に適用されます(国税庁 タックスアンサーNo.8006)。

    • 課税価格の計算の基礎となった財産の価額(債務控除後)のうち、被害を受けた部分の価額(保険金や損害賠償金で補てんされた額を除く)の割合が10分の1以上
    • 動産等(動産・建物などの不動産〔土地等を除く〕・立木)の価額のうち、被害を受けた部分の割合が10分の1以上

    土地の地価下落そのものは、ここでいう被害には含まれにくい点に注意が必要です。土地については、地割れなど物理的な損失があった場合の原状回復費用の見積額が、被害額として扱われる考え方がとられています。

    申告期限の前に被災した場合(災害減免法6条)

    財産の価額から、被害を受けた部分の価額を差し引いて課税価格を計算します。申告書に、被害の状況や被害額を記載した計算明細書を添付して提出します。

    申告期限の後に被災した場合(災害減免法4条)

    すでに税額は確定していますが、災害のあった日以後に納付すべき相続税のうち、被害を受けた部分に対応する税額が免除されます。延滞税などの附帯税や、災害の時点ですでに滞納していた税額は対象外です。免除を受けるには、災害のやんだ日から2か月以内に、免除承認申請書を所轄の税務署長に提出します。

    延納中の相続税がある場合も、災害のあった日以後に納付すべき部分は免除の対象になり得ます。期限が短いため、被災後は早めに確認することが大切です。

    申告後に被災した場合の見直し

    すでに申告を終えていても、次のような場合は見直しの余地があります。

    • 申告期限前に申告書を提出し、その後・申告期限前に被災した:特定非常災害の評価の特例は、更正の請求書に記載して適用を受けることもできます(租税特別措置法69条の6第3項)。災害減免法6条の適用も含め、更正の請求による見直しを検討します。
    • 申告期限後に被災した:災害減免法4条の免除承認申請(2か月以内)が中心です。
    • 相続時精算課税で贈与を受けた土地・建物が被災した:令和6年1月1日以後の災害で一定の要件を満たす場合、相続税の課税価格に加算する価額から被害額を差し引ける措置があり、原則として災害発生日から3年を経過する日までに承認申請が必要です(国税庁 タックスアンサーNo.8006)。

    なお、相続した財産が災害で損害を受けた場合、所得税の雑損控除の対象になることもあります(国税庁 タックスアンサーNo.1110)。相続税と所得税の両面から確認しておきたいところです。

    申告後に財産の価値が下がった場合の考え方全般は、関連記事「申告後に相続財産の価値が下がったときにできること」で、更正の請求の期限と手続は「相続税を払いすぎていたときの更正の請求」で解説しています。

    AEGISの視点

    災害時の相続税の特例は、手続の期限が短く、要件も時点によって細かく分かれています。しかし、AEGISは、被災した不動産の相続で本当に大切なのは「評価をいくら下げられるか」より先に、「その不動産をこれからどうするか」だと考えています。

    被災した土地は、再建する、売却する、当面は更地として管理する、といった選択を迫られます。その判断には、保険金の受取り、建物の解体や修繕の費用、借入金の返済、相続税の納税資金と延納の可否、さらに相続人の生活の拠点がどこにあるかが関わります。評価の特例は、その判断を支える前提条件の一つにすぎません。

    また、被災直後に何より役立つのは記録です。被害の写真、自治体などが発行する被害の証明書類、修繕の見積書、保険の支払通知を、早い段階から整理しておくこと。これが、評価の特例・災害減免法・所得税の雑損控除のいずれにも共通する土台になります。

    制度変更や特例が保有不動産と承継計画のどこに影響するかを点検する考え方は、親記事「不動産評価や相続に関する制度変更時の点検事項」で整理しています。相続税申告の土地評価全般の見直しは「相続税申告の土地評価を見直すときの確認点」も参考にしてください。資産税務や承継の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    相続税の申告や相続の手続きをまとめて相談したい場合は、アイジス税理士法人・アイジスファミリーオフィスでもお受けしています。詳しくは、相続税申告・相続手続きのご相談をご覧ください。

    まとめ

    • 災害時の相続税の扱いは、「相続と災害のどちらが先か」「災害が申告期限の前か後か」で使える制度が変わります。
    • 特定非常災害に指定された災害では、特定地域内の土地等を「発生直後の価額」(路線価等×調整率)で評価できる特例があります。
    • 特定非常災害では、申告期限が「発生日の翌日から10か月を経過する日」などまで延びる特例もあります。
    • 災害減免法は災害一般が対象で、被害割合が10分の1以上の場合に、申告期限前なら課税価格から被害額を差し引き、申告期限後なら税額が免除されます(申請は2か月以内)。
    • 申告後でも、更正の請求や免除の申請で見直せる場合があります。具体的な適用は、被害の内容と時点によって異なります。

    よくある質問

    Q. 相続した土地が水害に遭いました。どの災害でも評価の特例は使えますか?

    「発生直後の価額」で評価する特例は、特定非常災害として指定された災害に限られます。指定されていない災害でも、災害減免法による軽減・免除は、被害の割合などの要件を満たせば利用できます。まずは、その災害が特定非常災害に指定されているかを確認しましょう。

    Q. 被災して申告の準備ができません。申告期限はどうなりますか?

    災害で申告ができない場合は、国税通則法に基づき、地域指定または個別の申請によって期限が延長されます。特定非常災害で評価の特例を受けられる人がいる相続では、申告期限が「発生日の翌日から10か月を経過する日」などまで延びる特例もあります。ご自身の納税地が地域指定の対象かどうかを確認してください。

    Q. 土地の価格が下がっただけでも、災害減免法は使えますか?

    災害減免法は、財産そのものが受けた被害を対象とする制度です。土地については、地割れなど形状が変わったことによる物理的な損失が中心で、周辺の被害による地価の下落は、特定非常災害の評価の特例で手当てされる性質のものと整理されています。

    Q. 相続税を納め終わった後に被災しました。還付はありますか?

    災害減免法4条の免除は、災害のあった日以後に納付すべき税額が対象です。すでに納付を終えた税額は、原則として免除の対象になりません。延納中の場合は、残りの納付分が免除の対象になり得ますので、災害のやんだ日から2か月以内に申請を検討してください。

    Q. 被災した家屋は、どのように評価しますか?

    被災後の固定資産税評価額がまだ付けられていない場合、特定非常災害では、災害直前の評価額から固定資産税の軽減・免除の割合に相当する額を差し引いて評価する方法が示されています。全壊・流失などで価値がない場合も含め、被害の状況を示す資料を残しておくことが重要です。

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    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『令和6年版 土地評価の実務』小野 徹 編、大蔵財務協会、2024年、P.487-510
    • 『一般動産・知的財産権・その他の財産の相続税評価Q&A』武田秀和 著、税務研究会出版局、2013年、P.26-33
    • 『実務家のための「基本書&ハンドブック」要点 譲渡所得【第一編】』塩野入文雄 著、法令出版、2020年、P.410-411
  • 小規模宅地等の特例は資産管理会社でどう変わるか|貸付事業用と特定同族会社事業用を分ける「地代・会社の事業・役員」

    小規模宅地等の特例は資産管理会社でどう変わるか|貸付事業用と特定同族会社事業用を分ける「地代・会社の事業・役員」

    オーナー個人が土地を持ち、その上の建物を資産管理会社が持つ。あるいは、個人が建物ごと会社に貸し、会社が入居者に転貸する。資産管理会社を使う不動産オーナーには、こうした「個人と会社が一つの土地にまたがる形」がよく見られます。

    結論から言うと、この場合の小規模宅地等の特例は、①会社から相当の対価(地代・家賃)を受け取っているか、②会社がその土地で何の事業をしているか、③土地を取得した親族が申告期限まで役員であり、土地を持ち続けるか、の3点で区分が決まります。結果は大きく、「特定同族会社事業用宅地等(400㎡まで80%減額)」「貸付事業用宅地等(200㎡まで50%減額)」「特例の対象外」の3つに分かれます。

    この記事では、資産管理会社が関わる土地について、どの順番で区分を判定すればよいかを整理します。

    小規模宅地等の特例の区分をおさらいする

    小規模宅地等の特例は、亡くなった方(被相続人)やその方と生計を一にしていた親族(あわせて「被相続人等」)の事業や居住に使われていた宅地等について、一定の面積まで相続税の課税価格を減額する制度です(租税特別措置法第69条の4)。国税庁によれば、区分ごとの限度面積と減額割合は次のとおりです。

    区分限度面積減額割合
    特定事業用宅地等400㎡80%
    特定同族会社事業用宅地等400㎡80%
    特定居住用宅地等330㎡80%
    貸付事業用宅地等200㎡50%

    資産管理会社が関わる場面で問題になるのは、主に特定同族会社事業用宅地等と貸付事業用宅地等です。どちらになるかで、減額割合が80%か50%か、限度面積が400㎡か200㎡かが変わります。

    なお、特例を使えるのは個人が相続などで取得した宅地等です。会社が所有している土地は会社の財産であり、相続で引き継がれるのは会社の株式ですから、この特例の対象にはなりません。会社所有の土地は、株式の評価を通じて相続税に反映されます。

    取得する相続人ごとの要件(配偶者・同居親族など)や、複数の土地をどう選ぶかについては、関連記事「小規模宅地等の特例は誰が取得するかで変わる」で解説しています。

    判定の第1関門:会社から「相当の対価」を受け取っているか

    最初に確認したいのは、個人と会社の間で、地代や家賃が相当の対価として支払われているかどうかです。

    特例でいう「貸付事業」や、特定同族会社事業用宅地等の前提となる「被相続人等の事業」は、不動産の貸付けが相当の対価により継続的に行われていることが前提とされています。国税庁の措置法通達の解説では、固定資産税などの必要経費をまかなう程度で、相当の対価に至らない金額しか受け取っていない場合は「無償」と同じに扱うとされています。

    つまり、次のような場合は、どの区分にも当たらず特例の対象外になる可能性が高いといえます。

    • 会社が個人の土地に建物を建て、地代を払っていない(使用貸借)
    • 地代は払っているが、土地の固定資産税程度にとどまっている

    資産管理会社を設立したとき、「家族の会社だから地代は少なくてよい」と考えて低い地代のまま何年も経っているケースは珍しくありません。地代の水準は、借地権の課税(会社への受贈益の認定など)や土地の相続税評価にも関わります。土地の無償返還に関する届出や相当の地代の考え方は、関連記事「土地の無償返還に関する届出と相当の地代」で整理しています。

    判定の第2関門:会社はその土地で何の事業をしているか

    相当の対価を受け取っている場合、次に確認するのは会社の事業の内容です。

    会社が貸付以外の事業に使っている場合

    国税庁によれば、特定同族会社事業用宅地等とは、相続開始の直前から申告期限まで、一定の法人の事業(不動産貸付業、駐車場業、自転車駐車場業および準事業を除く)に使われていた宅地等をいいます。

    ここでいう「一定の法人」とは、相続開始の直前に、被相続人とその親族等が発行済株式の総数(または出資の総額)の50%超を持っている法人です(申告期限に清算中の法人を除く。租税特別措置法69条の4第3項3号、同法施行令40条の2)。

    具体的には、次の2つの形が対象になります(措置法通達69の4-23)。

    • 被相続人が、土地をその法人に相当の対価で貸していた(法人が建物を所有)
    • 被相続人(または生計を一にする親族)が所有する建物を、その法人に相当の対価で貸していた場合の、その建物の敷地(生計を一にする親族が所有する建物の場合は、その親族が敷地を被相続人から無償で借りていたときに限ります)

    資産管理会社と同じ株主構成の事業会社(たとえば、店舗や工場、事務所として使う会社)が使っている土地は、この区分に当たる可能性があります。また、法人の社宅の敷地は、親族だけが使っている場合を除き、法人の事業そのものに使われているものとして扱われます(同69の4-24)。

    会社が不動産賃貸をしている場合

    一方、典型的な資産管理会社のように、会社が建物を第三者に賃貸している場合は、会社の事業が「不動産貸付業」なので、特定同族会社事業用宅地等には当たりません。

    ただし、それで特例が使えなくなるわけではありません。国税庁は、貸付事業用宅地等の中に「一定の法人に貸し付けられ、その法人の貸付事業用の宅地等」という区分を示しています。個人が会社に相当の対価で土地を貸し、会社がその上の建物で賃貸をしている形は、貸付事業用宅地等(200㎡まで50%減額)の候補になります。

    また、個人が土地と建物の両方を持ち、建物を一括して会社に貸して、会社が入居者に転貸する形(いわゆるサブリース型)では、個人自身が会社に建物を貸していることになるため、その敷地は個人の貸付事業用の宅地等として判定されます。

    判定のまとめ

    ここまでを、資産管理会社でよく見られる形ごとに整理すると、次のようになります。

    所有の形会社の使い方地代・家賃主に検討する区分
    土地:個人/建物:会社会社が第三者へ賃貸相当の対価あり貸付事業用宅地等(一定の法人に貸し付けられ、その法人の貸付事業用)
    土地:個人/建物:会社会社が自ら事業に使用(店舗・事務所など)相当の対価あり特定同族会社事業用宅地等(法人・役員・保有の要件あり)
    土地・建物:個人建物を会社に一括賃貸し、会社が転貸相当の対価あり貸付事業用宅地等(個人の貸付事業)
    土地・建物:個人建物を同族会社が自ら事業に使用相当の対価あり特定同族会社事業用宅地等
    土地:個人/建物:会社問わない無償・固定資産税程度原則として特例の対象外
    土地・建物:会社——特例の対象外(株式の評価に反映)

    ※AEGISが判定の考え方を整理したものです。実際の区分は、契約内容、利用の実態、相続人の状況などによって異なります。

    一つの建物を会社が「自社の店舗」と「第三者への賃貸」の両方に使っている場合は、床面積の割合などで、特定同族会社事業用の部分と貸付事業用の部分に分けて判定することになります。

    判定の第3関門:申告期限まで「役員」と「保有」を続けられるか

    特定同族会社事業用宅地等に当たるかどうかは、相続が起きた時点の状況だけでは決まりません。国税庁によれば、土地を取得した親族について次の要件があります。

    • 法人役員要件:相続税の申告期限において、その法人の役員(清算人を除く)であること
    • 保有継続要件:その宅地等を相続税の申告期限まで持ち続けていること

    あわせて、その土地が申告期限まで引き続き法人の事業に使われていることも必要です。

    措置法通達の解説では、同じ土地を兄弟2人が2分の1ずつ相続し、申告期限に一方だけが法人の役員だった事例が示されています。役員である相続人の持分は特定同族会社事業用宅地等として、役員でない相続人の持分は貸付事業用宅地等として、それぞれ選択の候補になる、という整理です。誰が土地を取得し、誰が役員になっているかで、同じ土地でも減額割合が変わるということです。

    相続税の申告期限は、相続の開始を知った日の翌日から10か月以内です。相続人が会社の役員でない場合、この期間内に株主総会で役員に選任されているかどうかが問題になります。役員の選任や任期などの会社の手続きは、関連記事「資産管理会社の定款で決めておきたいこと」で取り上げています。

    貸付事業用宅地等についても、取得した親族が申告期限までに被相続人の貸付事業を引き継ぎ、申告期限まで貸付事業を行い、土地を持ち続けることが要件です。

    注意したい「3年以内の貸付け」と面積の調整

    会社に貸し始めて3年以内の土地

    貸付事業用宅地等には、相続開始前3年以内に新たに貸付事業の用に供された宅地等は、原則として対象から除くというルールがあります。ただし国税庁によれば、相続開始の日まで3年を超えて引き続き「特定貸付事業」(貸付事業のうち、準事業以外のもの)を行っていた被相続人等の、その特定貸付事業に使われた宅地等は、この除外の対象になりません。

    措置法通達69の4-24の4では、特定貸付事業に当たるかどうかは、社会通念上「事業」と称するに至る程度の規模で貸付けが行われていたかどうかで判定するとされ、建物の貸付けについては所得税基本通達26-9の取扱い(貸間・アパート等はおおむね10室以上、独立家屋はおおむね5棟以上であれば、特に反証がない限り事業として行われているものとする)があることが示されています。

    資産管理会社を設立して、個人の土地を新たに会社へ貸し始めた直後に相続が起きた場合などは、この3年ルールに当たらないかを確認する必要があります。個人の不動産を会社に移す前に何を比べるべきかは、関連記事「個人保有の不動産を法人へ移す前の比較」をご覧ください。

    貸付事業用宅地等を選ぶと面積の調整が必要になる

    複数の宅地等に特例を使う場合、貸付事業用宅地等を一つでも選ぶと、限度面積の調整が必要です。国税庁が示す算式は次のとおりです。

    (特定事業用+特定同族会社事業用の面積)×200/400+(特定居住用の面積)×200/330+(貸付事業用の面積)≦200㎡

    自宅の敷地と、会社に貸している土地の両方がある場合、どちらを優先して選ぶかで減額の総額が変わります。区分の判定は、こうした選択の前提になります。

    実務上注意したいポイント

    • 地代・家賃の契約を書面で残す:相当の対価であることを説明できるよう、契約書、金額の決め方、改定の記録を整えておきます。
    • 会社の事業内容を確認する:同じ会社が「自社利用」と「賃貸」を兼ねている場合、どの部分が何に使われているかを図面などで把握しておきます。
    • 株主構成の50%超を確認する:特定同族会社事業用宅地等は、相続開始直前の持株割合で判定されます。株式の移転や増資の計画と合わせて確認します。
    • 後継者の役員就任を準備する:申告期限での役員要件を満たすには、相続人が役員に就任していることが必要です。遺言や事業承継の計画の中で、誰が土地を取得し、誰が役員になるかを揃えておきます。
    • 申告期限までに売却しない:保有継続要件があるため、納税資金のために土地を売る計画がある場合は、特例との関係を先に確認します。
    • 申告の手続を忘れない:特例を使うには、申告書への記載と計算明細書・遺産分割協議書の写しなどの添付が必要です。申告期限までに遺産が分割されていない場合には特例を適用せずに申告し、原則として申告期限から3年以内に分割されたときに、修正申告や更正の請求で特例を適用できる取扱いになっています(国税庁 No.4208)。

    AEGISの視点

    資産管理会社の設計では、どうしても「所得をどう分けるか」「株式の評価がどうなるか」に目が向きがちです。しかし、個人に残した土地の小規模宅地等の特例は、会社との契約の形、会社の事業、相続人の役割という、ふだんは別々に決めている要素の組み合わせで結果が変わります。

    AEGISは、この特例を「相続の直前に当てはめるもの」ではなく、資産管理会社を設計する段階で、土地・建物・会社・相続人の関係を一枚に描いておくための確認項目だと考えています。地代を見直すと会社の収支が変わり、役員を誰にするかは会社の経営体制そのものの問題になります。特例の有利・不利だけで決めるのではなく、会社が長く機能する形と両立しているかを確かめることが大切です。

    資産管理会社をいつ・何のために設立するか、全体像は「資産管理会社はいつ設立を検討すべきか」で解説しています。土地と事業会社を分けて持つ設計の意味は「土地所有者と事業運営会社を分ける設計とは」もあわせてご覧ください。

    不動産と会社が絡む資産税務の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 資産管理会社が関わる土地の小規模宅地等の特例は、「相当の対価の有無」「会社の事業内容」「申告期限までの役員・保有」の3段階で区分が決まります。
    • 地代が無償や固定資産税程度の場合は、原則として特例の対象外です。
    • 会社が貸付以外の事業に使う土地は特定同族会社事業用宅地等(400㎡・80%)の候補、会社が賃貸に使う土地は貸付事業用宅地等(200㎡・50%)の候補になります。
    • 特定同族会社事業用宅地等は、被相続人と親族等の持株割合50%超、取得者の申告期限での役員就任と保有継続が要件です。
    • 新たに会社へ貸し始めて3年以内の土地や、限度面積の調整にも注意が必要です。具体的な適用可否は個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. 資産管理会社が持っている土地にも、小規模宅地等の特例は使えますか?

    使えません。小規模宅地等の特例は、個人が相続や遺贈で取得した宅地等が対象です。会社が所有する土地は会社の財産であり、相続で引き継ぐのは会社の株式です。会社所有の土地は、株式の評価(純資産価額など)を通じて相続税に反映されます。

    Q. 資産管理会社に土地を貸していれば、特定同族会社事業用宅地等として80%減額になりますか?

    会社の事業によります。会社がその土地で不動産賃貸をしている場合は、特定同族会社事業用宅地等の対象となる事業から不動産貸付業が除かれているため、80%減額の区分には当たりません。この場合は、相当の対価を受け取っていれば貸付事業用宅地等(200㎡まで50%減額)の候補になります。

    Q. 地代を固定資産税と同じ額にしている場合はどうなりますか?

    措置法通達の解説では、固定資産税などの必要経費をまかなう程度の金額は、相当の対価に至らないものとして無償と同様に扱うとされています。この場合、貸付事業にも同族会社の事業にも当たらず、特例の対象外となる可能性が高いといえます。地代の見直しは、会社の課税や土地の評価にも影響するため、あわせて検討します。

    Q. 土地を相続した子が会社の役員でない場合、特例は使えませんか?

    特定同族会社事業用宅地等の要件は、相続税の申告期限において役員であることです。相続の時点で役員でなくても、申告期限までに役員に就任していれば要件を満たす可能性があります。役員でない場合でも、会社に相当の対価で貸している土地であれば、貸付事業用宅地等の要件を満たすかを確認します。

    Q. 相続の1年前に、資産管理会社に土地を貸し始めました。特例は使えますか?

    貸付事業用宅地等には、相続開始前3年以内に新たに貸付事業の用に供された宅地等を原則として除くルールがあります。ただし、被相続人等が相続開始の日まで3年を超えて事業的規模の貸付け(特定貸付事業)を続けていた場合は、その事業に使われた宅地等は除外されません。特定同族会社事業用宅地等に当たるかどうかもあわせて、個別に確認が必要です。

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    書籍

    • 『令和7年版 相続税・贈与税関係 租税特別措置法通達逐条解説』甲斐裕也 編、一般財団法人大蔵財務協会、P.67-69、P.133-137、P.143-145、P.198-199
  • 会社売却と役員退職金の組み合わせ|株式の対価と退職金の配分を、オーナー・会社・買い手の三方から考える

    会社売却と役員退職金の組み合わせ|株式の対価と退職金の配分を、オーナー・会社・買い手の三方から考える

    会社を株式譲渡で売却するとき、「売却代金の一部を役員退職金として受け取るとよい」と耳にすることがあります。結論から言えば、オーナーが株式の100%を持つ場合、退職金を払うと会社の価値がその分だけ下がるため、受け取る総額そのものはほとんど変わりません。変わるのは、個人の税金、会社の法人税、買い手の投資額という「受け取り方の結果」です。

    そして、この組み合わせが合理的に機能するのは、退職金が税務上適正な金額であること、会社に支払う資金があること、オーナーが実際に退任すること、他の株主との公平が保たれること、支払が確実であること、という条件がそろった場合に限られます。

    この記事では、株式の対価と退職金の配分を、オーナー個人・対象会社・買い手の三つの立場から整理します。親族内承継などで退職金をいつ・いくら支給するかという一般的な論点は、関連記事「役員退職金はいつ・いくら支給するか」で扱っています。

    なぜ「株式の対価」と「退職金」の組み合わせが論点になるのか

    株式譲渡では、売却代金は株主であるオーナー個人に支払われます。一方、役員退職金は、対象会社がオーナーに支払うものです。

    ここで押さえたいのは、退職金の支払いは会社の財産を減らすという点です。会社の手元資金から退職金が出ていけば、その分だけ会社の純資産は小さくなり、買い手が支払う株式の価格も下がるのが通常です。買い手から見れば「会社の価値」の中から退職金が先に払われ、残りを株式の対価として受け取る、という構図になります。

    つまり、組み合わせとは「パイを大きくする方法」ではなく、同じパイを、株式の対価と退職金という二つの受け取り口にどう分けるかの問題です。それでも検討される理由は、受け取り口によって課税の仕組みが異なり、会社側の税金にも影響するからです。

    立場株式の対価だけで受け取る場合一部を退職金として受け取る場合
    オーナー個人全額が株式の譲渡所得として課税退職所得と株式の譲渡所得に分かれて課税
    対象会社会社の資金・純資産は変わらない資金が流出するが、適正額なら損金になる
    買い手株式の取得額が大きくなる株式の取得額が小さくなる
    他の株主持株割合どおりに対価を受け取る退職金を受けない株主の取り分が減る

    オーナー個人の税金:退職所得と株式の譲渡所得

    株式の譲渡所得

    個人が非上場株式を譲渡した利益は、他の所得と分けて課税される申告分離課税の対象です。税率は所得税15%・住民税5%で、このほかに復興特別所得税がかかります(令和9年分以後は、復興特別所得税の一部が防衛特別所得税に置き換わりますが、合計の負担率は変わりません)。譲渡所得の金額は、譲渡価額から取得費や譲渡のための費用を差し引いて計算します(国税庁 タックスアンサーNo.1463)。株式の取得費が小さいオーナー企業では、売却代金の大部分が課税対象になりやすいのが特徴です。

    退職所得

    役員退職金は退職所得として、他の所得と分けて税額を計算します。退職所得の金額は「(収入金額-退職所得控除額)× 1/2」で、退職所得控除額は勤続20年以下なら1年につき40万円(最低80万円)、20年超なら800万円に20年を超える1年につき70万円を加えた額です(国税庁 タックスアンサーNo.1420)。

    税率は累進税率ですが、控除後の金額の2分の1だけが課税対象になるため、勤続年数が長く退職金が過大でない範囲では、受け取る金額に対する実質的な負担が株式の譲渡所得の税率を下回る部分が生じ得ます。反対に、退職金を大きくすると累進税率の高い部分が増え、株式で受け取るより負担が重くなる部分も出てきます。

    たとえば、勤続35年のオーナーが退職金1億円を受け取る場合(説明のための単純な例です)、退職所得控除額は800万円+70万円×15年=1,850万円、課税対象となる退職所得は(1億円-1,850万円)×1/2=4,075万円です。同じ1億円を株式の対価として受け取れば、取得費などを除いた額がそのまま20%の課税対象になります。どちらが有利かは、金額の配分と勤続年数によって変わるため、配分を変えながら税引後の手取りを試算することが出発点です。

    個人側で注意したい例外

    • 役員としての勤続年数が5年以下の場合:「特定役員退職手当等」として、2分の1の計算が適用されません(No.1420)。売却前に親族を役員に就けて退職金を払う、といった設計では特に注意が必要です。
    • 「退職所得の受給に関する申告書」を提出しない場合:支払額の20.42%が源泉徴収され、確定申告で精算することになります(No.1420)。

    対象会社の側:損金になるかが分かれ目

    役員退職金は、会社の側では原則として損金になります。ただし、不相当に高額な部分の金額は損金に算入されません(法人税法34条2項、国税庁 タックスアンサーNo.5211)。実務では、退任時の報酬月額・役員としての在任年数・功績倍率を掛け合わせる考え方や、同業で規模の近い会社の支給水準との比較で、金額の妥当性が検討されてきました。裁判例でも判断は分かれており、「この倍率なら必ず認められる」という基準はありません。

    M&Aの場面でこの点が重要になるのは、退職金が過大と判断された場合の負担が、売却後の会社と売り手の双方に及ぶからです。損金にならなかった部分について対象会社に追加の税金が生じれば、買い手は株式譲渡契約の表明保証や補償の条項に基づいて、売り手に補填を求める可能性があります。表明保証と補償の仕組みは、関連記事「表明保証と売主の責任」で扱います。

    また、損金になった退職金は、会社のその事業年度の所得を減らします。損金に算入する時期は、原則として株主総会の決議等で金額が具体的に確定した事業年度で、実際に支払った事業年度に損金経理をした場合はその年度とすることも認められています(法人税基本通達9-2-28)。

    買い手の側:投資額と「節税効果」の帰属

    買い手にとって、退職金との組み合わせには次のような意味があります。

    • 株式の取得額が小さくなる:会社に余剰資金がある場合、それを退職金に充てた分だけ株式の対価が下がり、買い手の資金負担が軽くなります。
    • 会社の資金繰りは確認が必要:退職金の支払い後も、会社が事業を続けるのに十分な資金を持っているかが問われます。資金が足りず借入れで退職金を払うような設計は、買い手の理解を得にくくなります。
    • 会社の法人税が減る効果は、誰のものか:退職金が損金になり、会社に課税所得があれば法人税の負担が軽くなります。株式の価格を「退職金の額だけ」下げるのか、「税負担の軽減分を考慮した額」で下げるのかは、交渉で決まります。オーナー側は、この効果が価格にどう反映されているかを確認しておきたいところです。

    買い手は、金額が過大でないか、退任の実態があるかを、買収前の調査の中で確認するのが通常です。根拠のある金額と手続きを示せることが、交渉を円滑にします。

    組み合わせが成り立つための5つの確認事項

    確認事項確認したいこと満たさない場合に起こり得ること
    1. 金額の適正さ在任年数・報酬・功績から説明できるか、規程はあるか過大部分が損金にならず、補償を求められる可能性
    2. 支払う資金支払い後も会社の資金繰りに無理がないか買い手の合意が得られない、会社の財務が不安定になる
    3. 退任の実態売却後も実質的に経営に関与し続けないか退職給与と認められない可能性
    4. 他の株主との公平退職金を受けない株主の理解が得られるか株主間の対立、取引の遅れ
    5. 支払の確実性クロージングと同時か、後払いならその保全策は後払い分が回収できないリスク

    他の株主がいる場合

    株主がオーナー1人であれば、退職金と株式の対価の配分は「受け取り方の違い」にすぎません。しかし、役員でない株主や、役員でも退職金を受け取らない株主がいる場合は事情が異なります。退職金の分だけ株式の価格が下がるため、退職金を受け取らない株主の手取りは減るからです。

    兄弟や親族が株主に分かれている会社では、株式の対価と各人の退職金を合計した「一人ひとりの手取り」を並べて示し、全員が納得できる配分になっているかを確認することが欠かせません。退職金の額を株主間の調整のために恣意的に動かすことはできない点にも注意が必要です。

    売却後も会社に残る場合

    役員退職金は、役員を退任することが前提です。売却後も一定期間、会長や取締役として残る場合、その時点で退職金を受け取ると、退職給与として認められるかが問題になります。

    法人税基本通達9-2-32では、分掌変更等で役員としての地位や職務の内容が激変し、実質的に退職したのと同様の事情がある場合に退職給与として扱えるとし、常勤から非常勤への変更、取締役から監査役への変更、報酬のおおむね50%以上の減少などを例示しています。ただし、代表権がある人や経営上主要な地位にある人は除かれており、形式だけ整えても実態が伴わなければ認められません。また、未払金として計上しただけの金額は、原則として退職給与に含まれないとされています。

    売却後の残り方と、その間の報酬・退職金の扱いは、関連記事「M&A後に売り手オーナーが担う役割と条件」で詳しく整理しています。

    支払の時期

    退職金は、株式の代金決済と同じタイミング(クロージング時)か、その直後に支払う形が一般的です。一方、オーナーが売却後もしばらく役員として残る場合には、退職時まで支給を先送りする設計も考えられます。

    しかし、後払いにすると、その間に会社や買い手の経営が悪化した場合に支払われないリスクが残ります。中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」でも、役員退職慰労金のクロージング後払いは、譲渡対価の分割払いなどと並んで、最終契約で留意すべき事項の一つとして取り上げられています。ガイドラインは、引継ぎのためにクロージング後も一定期間残る場合のインセンティブとして活用されることがある一方、その後の事業や買い手の状況によっては支払われない(不履行となる)リスクがあると指摘しています。後払いとする場合は、金額と支給時期を契約で明確にし、先送りの期間をできるだけ短くするなど、リスクを小さくする工夫が必要です。

    配分を決めるまでの進め方

    1. 退職金の上限の目安を把握する:役員退職慰労金規程の有無、在任年数、報酬の推移を確認し、説明できる金額の範囲を税理士とともに確かめます。
    2. 支払う資金を確認する:会社の現預金と、支払い後の資金繰りを確認します。保険の解約金を原資にする場合は、解約の時期も含めて検討します。
    3. 配分を変えて手取りを試算する:株式の対価と退職金の配分をいくつか置き、個人の税引後手取り、会社の税負担、他の株主の手取りを並べます。
    4. 買い手と条件をすり合わせる:価格の決め方(退職金をどう差し引くか)、支払時期、退任後の関与を交渉の早い段階で共有します。
    5. 契約と手続きに落とし込む:株主総会の決議、議事録、株式譲渡契約での定めを整えます。

    AEGISの視点

    役員退職金との組み合わせは、M&Aの手取りを増やす「技術」として語られることが多いテーマです。しかし実際には、個人の税額の差は配分次第で小さくなることも逆転することもあり、むしろ大きく効いてくるのは、会社の損金の可否、他の株主との関係、退任の実態、支払いの確実性といった、取引全体の設計に関わる要素です。

    AEGISは、退職金を「長年経営を担ってきたことへの対価を、株式の対価とは別の筋道で正しく受け取る仕組み」と考えています。在任期間と功績に見合った金額を、規程と手続きに基づいて支給するのであれば、オーナー・会社・買い手のいずれにとっても説明のつく形になります。反対に、手取りを増やすためだけに金額を膨らませれば、売却後の補償や家族・株主間の対立という形で、かえって手元に残るものを減らしかねません。

    また、退職金と株式の対価は、売却後の資金の使い道とも結び付いています。受け取る時期や形が変われば、納税の時期や、その後の資産設計も変わります。売却の準備全体の流れは、M&AのPillar記事「会社売却を考えるなら何年前から準備するか」で整理しています。

    株式の譲渡と事業の譲渡で、オーナーの受け取り方がどう変わるかは、関連記事「株式譲渡と事業譲渡の比較ポイント」もあわせてご覧ください。

    M&Aや承継に伴う税務の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 役員退職金を支払うと会社の価値が下がり、株式の価格もその分下がるのが通常です。オーナーが100%株主なら、受け取る総額はほとんど変わりません。
    • 違いが生じるのは、個人の税金(退職所得と株式の譲渡所得)、会社の法人税(退職金の損金算入)、買い手の投資額です。
    • 退職金の不相当に高額な部分は損金になりません。過大と判断されれば、売却後に補償を求められる可能性があります。
    • 他の株主がいる場合、退職金を受け取らない株主の手取りが減るため、全員の手取りを並べた確認が欠かせません。
    • 売却後も残る場合の退任の実態、後払いとする場合の支払の確実性にも注意が必要です。具体的な判断は個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. 退職金と組み合わせれば、必ず手取りは増えますか?

    必ず増えるとは限りません。退職所得は2分の1課税の仕組みがある一方で累進税率が適用されるため、退職金の額が大きくなると、株式の譲渡所得として受け取るより負担が重くなる部分も生じます。勤続年数や配分によって結果が変わるため、配分をいくつか置いて税引後の手取りを試算することが大切です。

    Q. 退職金の額は、買い手と自由に決めてよいのですか?

    株式の対価との配分は交渉で決まりますが、退職金の額そのものは、税務上不相当に高額でないことが前提です。在任年数、報酬、功績、同業他社の水準などから説明できる範囲に収める必要があります。役員退職慰労金規程があれば、その基準に沿って算定するのが基本です。

    Q. 会社に退職金を払うだけの資金がない場合はどうなりますか?

    支払い後に会社の資金繰りが成り立たない場合、退職金との組み合わせは現実的ではありません。買い手が資金を提供する方法も考えられますが、買い手の合意が前提となり、条件も複雑になります。まずは会社の手元資金の範囲で、無理のない金額を検討するのが基本です。

    Q. 売却後に顧問として残る予定です。退職金は受け取れますか?

    取締役を退任し、顧問として関与の度合いが大きく下がるのであれば、退職金を受け取ることは一般的です。ただし、肩書が変わっても重要な経営判断に関わり続けるなど、実質的に退任していないと見られる状況では、退職給与として認められない可能性があります。残る期間の役割と報酬を、売却の契約段階で明確にしておくことが重要です。

    Q. 株主が複数いる場合、退職金を受け取るのは社長だけでもよいのですか?

    退職金は役員として退任する人に支給されるものなので、役員でない株主には支給されません。その結果、退職金の分だけ株式の価格が下がると、他の株主の取り分が減ります。株主全員の手取りを並べ、事前に説明と合意を得ておくことが、取引を円滑に進めるうえで欠かせません。

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    • M&A:会社売却の方針・取引条件・税引後の受取額・売却後の資産管理を検討します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『中小企業M&AのFA業務マニュアル』渡部潔 著、中央経済社、2025年、第8章(印刷 p.123-143)
    • 『新版 サクサクわかる!M&Aの税務』佐藤信祐 著、清文社、2024年、第2章第1節(印刷 p.118-120)
  • M&Aの前に整えたい会計・契約・組織|買い手の調査に「説明できる会社」にするための準備

    M&Aの前に整えたい会計・契約・組織|買い手の調査に「説明できる会社」にするための準備

    M&A(会社売却)の交渉が進むと、買い手は会社の中身を詳しく調べます。これをデュー・ディリジェンス(以下DD)といいます。DDでは、決算書や税務申告書だけでなく、株主名簿、取引先との契約書、就業規則、議事録など、多くの資料の提出と質問への回答が短期間に求められます。

    結論から言えば、M&Aの前に整えるべきことは、会社の実態を、資料と言葉で「説明できる状態」にしておくことです。問題がまったくない会社はありません。大切なのは、問題を事前に把握し、買い手に説明できるよう準備しておくことです。この記事では、買い手から確認される事項を「会計」「契約」「組織」の3つに分け、売り手として何を整えておけばよいかを解説します。

    買い手は何を確認するのか

    DDの目的

    買い手にとってDDは、買収してよいか、どのような条件なら買収できるかを判断するための調査です。中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」(令和6年8月改訂)でも、DDは譲り受け側が対象企業のリスクを精査するために行うものとされ、財務、法務のほか、ビジネス、税務、人事労務などの分野が挙げられています。

    DDで見つかった事項は、次のような形で条件に反映されます。

    • 価格の引下げ
    • 取引の方法(株式譲渡か事業譲渡かなど)の変更
    • クロージングまでに解消すべき条件の追加
    • 最終契約での表明保証や補償の追加
    • 取引そのものの見送り

    つまり、DDで初めて見つかった問題は、売り手にとって交渉上の不利につながりやすいのです。

    売り手が準備すべき理由

    DDは、一般に数週間から数か月程度の短い期間に集中して行われます。日常業務を続けながら、限られた人員で膨大な資料要求に対応するのは、想像以上に負担の大きい作業です。

    そのため、売り手側でも事前に自社を点検し、強みとリスクを把握しておくことが有効です。これは売り手側が行う自己点検という意味で、セラーズDD(売り手DD)と呼ばれることもあります。中小M&Aガイドラインでも、譲り渡し側の事前の取組みとして、株式や事業用資産の整理・集約といった「見える化」「磨き上げ」が挙げられています。

    会計:数字の「実態」を説明できるか

    買い手は決算書の数字をそのまま信用するのではなく、資産・負債の実際の価値と、会社の本来の収益力を確かめようとします。

    貸借対照表:資産と負債の実態

    • 売掛金:長期間回収されていないもの、取引先の経営状況から回収が見込みにくいものがないか
    • 在庫:長く動いていない在庫、陳腐化した在庫が帳簿価額のまま残っていないか
    • 不動産:帳簿価額と時価の乖離、事業に使っていない土地・建物の有無
    • 退職金:従業員の退職給付や役員退職慰労金について、必要な引当てや規程があるか
    • 簿外の負債:未払いの残業代、保証債務、係争中の案件など、帳簿に載っていない負担がないか

    これらを時価や回収可能性で見直した貸借対照表は「実態貸借対照表」と呼ばれ、価格の議論の土台になります。売り手側で先に把握しておけば、買い手の指摘に慌てることがなくなります。

    損益計算書:本来の収益力

    買い手は、一時的な損益や、オーナー経営に特有の費用を除いた「正常な収益力」を見ようとします。

    • 単発の大口取引や、災害・補助金などの一時的な要因
    • オーナー個人に関係する費用(車両、保険、交際費など)が含まれていないか
    • 役員報酬の水準が、売却後の経営体制と比べて妥当か
    • 関係会社やオーナー一族との取引条件が、通常の取引と比べて妥当か

    オーナー関連の費用を整理しておくと、本来の収益力が見えやすくなり、価格の議論も建設的になります。

    税務:過去の申告を説明できるか

    株式譲渡の場合、会社の過去の税務上の問題は、売却後もそのまま会社に残ります。そのため買い手は、過去数期分の税務申告の内容や、税務調査の履歴を確認します。

    • 過去の税務調査で指摘を受けた事項と、その後の対応
    • 役員給与、オーナー一族との取引、会社資産の私的利用など、税務上の論点になりやすい事項
    • 繰越欠損金の有無と発生の経緯
    • 消費税、源泉所得税など、法人税以外の税目の処理

    事業計画:将来を説明できるか

    買い手が最終的に判断するのは、「この投資を回収できるか」です。過去の決算書しかないと、買い手は将来を過去の延長、あるいはそれ以下として見積もりがちです。今後3〜5年程度の事業計画を、前提とともに示せるようにしておくと、将来についての建設的な議論がしやすくなります。

    契約:引き継がれる約束事を把握しているか

    株式:取引の「対象そのもの」

    株式譲渡では、株式そのものが取引の対象です。株式の権利関係に疑問があると、取引自体が成り立たなくなることもあります。

    • 株主名簿:作成・更新されているか、実際の株主と一致しているか
    • 株主の変遷:設立から現在までの相続・売買・贈与などを、書類で裏付けられるか
    • 名義株:名義上の株主と実際の出資者が異なる株式がないか
    • 株券:株券を発行する会社か、発行している場合に株券がどこにあるか(株券発行会社では、株式の譲渡は株券を交付しなければ効力を生じません〔会社法128条1項〕)
    • 税務申告書との整合:法人税申告書に記載された株主の情報と、株主名簿や実態が一致しているか

    亡くなった株主の名義のままになっている、相続人の間で株式の帰属が決まっていない、といった問題は、売却の検討をきっかけに表面化することが少なくありません。親族間の話し合いが必要になる場合もあるため、早めの確認が重要です。

    取引先との契約

    • チェンジ・オブ・コントロール条項:株主の変更や経営権の移動があった場合に、相手方への通知・承諾が必要になる、あるいは契約を解除できるとする定めがないか
    • 契約期間・更新・解除の条件:主要な契約がいつまで続くのか
    • 競業避止・独占条項:M&A後の事業展開を制約する定めがないか
    • 口頭だけの取引:契約書がないまま継続している重要な取引がないか

    チェンジ・オブ・コントロール条項は、買い手のDDで初めて指摘されると対応が後手に回ります。主要な契約については、売り手側で事前に条項を確認しておきたいところです。

    不動産・借入れ・許認可

    • 不動産:会社が使う土地・建物は、会社所有か、オーナー個人所有か、第三者からの賃借か。オーナー個人との間に賃貸借契約書があるか
    • 借入れ:金融機関との契約に、財務内容に関する制限条項(コベナンツ)や、株主変更に関する定めがないか。経営者保証の有無
    • 許認可:事業に必要な許認可が、株主や代表者の変更後も維持できるか
    • 知的財産:商標や特許が会社名義で登録されているか

    組織:会社の運営ルールが機能しているか

    意思決定の記録

    取締役会や株主総会の議事録が作成・保管されているかは、法務DDで必ず確認される事項です。重要な取引(オーナーとの不動産売買や貸借など)について、必要な機関決定とその記録があるかも見られます。意思決定の記録は、税務上の説明資料としても重要です。

    労務管理

    近年、労務に関する事項は、DDで特に重視される分野の一つになっています。

    • 労働時間を客観的に把握しているか
    • 残業代を適正に計算・支払っているか(端数の切捨てや固定残業代の運用など)
    • 就業規則や各種規程が実態と合っているか
    • 社会保険・労働保険の手続きが適正か
    • 有給休暇の取得状況

    中小企業では許容されてきた運用が、買い手の基準では問題になる場合があります。未払いの残業代などは、簿外の負債として価格に影響することもあります。

    人材と組織体制

    • 社長以外のキーパーソンは誰か、売却後も残る見込みがあるか
    • 組織図と権限の分担が明確か
    • 経理を担う人材がいるか、DDの際に協力を得られるか

    関係会社

    本業との関係が薄い関連会社や、オーナー一族が持つ会社との取引がある場合、それらを売却の対象に含めるのか、事前に整理するのかを決めておく必要があります。

    準備の進め方:一覧化から始める

    ここまでの内容を、売り手側の準備チェック表としてまとめると次のようになります。

    領域準備しておきたい資料よく論点になる事項
    会計決算書・勘定科目内訳・試算表(過去数期分)、固定資産台帳、在庫の明細回収困難な売掛金、滞留在庫、不動産の含み損益、退職金の引当て
    税務法人税・消費税等の申告書(過去数期分)、税務調査の記録役員給与、オーナー関連取引、繰越欠損金
    株式株主名簿、定款、株券の発行状況、株式の異動に関する書類名義株、相続未了の株式、所在不明の株主
    契約主要取引先との契約書、不動産の賃貸借契約、借入契約、リース契約チェンジ・オブ・コントロール条項、オーナー個人との賃貸借、経営者保証
    組織議事録、就業規則・各種規程、組織図、労働時間の記録未払残業代、規程と運用の乖離、キーパーソンの離職
    将来事業計画(3〜5年程度)、事業の強みを説明する資料計画の前提の妥当性、社長依存の度合い

    ※上記は一般的な例です。業種や会社の状況によって、確認される資料や論点は異なります。

    準備は、次の順で進めると効率的です。

    1. 一覧化:上の表を手掛かりに、自社にある資料とない資料を洗い出す
    2. 優先順位付け:取引の成否に関わるもの(株式の権利関係など)から着手する
    3. 説明の準備:すぐに解消できない問題は、経緯と対応方針を説明できるようにしておく
    4. 更新の仕組み化:決算ごとに資料を更新し、いつでも出せる状態を保つ

    実務上注意したいポイント

    直前の「取り繕い」は逆効果になり得る

    売却の直前に経費を絞って利益を大きく見せる、問題を伏せて交渉を進める、といった対応は、DDや売却後の調査で判明した場合、信頼を損ない、交渉の打ち切りや損害賠償の問題につながるおそれがあります。最終契約では、売り手が会社の状況について一定の事項が真実であることを表明し、違反があった場合に補償する「表明保証」の条項が設けられるのが一般的です。分かっている問題は、早めに把握し、開示の仕方を含めて準備しておくことが望まれます。

    秘密の管理と協力者の確保

    DDの対応には、経理や総務の担当者の協力が欠かせません。一方で、売却の検討が広く知られると、従業員や取引先の不安を招くことがあります。誰に、いつ、どこまで伝えるかを、あらかじめ考えておきましょう。

    取引の方法によって確認される範囲が変わる

    株式譲渡では会社の権利義務がそのまま引き継がれるため、買い手は会社全体を調査します。事業譲渡では、引き継ぐ資産・負債や契約を個別に選ぶため、確認の焦点が変わります。方法の違いについては、関連記事「株式譲渡と事業譲渡の比較ポイント」で解説しています。

    AEGISの視点

    M&Aの準備として会計・契約・組織を整える作業は、言い換えれば、会社の「ガバナンスの棚卸し」です。株主名簿を整え、会社と個人の取引を契約書で明確にし、意思決定を記録に残す。これらは、売却のためだけでなく、親族や社内への承継、金融機関との関係、そして相続のときにも、同じように求められるものです。

    とくにオーナー経営の会社では、会社と個人、会社と関係会社の間に、長年の経緯で生まれた取引や資産の関係が積み重なっています。それらを一つずつ説明できる形にしていくと、どの資産を会社に残し、どの資産を個人や資産管理会社で持つべきかという、オーナー家全体の所有設計の論点が見えてきます。AEGISは、M&Aの準備を、事業と資産と承継を同時に見直す機会として捉えることを大切にしています。

    会社売却の準備をいつから、どのような順で進めるかの全体像は、関連記事「会社売却を考えるなら何年前から準備するか」で解説しています。また、買い手の立場から見た確認事項は「会社を買う前に確認したいリスク」で整理しています。

    まとめ

    • M&Aでは、買い手が財務・税務・法務・労務などをDDで調査し、その結果が価格や条件に反映されます。
    • 売り手として整えるべきことは、会社の実態を資料と言葉で説明できる状態にしておくことです。
    • 会計では実態の資産・負債と本来の収益力、契約では株式の権利関係と主要な契約条項、組織では意思決定の記録と労務管理が主な論点です。
    • 準備は、一覧化・優先順位付け・説明の準備・更新の仕組み化の順で進めると効率的です。
    • 問題を隠すのではなく、事前に把握して説明できるようにしておくことが、交渉を円滑にします。

    どの事項が自社にとって重要かは、業種や会社の状況などの個別事情によって異なります。

    よくある質問

    Q. DDではどのくらいの資料を求められますか?

    案件や買い手によって異なりますが、決算書・税務申告書・勘定科目の明細、株主名簿や定款、主要な契約書、議事録、就業規則など、会社の財務・法務・労務の全般にわたる資料が求められるのが一般的です。資料ごとに優先順位と提出期限を買い手と確認しながら進めると、対応しやすくなります。

    Q. 名義株があると、M&Aはできないのですか?

    直ちにできなくなるわけではありませんが、誰が真の株主かを明確にしないまま株式を譲渡すると、後に権利をめぐる争いが生じるおそれがあります。そのため、買い手は名義株の整理を求めるのが通常です。経緯の確認や関係者との合意、税務上の取扱いの検討が必要になるため、早めに着手することが望まれます。

    Q. 売り手が自分で事前調査(セラーズDD)をする必要はありますか?

    必須ではありませんが、自社の問題点を先に把握できれば、解消できるものは事前に解消し、解消できないものは説明の準備ができます。買い手のDDで初めて問題を指摘されて価格を引き下げられる事態を避けるためにも、主要な論点だけでも事前に点検しておく価値はあります。

    Q. チェンジ・オブ・コントロール条項がある契約は、M&Aの障害になりますか?

    条項の内容によって影響は異なります。事後の通知で足りるものから、事前の承諾が必要なもの、契約解除の理由になり得るものまでさまざまです。重要な取引先との契約にこうした条項がある場合は、その内容と、相手方への伝え方・タイミングを事前に検討しておく必要があります。

    Q. 労務の問題が見つかった場合、どうなりますか?

    未払いの残業代などが見つかった場合、金額を見積もって価格に反映したり、クロージングまでの是正を条件としたり、表明保証の対象にしたりといった対応がとられるのが一般的です。事前に労働時間の管理や賃金計算の方法を点検し、必要に応じて是正しておくことが望まれます。

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    • M&A:会社売却の方針、取引条件、税引後の受取額、売却後の資産設計までを整理します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

  • M&A後に売り手オーナーが担う役割と条件|引継ぎの期間・立場・報酬とアーンアウトをどう考えるか

    M&A後に売り手オーナーが担う役割と条件|引継ぎの期間・立場・報酬とアーンアウトをどう考えるか

    会社の売却交渉が進むと、買い手から「売却後もしばらくは会社に残ってほしい」と求められることがよくあります。取引先や従業員との関係、社長にしか分からないノウハウなど、オーナーの存在そのものが会社の価値の一部になっているからです。

    結論から言えば、売却後に残るかどうかは「善意の協力」ではなく、売却の条件の一部として扱うべきものです。残る期間、立場と権限、報酬、終わり方、競業の制限、退職金や経営者保証との関係、そして業績に応じて代金が追加されるアーンアウトを設けるかどうか。これらを最終契約の前に具体的に決めておくことが、売却後のトラブルを防ぎ、オーナー自身の次の人生設計を守ることにつながります。

    この記事では、クロージング(株式の引渡しと代金の決済)の後に、売り手のオーナーが担う役割と、その条件の考え方を整理します。

    なぜ買い手は「残ってほしい」と言うのか

    中小企業の価値は、経営者個人に強く結び付いていることが少なくありません。買い手が売り手オーナーの関与を求める主な理由は次のとおりです。

    • 取引先との関係:主要な取引先が「社長だから」取引を続けている場合、引継ぎがないと取引が離れるおそれがあります。
    • 従業員の安心:経営者が突然いなくなると、幹部や従業員の退職が続くことがあります。
    • ノウハウの承継:見積り、仕入れ、技術、業界の慣行など、文書化されていない知識の引継ぎが必要です。
    • 許認可の要件:業種によっては、経験や資格のある人が役員として在籍していることが営業の条件になり、買い手側の人材がそろうまで残ってもらう必要が生じます。

    裏返せば、こうした依存の度合いが大きいほど、残る期間は長くなりがちです。売却の数年前から社長依存を減らしておくことの意味は、M&AのPillar記事「会社売却を考えるなら何年前から準備するか」で解説しています。

    残り方の主な形

    売却後の関与の仕方は、大きく次の四つに分けて考えると整理しやすくなります。

    残り方主な立場期間の目安確認したいこと
    ①短期の引継ぎ顧問、嘱託など数か月程度出社頻度、引継ぎの範囲、終了時期
    ②役員として残る取締役、会長など(代表権なしが多い)1年前後〜数年権限の範囲、報酬、退職金の扱い
    ③経営者として続ける代表取締役社長などとして経営を担う数年経営の裁量、業績目標、解任・退任の条件
    ④関与しないなしクロージングと同時に退任引継ぎ資料の整備、取引先への挨拶

    実務書では、引継ぎ期間は数か月から半年程度とする例が多く、実際には出社の頻度が徐々に減り、予定より早く引継ぎを終える例も少なくないとされています。一方、許認可の要件や後任の確保の事情から、1年を超えて役員として残る例もあります。

    どの形を選ぶかは、オーナーの意向(すぐに離れたいのか、見届けたいのか)、年齢と体力、売却後にやりたいこと、そして買い手の体制によって決まります。売り手の希望と買い手の期待がずれたまま契約すると、売却後の関係がこじれやすいため、交渉の早い段階で率直にすり合わせることが大切です。

    契約で決めておきたい条件

    残る場合には、少なくとも次の項目を書面で合意しておくことが望まれます。

    項目決めておくこと
    期間開始日と終了日、延長の有無と決め方
    立場と権限役職、代表権の有無、決裁できる範囲、報告の相手
    業務の内容取引先への同行、技術の指導、後任の育成など具体的な役割
    勤務の形常勤か非常勤か、出社の頻度、勤務場所
    報酬金額、支払方法、業績との連動の有無
    終了の条件途中で終わる場合(双方の事情)の扱い、報酬の精算
    競業避止・秘密保持制限の期間・地域・事業の範囲
    その他経費・車両・執務室の扱い、経営者保証の解除時期

    報酬の考え方

    役員として残る場合は役員報酬、顧問として関与する場合は顧問料として支払われるのが一般的です。顧問料は、契約の内容や関与の実態によって、税務上給与として扱われる場合とそうでない場合があります。報酬の金額は、引継ぎの業務量に見合った水準とし、売却代金の上乗せのような性格にならないよう注意します。

    役員退職金との関係

    売却後に役員として残る場合、その時点で役員退職金を受け取れるかが問題になります。法人税基本通達9-2-32では、分掌変更などで役員としての地位や職務の内容が激変し、実質的に退職したのと同様の事情がある場合には退職給与として扱えるとし、常勤から非常勤への変更や報酬のおおむね50%以上の減少などを例示しています。ただし、代表権がある人や経営上主要な地位を占める人は除かれており、肩書を変えても実態として経営に深く関わっていれば、退職給与と認められないおそれがあります。

    そのため、短期の引継ぎであればクロージング時に退任して退職金を受け取り、顧問として関与する形が、長く役員として残る場合は実際に退任するときに退職金を支給する形が検討されます。後者では、退職金の支給がそれだけ先になり、その間に会社や買い手の経営が悪化すれば支払われないリスクが生じます。中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」でも、役員退職慰労金のクロージング後払いは最終契約で留意すべき事項の一つとして取り上げられています。退職金と株式の対価の配分については、関連記事「会社売却と役員退職金の組み合わせ」で詳しく扱っています。

    アーンアウトとは何か

    アーンアウトとは、売却代金を「クロージング時に支払う確定額」と「一定期間後の業績などの条件を達成した場合に追加で支払う額」に分ける取決めです。条件を達成すれば追加の支払いがあり、達成しなければ支払いはありません。

    どんなときに検討されるか

    売り手と買い手の間で、会社の将来の業績の見方が大きく分かれるときに検討されます。たとえば、直近で業績が急に伸びている、立ち上げたばかりの新事業がある、一時的な要因で業績が落ち込んでいる、といった場面です。売り手は見込みどおりの成果が出れば対価を受け取れ、買い手は見込みが外れた場合の払い過ぎを避けられます。

    一方、中小M&Aガイドライン(第3版)は、アーンアウト条項について、デュー・ディリジェンスや当事者間の調整を十分に行ったうえで、確定していない具体的なリスクに対応して設けるべきものであり、調整が不十分な段階で評価額の差を埋める目的などで設けることには慎重であるべき、という趣旨を示しています。

    売り手が確認したい点

    • 何を指標にするか:売上高、利益など、どの数字を、どの時点で、どう計算して判定するかを明確にします。会計方針の変更や、買い手グループからの費用の配賦で数字が動かないよう、計算方法を具体的に定めます。
    • 期間は長すぎないか:期間が長いほど、景気や買い手の経営判断など、売り手が左右できない要因の影響が大きくなります。中小M&Aガイドライン(第3版)では、評価の期間はクロージング後3年以内とされることが多いと説明されており、実務書でも短期間が望ましいとする見方が示されています。
    • 売り手が経営に関与できるか:売り手が業績に責任を持てない立場なのに、業績を条件に代金が決まるのは不合理です。アーンアウトを受け入れるなら、売却後の役割と権限がそれに見合っているかを確認します。
    • 数字を確認する方法:判定の根拠となる資料を売り手が確認できる手段や、意見が分かれた場合の解決方法を決めておきます。
    • 受け取れない可能性を織り込む:追加の支払いは「受け取れたら幸い」と考え、売却後の資金計画には確定額だけを入れておくのが安全です。

    税金の扱いは事前に確認する

    アーンアウトで追加に受け取る代金が、株式の譲渡所得として扱われるのか、別の所得として扱われるのか、またどの年の所得になるのかは、契約の定め方や条件の内容によって判断が分かれ得る論点です。株式の譲渡所得であれば申告分離課税で、税率は所得税15%・住民税5%に復興特別所得税が加わります(国税庁 タックスアンサーNo.1463)が、そのように扱われるかは個別の確認が必要です。条件の設計段階から、税務と法務の専門家に確認しておくことが欠かせません。

    なお、売却後に問題が見つかって代金を返す「価格の事後調整」や、表明保証に基づく補償は、アーンアウトとは逆向きのお金の流れです。その仕組みと税務の違いは、関連記事「表明保証と売主の責任」で扱います。

    競業避止と秘密保持

    株式譲渡の契約では、売り手が一定期間、売却した会社と競合する事業を行わないことを約束する「競業避止義務」が定められるのが一般的です。買い手にとっては、取引先やノウハウが売り手とともに流出しないための重要な約束です。

    売り手として確認したいのは、制限の期間・地域・事業の範囲が、売却後に予定している活動と両立するかです。売却後に新しい事業を始めたい、別の会社の役員に就きたい、といった計画がある場合は、交渉の段階で伝え、範囲を調整しておく必要があります。職業選択の自由との関係で、過度に広く長い制限は効力が争われる可能性もありますが、まずは自分の計画と合う内容で合意することが基本です。秘密保持の義務も、売却後に続く期間と対象を確認しておきます。

    経営者保証の解除

    会社の借入れにオーナーが個人保証をしている場合、売却後にその保証をいつ、どのように外すかは、残り方と並ぶ重要な条件です。中小M&Aガイドライン(第3版)も、譲り渡し側の経営者保証の扱いについて、売却前の会社の信用力・ガバナンスによる解除や、買い手の信用力などを踏まえた解除・買い手側への移行といった考え方を示しています。

    売却後に会社を離れるのに保証だけが残る状態は避けるべきです。保証の一覧を作り、解除の時期と方法を契約に定め、買い手と金融機関の協議の進み具合を確認します。保証を外すための準備の考え方は、関連記事「経営者保証を外して事業承継する方法」も参考になります。

    実務上注意したいポイント

    • 「何でも手伝う」と言わない:善意の約束は期間も範囲も曖昧になりがちです。具体的な役割を書面で決めます。
    • 権限と責任を一致させる:経営の決定権を持たないのに、業績の責任だけを負う形は避けます。
    • 社内外への伝え方をそろえる:誰が新しい経営者なのか、売り手は何を担うのかを、買い手と一緒に従業員や取引先へ伝えます。役割が曖昧だと、社内の指示系統が混乱します。
    • 終わり方を先に決める:期間満了や途中終了の扱いを決めておくと、気持ちよく離れることができます。
    • 具体的な判断は個別事情で異なる:契約の文言によって、税務上・法務上の結論が変わることがあります。

    AEGISの視点

    売却後の引継ぎは、契約書では数行の条項になりがちですが、オーナーにとっては「自分が育てた会社を、どう手放すか」という最後の仕事です。AEGISは、売却後の役割を「会社の価値を買い手に確実に引き渡すための仕上げ」であると同時に、「オーナー自身が次の人生に移るための移行期間」と考えています。

    そのため、残る期間や報酬だけでなく、退職金の受け取り時期、アーンアウトの有無、保証の解除時期といった条件が、売却後の資金計画にどう影響するかを一体で確認することが大切です。確定していない受取額を前提に、寄附や投資、家族への贈与を急いでしまうと、計画が崩れることがあります。売却後の資産の設計は、関連記事「会社売却後の資産をどう守り、どう使うか」で整理しています。

    関わり続ける期間がいつか終わることを前提に、その終わり方まで設計しておく。それが、買い手にも従業員にも、そしてオーナー自身にも納得のいく引継ぎにつながります。

    まとめ

    • 売却後に残るかどうかは、売却の条件の一部として、期間・立場・権限・報酬・終わり方を最終契約の前に決めておくことが大切です。
    • 残り方には、短期の引継ぎ、役員として残る、経営者として続ける、関与しない、といった形があり、オーナーの意向と買い手の体制で決まります。
    • 役員として長く残る場合は、退職金の受け取り時期が先になり、その間の支払いの確実性が論点になります。
    • アーンアウトは評価の差を安易に埋める手段ではなく、指標・期間・確認方法・税務を慎重に設計する必要があります。
    • 競業避止の範囲と経営者保証の解除時期も、売却後の計画と両立するよう確認します。

    よくある質問

    Q. 売却後の引継ぎ期間は、どのくらいが一般的ですか?

    数か月から半年程度とする例が多いとされています。実際には、最初の1か月ほどは頻繁に出社し、その後は徐々に頻度を下げていく形がよく見られます。許認可の要件や後任の事情で、1年を超えて役員として残る場合もあります。

    Q. 売却後に顧問として残る場合、報酬はどう決めればよいですか?

    引継ぎの業務量や関与の頻度に見合った水準で決めるのが基本です。売却代金の一部を報酬に振り替えるような設計は、税務上の扱いが問題になるおそれがあります。期間と業務内容を契約で定め、それに対応する報酬とすることが大切です。

    Q. アーンアウトを提案されました。受け入れるべきですか?

    一概には言えません。業績の見方に差があり、売り手が売却後も経営に関わる場合には合理的なこともありますが、指標や計算方法、期間、数字の確認手段が曖昧だと、受け取れない可能性や紛争の原因になります。追加の代金の税務上の扱いも含めて、専門家とともに条件を確認したうえで判断することが望まれます。

    Q. 競業避止義務は、どの程度の期間が定められますか?

    契約によって異なり、期間・地域・事業の範囲は交渉で決まります。売却後に新しい事業を始める予定がある場合は、その計画と両立する範囲になっているかを、契約前に必ず確認してください。

    Q. 売却後も役員として残る場合、経営者保証はいつ外れますか?

    自動的に外れるわけではありません。保証の解除の時期と方法を株式譲渡の契約で定め、買い手と金融機関の協議の進み具合を確認する必要があります。会社を離れた後に保証だけが残ることのないよう、早い段階から条件として交渉することが大切です。

    関連するAEGISのソリューション

    この記事のテーマに関連する、AEGISのソリューションです。

    • M&A:会社売却の方針・取引条件・税引後の受取額・売却後の資産管理を検討します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『中小企業M&AのFA業務マニュアル』渡部潔 著、中央経済社、2025年、第6章(印刷 p.78-90)、第8章(印刷 p.136-143)、第18章(印刷 p.315-320)
    • 『企業買収の実務プロセス』木俣貴光 著、中央経済社、2010年、第10章(印刷 p.257-258)
  • 会社売却の前に整理したいオーナー個人所有の事業用不動産|工場・本社の土地を「売る・貸す・残す」のどれにするか

    会社売却の前に整理したいオーナー個人所有の事業用不動産|工場・本社の土地を「売る・貸す・残す」のどれにするか

    中小企業では、会社の工場や本社が建っている土地を、社長個人が所有していることが珍しくありません。会社を売却するとき、この土地をどうするかは、売却価格や交渉の行方、さらには売却後のオーナーの収入や相続まで左右する論点です。

    結論から言えば、売却の前に「現在の権利関係と契約の実態」を確認したうえで、①会社または買い手に売る、②売却後も貸し続ける、③期限を決めて貸し、将来は別の使い方をする、のどれを望むかを、オーナー自身の資金計画と承継の方針から決めておくことが大切です。方針が決まっていないまま交渉に入ると、買い手の資金事情や意向に合わせるしかなくなり、望まない形で手放すことにもなりかねません。

    この記事では、売り手のオーナーの立場から、個人所有の事業用不動産を整理する手順と判断の軸を解説します。

    なぜ売却前の整理が必要なのか

    オーナーと会社の間の不動産の関係は、長年「身内の取引」として続いてきたものです。そのため、次のような状態になっていることがよくあります。

    • 土地の賃貸借契約書がない、または内容が簡単すぎる
    • 地代が近隣の相場と比べて安すぎる、または高すぎる
    • 借地権が会社にあるのかどうか、当事者が意識していない
    • 土地が会社の借入れの担保に入っている
    • 増改築の記録や建築確認の書類が残っていない

    会社の外部の買い手にとって、これらはすべて「買った後に事業の拠点を使い続けられるか」という不安材料になります。株式譲渡で会社を売る場合、会社と一緒にオーナー個人の土地が移るわけではありません。売却後は、オーナーと「買い手の傘下に入った会社」という、他人どうしの関係が残るからです。

    中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」でも、譲り渡し側の経営者に関連する資産・負債などの整理は、最終契約で取り扱う事項の一つとされています。経営者個人の名義で登記された土地など、会社の事業に使われている個人の財産は、買い手への売却や引継ぎによって整理する必要があり、最終契約の後に整理すると合意内容に大きな変更が生じて争いに発展するおそれがあるため、可能な限り最終契約の前に行うことが望ましいとされています。売却の準備全体の流れは、M&AのPillar記事「会社売却を考えるなら何年前から準備するか」で整理しています。

    まず確認したい現状

    方針を考える前に、次の項目を一覧にしておくと、選択肢ごとの論点が見えやすくなります。

    確認項目確認すること選択に影響する点
    所有関係土地・建物それぞれの所有者、共有や区分所有の有無、家族名義の部分誰の同意が必要か、何を一体で扱えるか
    契約賃貸借契約書の有無、契約日、期間、更新、解約の定め売却後に契約を見直すか結び直すか
    地代・賃料金額、近隣相場との比較、支払の実績売却後の適正な水準、税務上の問題の有無
    借地権の扱い権利金の授受、相当の地代か、無償返還の届出の有無土地の価値、会社の株価、売却価格の考え方
    担保・書類担保設定、登記、境界、建築確認・増改築の記録買い手の調査や金融機関の審査で問題にならないか

    とくに借地権の扱いは重要です。法人が個人の土地に建物を建てて使っている場合、権利金を払っていないと、借地権の価値が会社に移ったとみなされる課税関係が生じ得ます。その対応として、土地の価額のおおむね年6%の「相当の地代」を支払う方法や、将来土地を無償で返すことを約して「土地の無償返還に関する届出書」を提出する方法があります(国税庁 個別通達「相当の地代を支払っている場合等の借地権等についての相続税及び贈与税の取扱いについて」)。仕組みの詳細は関連記事「土地の無償返還に関する届出と相当の地代」で解説しています。

    借地権が会社にあるのか、ないのかによって、オーナーの土地の価値も会社の価値も変わります。売却の交渉が始まってから気づくのではなく、事前に整理しておくことが望まれます。

    三つの選択肢を比べる

    オーナー側の希望は、大きく次の三つに分かれます。

    比較の視点①売る(会社または買い手へ)②貸し続ける③期限を決めて貸す
    オーナーの資金売却時にまとまった資金を得る毎年の地代・賃料収入が続く当面は収入、将来は売却・転用の選択肢
    主な税金譲渡所得への課税毎年の不動産所得への課税期間中は不動産所得、将来の処分時に改めて検討
    買い手から見て取得資金が増えるが拠点は安定投資額は抑えられるが賃料が続く一定期間後の移転が前提になる
    相続から見て現金化で分けやすく納税資金になる貸地・貸家として承継、借り手との関係も承継期限後の使い方次第
    主な注意点価格の妥当性、買い手の資金調達契約の結び直し、借り手の信用期限・明渡しの合意、契約の種類

    どれが正解ということはなく、オーナーの希望と買い手の方針が一致したところで決まるのが実際です。買い手が「不動産は持たない」方針なら①は成り立ちにくく、反対に「拠点は自社で持つ」方針なら②は受け入れられにくくなります。オーナーが相続対策として現金化を強く望んでも、買い手が不動産の取得資金を調達できずに交渉がまとまらないこともあります。

    ①売る場合

    誰が買うか:対象会社が買う方法と、買い手(親会社など)が買う方法があります。対象会社に十分な資金がない場合は、買い手が資金を提供したうえで会社が買う形や、株式の取得と同時に買い手が土地を買う形がとられます。買い手側から見た不動産の置き場所の考え方は、関連記事「買収した会社の不動産をどう持つか」で解説しています。

    税金:個人が土地や建物を売った利益は譲渡所得として、他の所得と分けて課税されます。売った年の1月1日現在で所有期間が5年を超える長期譲渡所得の場合、税率は所得税15%・住民税5%で、このほかに復興特別所得税がかかります(国税庁 タックスアンサーNo.3208)。所有期間が5年以下の短期譲渡所得の場合は、所得税30%・住民税9%と税率が高くなります(国税庁 タックスアンサーNo.3211)。

    価格:オーナーと会社の取引は、近隣相場や鑑定などで説明できる時価で行うことが前提です。個人が法人に時価の2分の1未満の価額で資産を譲渡した場合、時価で譲渡したものとみなして課税される取扱いがあります(国税庁 タックスアンサーNo.3105)。反対に高すぎる価格も、会社とオーナーの双方で課税上の問題になり得ます。また、会社とその代表者との取引は利益相反の取引として、会社の機関決定と記録が必要です。

    株式の価格との関係:会社が土地を買う場合、その資金が会社から出ていくため、買い手が支払う株式の対価にも影響します。土地の代金と株式の対価の配分は、税負担の違いも含めて一体で試算する必要があります。

    買い手の資金調達:買い手が金融機関から借り入れて土地を買う場合、金融機関が独自に不動産を審査します。建築確認や増改築の記録が不十分だと、融資の判断に時間がかかり、取引全体が遅れることもあります。

    ②貸し続ける場合

    契約を結び直す:売却後は、他人どうしの関係として通用する契約が必要です。期間、更新、賃料改定、解約、原状回復などを、買い手とも相談して整えます。古い契約は、締結時期によって適用される借地の法律の規定が異なることがあるため、既存の契約を生かすか結び直すかは、専門家とともに確認します。

    賃料を相場に合わせる:身内の取引として安く(または高く)設定していた地代は、売却を機に近隣の相場に合わせて見直すのが通常です。借地権を生じさせない前提で無償返還の届出をしている場合は、契約書の内容がその前提と矛盾しないかも確認します。

    収入としての安定性:売却後の地代・賃料は、オーナーにとって引退後の安定収入になり得ます。一方で、借り手は買い手グループの会社になるため、その信用力、将来の拠点移転の可能性、賃料改定の交渉相手が変わることも織り込んでおく必要があります。

    ③期限を決めて貸す場合

    将来、その土地を売却したり別の用途に使ったりする予定がある場合は、一定期間の賃貸の後に明け渡してもらうことを前提に条件を決めます。普通の借地・借家の契約では、借り手の権利が強く保護され、貸し手から更新を拒むには正当な事由が必要とされるのが原則です(借地借家法6条・28条)。期限を確実にしたい場合は、更新のない定期借地(事業用の建物所有を目的とする事業用定期借地権等は存続期間10年以上50年未満で、公正証書による契約が必要〔同法23条〕)や定期建物賃貸借(書面による契約が必要〔同法38条〕)などの契約の種類を検討し、株式譲渡の契約でも明渡しの時期を合意しておくことが考えられます。

    売却後の相続・承継への影響

    不動産をどの形で持つかは、オーナーの相続にも影響します。

    • 小規模宅地等の特例の区分が変わり得る:被相続人とその親族が株式の50%超を持つ同族会社の事業に使われている宅地は、要件を満たせば「特定同族会社事業用宅地等」として400㎡まで評価額を80%減額できます。会社を売却して同族会社でなくなれば、この区分は使えなくなり、要件を満たせば「貸付事業用宅地等」(200㎡まで50%減額)として扱われる可能性があるにとどまります(国税庁 タックスアンサーNo.4124)。
    • 現金化すると分けやすくなる:土地を売って現金にすれば、遺産を分けやすく、納税資金にもなります。一方で、評価額が下がる効果は失われます。
    • 貸し続けると「借り手との関係」も承継する:相続人は、地代収入とともに、買い手グループの会社との契約関係や管理の手間も引き継ぎます。

    売却で得た資金や手元に残した不動産を、売却後にどう管理し次の世代に引き継ぐかは、関連記事「会社売却後の資産をどう守り、どう使うか」で扱っています。

    実務上注意したいポイント

    • 方針は交渉前に決める:売る・貸す・期限付きのどれを望むか、譲れない条件は何かを、売却の打診を始める前に整理しておきます。
    • 家族名義・共有の部分を確認する:土地の一部が配偶者や子の名義、または共有になっている場合、その人の意向と同意が必要です。
    • 担保と保証を同時に整理する:土地が会社の借入れの担保に入っている場合、売却後に担保をどう外すかは、経営者保証の解除とあわせて交渉する事項です。
    • 株式の契約と不動産の契約をそろえる:不動産の売買や賃貸の条件は、株式譲渡の契約と同時に決め、内容に食い違いがないようにします。
    • 具体的な課税関係は個別に確認する:所有期間、取得費、借地権の有無、会社の状況によって結論が変わります。

    AEGISの視点

    オーナー個人の事業用不動産は、会社売却の場面では「付随的な論点」として後回しにされがちです。しかしAEGISは、この不動産を「売却後のオーナーの暮らしと承継を支える、手元に残る可能性のある最大の資産」と考えています。

    株式を売れば、会社との縁は契約上いったん切れます。一方で不動産は、売るか貸すかによって、まとまった資金にも、長く続く収入にも、次の世代に引き継ぐ財産にもなります。だからこそ、買い手の都合で決めるのではなく、売却後の資金計画、相続人の構成、管理の負担まで含めて、オーナー自身が先に方針を持つことが大切です。

    また、同じ土地でも、会社の事業用として貸すのか、将来ほかの用途に転用するのかで、価値の引き出し方は変わります。立地や需要によっては、賃貸以外の活用や組換えが合理的なこともあります。会社の売却を、個人の不動産の役割を見直す機会として捉えることが、売却後の選択肢を広げることにつながります。

    不動産や承継に関わる税務の論点については、アイジス税理士法人の専門領域でもAEGISの考え方を紹介しています。

    まとめ

    • 会社が使う土地を社長個人が持っている場合、売却後はオーナーと買い手傘下の会社という他人どうしの関係が残るため、事前の整理が必要です。
    • 所有関係、契約、地代の水準、借地権の扱い、担保と書類を一覧にして現状を確認します。
    • 選択肢は、会社または買い手に売る、売却後も貸し続ける、期限を決めて貸す、の三つが基本で、オーナーの希望と買い手の方針が一致したところで決まります。
    • 売る場合は譲渡所得の課税と時価での取引、貸す場合は契約の結び直しと相場に合った賃料が論点です。
    • 売却後は小規模宅地等の特例の区分が変わり得るなど、相続への影響もあわせて確認することが大切です。

    よくある質問

    Q. 契約書がないまま会社に土地を貸してきました。売却前に作るべきですか?

    作成しておくことが望まれます。売却後も貸し続ける場合、買い手は拠点を使い続けられる根拠となる契約を求めるのが通常です。契約を作る際は、借地権の扱い(権利金、相当の地代、無償返還の届出)と矛盾しない内容にすることが重要です。

    Q. 土地を会社に売る場合、価格はどう決めればよいですか?

    近隣の取引相場や不動産鑑定などで説明できる時価が基本です。時価より大幅に低い価格や高い価格で取引すると、オーナーと会社の双方で課税上の問題が生じ得ます。会社とその代表者との取引になるため、取締役会(取締役会を置かない会社では株主総会)の承認手続きと記録も必要です(会社法356条1項・365条)。

    Q. 買い手が土地を買ってくれない場合、売却をあきらめるしかないのでしょうか?

    そうとは限りません。売却後も賃貸を続ける、一定期間は貸して将来は別の使い方をする、などの選択肢があります。オーナーにとって地代収入が続くことが望ましい場合もあるため、交渉の前に自分の希望と譲れる範囲を整理しておくことが大切です。

    Q. 会社を売った後も土地を貸し続けると、相続税の評価はどうなりますか?

    会社が同族会社でなくなるため、小規模宅地等の特例のうち「特定同族会社事業用宅地等」の区分は使えなくなります。要件を満たせば「貸付事業用宅地等」として扱われる可能性がありますが、限度面積や減額割合は異なります。貸地としての評価も含め、売却の前後で試算しておくとよいでしょう。

    Q. 土地が会社の借入れの担保に入っています。どうすればよいですか?

    売却後もその担保を残すのか、買い手が借り換えるなどして外すのかを、金融機関や買い手と調整する必要があります。経営者保証の解除とあわせて交渉する事項になるため、売却の条件として早い段階で整理しておくことが望まれます。

    関連するAEGISのソリューション

    この記事のテーマに関連する、AEGISのソリューションです。

    • M&A:会社売却の方針・取引条件・税引後の受取額・売却後の資産管理を検討します。
    • 不動産の最適活用:立地・敷地・建物・周辺需要・投資負担から、賃貸・売却・組換え・事業活用を比較します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『中小企業M&AのFA業務マニュアル』渡部潔 著、中央経済社、2025年、第10章(印刷 p.159-178)
    • 『企業買収の実務プロセス』木俣貴光 著、中央経済社、2010年、第10章(印刷 p.256-258)
  • M&A仲介を使う前に確認したいこと|手数料・契約条項・買い手の見極めで後悔しないために

    M&A仲介を使う前に確認したいこと|手数料・契約条項・買い手の見極めで後悔しないために

    会社の売却を考え始めると、M&Aの仲介会社やアドバイザーから声がかかることが増えます。多くのオーナーにとって会社の売却は一度きりの経験であり、支援してくれる専門家の存在は欠かせません。一方で、契約の内容や手数料が分かりにくい、売却後に買い手が約束を守らないといったトラブルも指摘されてきました。

    結論から言えば、契約前に確認したいのは次の3点です。①その支援機関は誰の立場で動くのか(仲介かFAか)、②手数料と契約条項(専任・テール・直接交渉の制限)は自分にとって合理的か、③紹介される買い手をどう確認するのか。この記事では、中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」を踏まえ、オーナーが依頼前に確認しておきたいポイントを整理します。特定の事業者の良し悪しではなく、どの支援機関を選ぶ場合にも共通する確認事項として読んでください。

    M&A支援機関の種類:仲介者とFAの違い

    中小M&Aガイドラインでは、M&Aを支援する機関のうち、譲り渡し側(売り手)と譲り受け側(買い手)の双方と契約してマッチングなどを支援する者を「仲介者」、一方とだけ契約して支援する者を「FA(フィナンシャル・アドバイザー)」と区別しています。このほか、インターネット上で売り手と買い手が出会う場を提供するM&Aプラットフォーマーや、公認会計士・税理士・弁護士などの士業等専門家も支援機関として位置付けられています。

    観点仲介者FA
    契約の相手売り手と買い手の双方売り手または買い手の一方
    立場双方に対して中立・公平に接する依頼者の利益のために助言する
    価格や条件への関与一方に有利な助言はしにくい構造依頼者の立場から価格・条件を助言できる
    手数料売り手・買い手の双方から受け取ることが多い依頼者から受け取る
    向いている場面の例小規模で、条件の対立が少ないと見込まれる案件価格や条件の交渉で、自分の側の助言が必要な案件

    ※一般的な整理です。実際の業務範囲は契約ごとに異なります。

    仲介者は双方から依頼を受けるため、構造的に利益相反のおそれがあります。たとえば成功報酬が譲渡額に連動していれば、仲介者には取引を成立させること自体への動機が働きます。ガイドラインでも、仲介者は利益相反のおそれがある事項を事前に説明すること、両当事者に中立・公平に接することが求められています。

    仲介が悪い、FAが良いということではありません。小規模な案件で、相手探しと手続きの調整が中心であれば、仲介の方が費用面で合理的なこともあります。大切なのは、「この人は自分の味方として価格や条件を助言してくれるのか、それとも中立の調整役なのか」を契約前に理解しておくことです。価格や付随条件について自分の側に立った助言がほしい場合は、仲介者とは別に、税理士・弁護士などの専門家に相談できる体制を用意しておくと安心です。

    契約前に確認したい5つのポイント

    仲介契約・FA契約は、売却活動の「入口」で結ぶ契約です。最初に条件を確認せずに署名すると、後から変えることは容易ではありません。AEGISでは、次の5点を契約前の確認項目として整理しています。

    確認項目確認したいこと見落としたときに起こりうること
    1. 手数料の体系着手金・月額報酬・中間金・成功報酬の有無と金額、算定基準、最低手数料成約しなくても費用が積み上がる。想定より成功報酬が大きい
    2. 専任条項他の支援機関に並行して依頼できるか、契約期間支援に不満があっても長期間ほかに相談できない
    3. テール条項契約終了後に成約した場合も報酬が発生するか、その期間と対象契約を終えた後の成約でも報酬を請求される
    4. 直接交渉の制限相手方と直接やり取りしてよい範囲知り合いの会社との話が進めにくくなる
    5. 業務の範囲企業価値の算定、調査(DD)対応、契約書作成支援の有無必要な支援が別料金・対象外だと後で分かる

    1. 手数料の体系

    手数料には、契約時に払う着手金、毎月の報酬、基本合意などの節目で払う中間金、成約時の成功報酬といった種類があります。ガイドラインでも、これらの手数料の種類や、成功報酬の算定基準(譲渡額・移動総資産額・純資産額など)、最低手数料について、依頼者が確認すべき事項として解説されています。

    成功報酬は、取引金額が大きくなるほど料率が段階的に下がる「レーマン方式」で計算されることが一般的です。ただし、同じレーマン方式でも、何を基準額にするかで金額は大きく変わります。株式の譲渡額を基準にするのか、会社の負債も含めた「移動総資産」を基準にするのかによって、同じ取引でも報酬額が大きく変わることがあります。最低手数料の定めがある場合、小規模な取引では成功報酬が譲渡額に比べて大きな割合になることもあります。

    仲介の場合には、自分が支払う手数料だけでなく、相手方(買い手)が支払う手数料も確認したい事項です。ガイドライン(第3版)では、仲介者は契約前に、依頼者の手数料に加えて相手方の手数料に関する事項(料率、基準額、最低手数料、報酬の発生時期など)も書面で説明すべきとされています。双方からの手数料の総額が、取引の成立や条件に影響しうるためです。なお、M&A支援機関登録制度のホームページでは、登録された仲介者・FAの手数料の算定基準(報酬基準額や最低手数料など)が公表されており、比較の手掛かりになるとガイドラインでも紹介されています。

    2. 専任条項

    専任条項は、契約期間中、ほかの仲介者やFAに依頼することを制限する条項です。支援機関の側から見れば、労力をかけて相手を探す以上、一定期間は任せてほしいという合理性があります。一方で、期間が長すぎると、支援の質に不満があっても乗り換えられません。契約期間の長さ、途中で解約できる条件、セカンド・オピニオンとして他の専門家に相談することまで制限されるのかを確認しておきましょう。ガイドラインは、専任条項を設ける場合でもその対象範囲を可能な限り限定し、合理的な理由がなければセカンド・オピニオンを許容すべきとしたうえで、契約期間は最長でも6か月〜1年以内を目安とし、依頼者が任意に中途解約できる条項も設けることが望ましいとしています。

    3. テール条項

    テール条項は、契約が終了した後でも、一定期間内に成約した場合には報酬を支払うとする条項です。支援機関が紹介した相手と、契約終了後に当事者同士で成約する「抜け駆け」を防ぐ趣旨があります。確認したいのは、期間がどのくらいか、そしてその対象が「その支援機関が実際に紹介した相手」に限られているかです。対象が広く定められていると、契約終了後に自分で見つけた相手との成約にまで報酬が発生するおそれがあります。ガイドラインは、テール期間は最長でも2年〜3年以内を目安とし、対象はその支援機関が関与・接触し、売り手に紹介した相手(少なくとも企業概要書を送って社名を開示した相手)に限定すべきで、候補先リストや匿名の概要書の提示だけにとどまる相手は対象にすべきでないとしています。

    4. 直接交渉の制限

    支援機関を通さずに相手方と直接交渉することを制限する条項です。情報の行き違いを防ぐ意味がありますが、もともと取引のある会社が候補になっている場合などには、制限の範囲が実情に合うかを確認しておく必要があります。ガイドラインは、制限の対象は原則としてその支援機関が関与・接触し紹介した候補先に、制限される交渉はM&Aに関する目的のものに限定し、制限の有効期間は契約が終了するまでに限るべきとしています。

    5. 提供される業務の範囲

    どこまでの業務が手数料に含まれるのかも確認しましょう。たとえば、企業価値の算定、買い手の調査(デュー・ディリジェンス、DD)への対応支援、基本合意書や最終契約書の検討などです。なお、ガイドラインは、最終契約は可能な限り中小M&Aに知見のある弁護士の関与の下で締結することが望ましいとし、当事者間で生じた紛争の解決への関与は非弁行為(弁護士法72条)に該当し得るとしています。仲介者が契約書のひな形を用意することもありますが、売り手として内容を確認する専門家を別に確保しておくことが望まれます。

    買い手(譲り受け側)をどう確認するか

    ガイドライン第3版の改訂では、最終契約の不履行を意図的に生じさせるような不適切な譲り受け側を市場から排除するため、仲介者・FAに求められる対応が追記されました。背景には、売り手の経営者保証を買い手側に移す想定だったのに移されないといった事例が問題になったことがあります。

    売り手として確認しておきたいのは、次のような点です。

    • 買い手の資金力と信用力:買収資金をどう調達するのか、会社の借入れを引き継ぐ力があるのか
    • 経営者保証の扱い:会社の借入れに付いている自分の個人保証を、いつ、どの方法で解除または移行するのか。最終契約の中で、クロージング(取引の実行)の条件にできるか
    • 対価の支払方法:一括払いか、後払い・分割払いか。後払いがある場合、支払われなかったときの手当てはあるか
    • 買収の目的と実績:過去のM&Aの実績、買収した会社のその後、従業員や取引先の扱いの方針
    • 支援機関の確認姿勢:支援機関が買い手について何を調べ、その結果をどこまで説明してくれるのか。ガイドラインでは、仲介者・FAは契約前に、買い手に対して行う調査の概要(財務状況・コンプライアンス・事業実態など)や、不適切な買い手の情報を業界内で共有する仕組みに参加しているかどうかを説明しなければならないとされています

    書類の確認だけでなく、トップ面談の際に買い手の本社や事業所を訪問したり、過去に買い手のグループに入った会社の経営者の話を聞いたりすることも、相手を知る手掛かりになります。経営者保証の解除が確実と言えない相手であれば、条件がよくても立ち止まる判断も必要です。

    M&A支援機関登録制度をどう見るか

    M&A支援機関登録制度は、中小企業が安心してM&Aに取り組める基盤をつくるため、令和3年8月に創設された国の制度です。中小M&Aガイドラインの遵守を宣言するなどした、仲介業務やFA業務を行う者が登録を受けることができます。国の補助金で専門家の活用費用(仲介・FAの手数料)を補助する場合、登録を受けた支援機関の支援に係るものだけが補助対象とされている点も、ガイドラインで説明されています(ガイドラインの記載は令和5年9月現在の補助金についてのもの)。

    登録の有無は、支援機関を選ぶ際の確認事項の一つになります。ただし、登録はガイドラインを守ることを宣言した事業者であることを示すものであり、個々の担当者の経験や、案件に合った支援ができるかを保証するものではありません。登録の確認に加えて、担当者の実績、手数料と業務範囲の説明の分かりやすさ、利益相反についての説明の有無を、自分の目で確かめることが大切です。

    実務上注意したいポイント

    • 複数の支援機関から説明を受けて比べる:手数料の基準額や業務範囲は事業者ごとに大きく異なります。一社だけの説明で決めず、比較してから契約することが望まれます。
    • 「今なら買い手がいる」という言葉で急がない:売却の判断は、会社の準備状況や家族の意向も含めて行うものです。契約を急がされる場合こそ、条件を確認する時間をとりましょう。
    • 売却前の準備は自分の側で進める:会計・契約・株主構成などの整理は、支援機関に任せきりにせず、売り手自身が主体となって進めることが、交渉力にもつながります。準備の具体的な内容は関連記事「M&Aの前に整えたい会計・契約・組織」で解説しています。

    • 最終契約の条項は専門家と確認する:表明保証や補償など、売却後の責任に関わる条項は、売り手側の専門家に確認してもらうことが重要です。詳しくは関連記事「表明保証と売主の責任」で解説しています。

    AEGISの視点

    M&Aの支援機関を選ぶとき、オーナーは「誰が一番高く売ってくれるか」に目が向きがちです。しかしAEGISは、支援機関選びを「売却の判断を、誰と一緒に考えるか」を決めることだと考えています。

    会社の売却は、価格だけで評価できる取引ではありません。手元に残る金額は、手数料や税金、役員退職金との組み合わせによって変わります。経営者保証が確実に外れるか、従業員や取引先が安心できる相手か、売却後にオーナー家の資産をどう管理していくかも、価格と同じくらい重要な判断要素です。仲介者が中立の立場で調整役を担う場合でも、これらを売り手の立場で一緒に検討する相手がいるかどうかで、判断の質は大きく変わります。

    また、M&Aは承継の選択肢の一つにすぎません。親族内承継や従業員承継と比べたうえで、M&Aが自社に合うのかを先に整理しておくと、支援機関の提案を落ち着いて評価できます。承継方法の比較は関連記事「親族内承継・従業員承継・M&Aの比較」で、売却準備の全体像は「会社売却を考えるなら何年前から準備するか」で解説しています。

    まとめ

    • M&Aの支援機関には、売り手・買い手の双方と契約する「仲介者」と、一方とだけ契約する「FA」があり、立場と助言の範囲が異なります。
    • 契約前には、手数料の体系(算定基準・最低手数料・相手方の手数料)、専任条項、テール条項、直接交渉の制限、業務の範囲を確認しましょう。
    • 買い手については、資金力、経営者保証の解除・移行の方法、対価の支払方法、買収の目的と実績を確認し、重要な事項は最終契約の条件に組み込むことが大切です。
    • M&A支援機関登録制度への登録は確認事項の一つですが、支援の質を保証するものではありません。
    • 具体的にどの支援機関・契約条件が適しているかは、会社の規模や状況、オーナーの意向によって異なります。

    よくある質問

    Q. 仲介とFAでは、どちらを選ぶべきですか?

    一概には言えません。小規模で条件の対立が少ない案件では、仲介の方が手続きが早く費用も抑えやすいことがあります。一方、価格や付随条件について自分の側に立った助言がほしい場合はFAが向いています。仲介を選ぶ場合も、利益相反についての説明を受けたうえで、必要に応じて別の専門家に相談できる体制を用意しておくと安心です。

    Q. 手数料は何と比べて判断すればよいですか?

    成功報酬の料率だけでなく、算定の基準額(譲渡額か、負債を含む移動総資産か等)、最低手数料、着手金・月額報酬・中間金の有無を合わせて、「実際にいくら払うことになるか」を試算して比べることが大切です。仲介の場合は、相手方が支払う手数料についても説明を受けておきましょう。

    Q. テール条項がある契約は避けた方がよいですか?

    テール条項自体は、支援機関が紹介した相手との成約を保護するための一般的な条項です。問題になるのは、期間が長すぎる場合や、対象がその支援機関の紹介した相手に限定されていない場合です。ガイドラインは、テール期間の目安を最長でも2年〜3年以内としています。期間と対象範囲を確認し、納得できなければ修正を相談しましょう。

    Q. M&A支援機関登録制度に登録している会社なら安心ですか?

    登録は、中小M&Aガイドラインの遵守を宣言するなどした事業者であることを示すもので、選ぶ際の確認事項の一つです。ただし、担当者の経験や案件への適合性まで保証するものではないため、手数料・業務範囲・利益相反の説明を自分で確かめることが欠かせません。

    Q. 買い手が経営者保証を外してくれるか不安です。どうすればよいですか?

    最終契約の前に、解除や移行の方法(借入れの返済、借換え、買い手側の保証への切替えなど)と時期を具体的に確認し、クロージングの条件や、実行されなかった場合の解除・補償の条項として契約に盛り込むことが考えられます。取引のある金融機関に事前に相談しておくことも有効です。

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    この記事のテーマに関連する、AEGISのソリューションです。

    • M&A:会社売却の方針・取引条件・税引後の受取額・売却後の資産管理を検討します。
    • 事業承継:後継者・経営権・株式・資金・ご家族の意向を確認し、贈与・相続・売買・M&A等を比較しながら承継計画を検討します。

    参考資料・出典

    公的資料・一次情報

    書籍

    • 『中小企業M&AのFA業務マニュアル』渡部潔 著、中央経済社、2025年、P.2-15、P.285-291
    • 『企業買収の実務プロセス』木俣貴光 著、中央経済社、2010年、第3章(P.45-58)